8.二人
…ーーーねぇ、お姉ちゃん。
本当の本当のうそつきはだれだったのかな。
……さぁ、だれだろう。
私が連なのか凛なのか、それすら分からない。
ただ、本当の、本当にうそをついていたの”私”なのだ。
「凛!!」
目を覚ましたのは病院。
”私”は”凛”と呼ばれた。
母は泣いていた、声は出ない。出そうとしても喉が痛い。
反対側には、お兄さんが二人……
ぱくぱくと口を動かすが、届かない。
「僕、医者を呼んできます」
「あぁ、凛……よかった。よかった」
母は縋り付いて泣いている。
眼鏡をかけたお兄さんが部屋を出て行った。
大学生のお兄さんが反対側から頭を撫でてくれた、その途端に涙が止まらなくなった。
”私”は、嘘ついたままだった。
でも、たったひとりに正直に嘘を告白した手紙を書いた。
それが、永連さまが”私”にくれた救いなのだと思った。
嘘をついて、つきすぎて、なにが本当か分からない。
口からでた言葉は嘘も本当もまざっていたような気がする。
だから、ちゃんとどこかに本当の”私”のことを残しておこうと思ったのだ。
お兄さんは気づいてくれるだろうか。
”私”がついた嘘と、”私”がだれなのかを。
***
あのあと、羽野さんが凛ちゃんの止血をして、俺が村人に事情を話して、救急車を呼ぶよりも速いということで大きめの車に乗って、駅に近い町の病院と運び込まれた。
出血の量が多いが命に別状はないけれど声帯が傷ついていることや、そこに触らないようにと注意をされ、凛ちゃんが目覚めるのを待っていた。
遅れてきた宿のおばちゃんたちが俺と羽野さんの荷物も持ってきてくれていた。
そしておばちゃんは今回の件で”連ちゃん”を助けてくれたからと宿代を受け取らずに村へと戻っていった。
当たり前のことながら村人は、連ちゃんと凛ちゃんのことを知らないようだ。
連ちゃんが目を覚ますまでの間、不安定だった母親から色々なことを聞けた。
双子を忌みとする風習があったこと。
母として子を守るために二人にこの状況を作ったこと。
二人の父も現家主として鍾乳洞の立ち入り禁止のお触れを出すなど協力をしていたこと。
そして、自分が子供達を守るために祭壇に近づいたものの首を切っていたこと。
「だから、罪に問われるのは私です」
そういって母親は羽野さんへ両手を出す。
「……へ?」
面食らった俺は羽野さんと母親を交互に見る。
「……うそつきは僕もってことだよ」
といって、胸元から警察手帳を覗かせる。
「え、え?」
「殺人は本当のことだ。取材の話が来たときに永富の家主から相談があったんだ。”神聖な場所に誰もいれてほしくない”と。それでも取材班はアポもなしに勝手に村へ入り、神社の中を見て周りあの場所に入って殺された。戻ってこなかったことからテレビ局から捜索届が出されてね。僕はそれを担当していたんだ」
「だから、羽野さんはあんなに詳しかったんですね」
「そう、騙しててごめんな。一之瀬君にもなにかあったら困ると思ったんだけど、君があの場所まで来たのは自己責任ってものだろうし」
けろっとした表情で言われたが、今になって喉につけられたナイフの冷たさを思い出す、笑い事ではない。
「今だから聞きたいのですが……”永連さま”とは結局なんなのでしょうか?」
俺の問いかけに、母親はびくっと反応を示した。
「……村の、規律のようなものです。周りの環境が古いままなのはいいことですが、それゆえに危険も多いのです。何人もの子供が河や山で遊ぶことで命を落としました。遊びを禁じることはできませんので、本当に危ないことだけを教えるのですが、それを守らせるために”永連さま”は生まれました。そしてその存在を知らしめるために、巫女として声が聞こえる存在も作ったのです。それが代々”連”の名前を告ぐ者になります。子供を守るため、果ては村の未来を守るための形もない存在です」
「それなら……、なぜあのとき一之瀬くんを殺さなかったんですか?あなたは連ちゃんの言葉を聞いて手を止めましたよね?」
なんとも物騒な会話が目の前に投げ出されたが、確かに俺自身も不思議だった。
オカルト研究だといって来た俺があの場所に入ったのは、永連さまの怒りに触れてもおかしくないことだ。
「……それは、凛には本当に声が聞こえていたのです。」
「本当に……?」
「連と凛はとてもよく似ていたのですが、性格は正反対でした。活発に走り回る姉の連と読書が好きな凛。でもとても仲がよくて……、時折二人が入れ替わることなんてしていたのですが、母である私ですら分からないときがありました。」
懐かしむように話出した母親はどこか遠い目をしている。
「二人のうちどちらが巫女の力を持っているか確認する儀式が行われたときです。これは村の人たちの前で行うのですが、そのときに二人には机に置かれた手紙の中身がなんと書かれているかを永連さまに聞いてみるといったものです。もちろん今までは、元々巫女には手紙の内容を伝えておく細工をしていました。今回も姉である連には伝えていたのです。」
眠ったままの凛ちゃんの顔は、浅い呼吸を繰り返していた。
母親はその顔をじっと見たままさらに続ける。
「当日、連と凛の前にそれぞれ手紙が置かれ……結果としては、それを当てたのは姉の連でした。しかし、凛が答えたのもまた連の前に置かれた手紙と同じだったのです」
「えっと……」
ややこしくなってきた話に眉を寄せると、理解した羽野さんが改めて話す。
「二人の前に一枚ずつ手紙が置かれて、その内容を答えるって儀式なのに、二人は同じ手紙を読んだわけだ。そして読まれた手紙は姉のほうにあった。姉はもちろん手紙の内容を知っていたのだからいいとして、妹はどうして知ってたんだ?」
「ってことは……妹の凛ちゃんが、実は聞いていたとか手紙を盗み見たってことですか?」
「そのときは村人たちがそういいました。もちろん盗み見た方の意味でです。自分の前にあるものを読めないのはズルをしたからだと言って、皆が凛を責めました。結局はどういうことがあったのか分かりません。」
切なそうに細められた母親の目は、まだ目を覚まさない凛ちゃんへと向けられていた。
そして、その先の話は祭壇の前で凛ちゃんが言っていたことを思い出させる。
「そのあと1週間ほどしたときです。巫女として崇められた連と隠居生活となった凛は、それでも仲良く遊んでいたと思います。それでもある日の夕方、屋敷の使用人が富音河の上流で首を切られた状態の連を発見しました。主人とともに発見した使用人の口止めをすると同時に、私は凛の無事を確認しに祭壇へと向かいました。」
「そこで……お姉ちゃんは嘘をついていた。か……」
羽野さんが凛ちゃんの言葉を繰り返す。
「もちろん、正直……凛を疑いましたが、村人が神社で”連”と会話をしたと言っていました。おそらくそれは凛だったのでしょう。この子の疑いが晴れてしまいました。それでもまるで見たかのような正確な物言いに恐怖を感じました。この子こそ、本当に聞こえていたのではないかと。永連さまは永く言い伝えたがゆえに本当に神仏としているのかもしれない……と。この子は凛を見つけた使用人の名前すら当てたのです」
「それで、連ちゃんの死を隠して、凛ちゃんを巫女とした……と」
「……そうです。」
凛ちゃんの小さな体を見ていると、幼いながらもとんでもないことを経験したのだと驚いた。
あまりにも自分がいる日常とは違う世界で、未だにこういった風習があることにも驚いたし、彼女が本当に巫女としての力を持っていたのならあの不思議な雰囲気にも妙に納得いくような気がした。
三人がちょうど一呼吸をついたころ、凛ちゃんの指先がかすかに動き、それに気づいた母親は顔を覗き込むとゆっくりと目が開けられた。
「……」
「……凛!」
母親は彼女の本当の名前を呼ぶ。
喉を傷つけた凛ちゃんはぱくぱくと口を開けているが声は出ない。
「僕、医者を呼んできます」
「あぁ、凛……よかった。よかった」
手を握ってすがりつく母親と俺を認識した凛ちゃんは、途端に涙を溢れだした。
寝起きではあるが、手や足は問題なく動かせるようだし、こちらの会話も聞こえているようだ。
「分かる?ここは病院だよ。声が出ないのは、傷がついているからなんだ。喉はまだ触っちゃダメだからね」
俺の言葉にゆっくりと頷く彼女の目元を拭ってあげると少しうれしそうに目を細めてくれた。
それでもなお口を動かしてなにかを伝えようとする彼女は、声が出ないことを実感すると俺の荷物を指差した。
「あ、そうなんだ。俺もう少ししたら帰らなくちゃいけなくて……でも目を覚ましてくれて良かった。これで安心して帰れるよ」
彼女はまた涙を流していた。
もう一度拭ってあげようと近づいたとき、羽野さんが呼んで来た医者が声をかけてきた。
「目を覚ましたんだね、よかった」
手早く涙を拭ってあげ、
「お医者さんだよ」
俺たちは入れ替わるように廊下に出て診察が終わるのを待った。
「一之瀬君、電車の時間あるだろう?駅まで送るよ」
「あ……じゃあ、最後にもう一度顔を見てから」
慌しいが、余分なお金もないためこれ以上長居はできなかった。
出てきた医者は母親と症状などを話していたが、俺はその間にもう一度病室へと入る。
こちらに気づいた凛ちゃんは目を細めて笑っていた。
「そろそろ帰らないといけないんだ。すぐは無理でもまた来るから、絶対来るからね」
そういって約束するように手を握ると、彼女は俺の手のひらに指で文字を書いてきた。
「バ……イ……バ……イ?」
合っていたのかにっこりと笑う彼女に、俺もつられて笑顔を向ける。
「うん、じゃあゆっくり休んで早くよくなってね。ばいばい」
最後にもう一度手を握って笑い、廊下で母親に挨拶をすると羽野さんとともに病院を後にした。