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反撃

 五時を回る頃、悠は帰り支度をしていた。

 最近の自主練習も厭きたのかと、部長は特に何も言わないが、鍵を返しに行くのが面倒とこぼしなら職員室へと行く。

 今から急げば美琴の帰宅時間に間に合う。メールや電話ではなく、直接面と向かって会話したほうがいいだろう。

 そう考えた彼は、駐輪場から自転車にまたがると、颯爽と校門を後にした。


 吹っ切れたといえば嘘になる。

 二人がキスするところを見たのだし。

 まともに話すことができるのだろうか?

 少し前までなら平気だった……だろうか?

 いや、違う。

 メールでのやり取りが増えたのに、電話はできなかった。

 彼女を避けていた。

 顔を合わせない、現実を薄くさせたメールでの繋がりにかまけて……。


 ――美琴……!


 つま先でペダルを踏む。身体を強張らせて姿勢は低く、風の抵抗を受けないように。

 まるで競輪選手のようなスタイルは、通学用の自転車には似つかわしくない。

 それでも彼は漕ぎ続け、六時を回る頃には家が見えてきた。

 向かいの家の二階の窓を見る。

 暗がりでカーテンは敷かれていない。

 ――間に合った。

 ほっと一安心する悠は自転車を漕ぐのをゆっくりにする。

 途端に汗が噴出し、シャツがぺたぺたと張り付き始める。

 それは秋風に煽られ、寒気を残して消えていく。

「まだ……だよな……」

 そう思った矢先、通りの向こうに見知った人影があった。

 濃紺のブレザーと膝上五センチのスカート。ポニーテールをふわふわ揺らすのは、細めの女の子。

 ――美琴!

 駆け出したい気持ちが沸き起こる。

 先ほどまでは会って何を話せばよいか、自分のへたれ具合をどう見つめるか悩んでいたのに、こうして彼女を見ると、それもわからなくなる。

「あれぇ? 悠じゃん。どしたん? 今日は早いね〜」

 彼女も彼に気付いたらしく、ぱたぱたと走ってくる。

 それが、単純に嬉しかった。


「ああ、試合も無いし、俺も来年は受験だからさ、早く帰るようにしようかって思って……」

「ふうん、そうなん。よかったわぁ……」

「え? なんで?」

「だって、悠が就職とか似合わんし、それに、ウチだけ大学生で遊ぶ〜なんてできんし……」

「俺だって地元に残るかわからないぞ? ほら、剣道強いところ行きたいし」

「そっか、悠は剣道続けるん」

「ああ、俺にはそれぐらいしかとりえないし」

「そんなんないって……。悠にはええとこたくさんあるよ」

 にこやかに笑う彼女。子供の頃から見てきた二人だからこその、信頼のある言葉。

 何も変わってない。そう感じられる。

「なぁ、最近……」

「そういえば、悠……」

「あ」

「えと」

 お互い言いかけてやめる。

「どうぞ」

「そっちこそ」

 昔なら悠が美琴に譲っていた会話。

 けらけら笑いながら話す美琴に、いつも肝心の話したいことを忘れてしまっていた。

「じゃあ、俺からな。最近、なんかカーテン閉めてるけど、どうして?」

 だが、今は譲れない。譲らないためにも譲れないのだ。

「どうしてって……、それは、その……」

 いいにくそうにうつむく彼女。もし和子の予想通りなら、それは……。

「俺も勉強がんばる。美琴も一緒にがんばってるなら、それが励みになる」

 おかしな理屈と思いつつ、そう告げる。

「そう?」

「ああ……。っていうか、誰かが監視してないと、すぐに嫌になるんだよな……。ほら、少し前はさ、美琴がいたから、勉強とかしっかりしないと怒られるって思ってさ」

「そんなん……、それいうなら悠やって、ブラインド閉めてるじゃん……」

「ああ、そういえば……」

「ならウチも閉める〜」

「じゃあ、俺がブラインド開けたら?」

「あけたら……、あけたらどうしよ……」

「別に俺はやましいことしてるわけじゃないし、美琴がいやじゃないなら、ブラインドどころか窓だって開けとく」

「いや、窓は閉めてな?」

「はい」

「ん〜、そっか〜、そうなんなぁ〜」

「いや、別に無理になんていわないよ。美琴が勉強に集中したいからそうしてるんだろうし、変なこと言って悪い」

 作戦は失敗かと思いかけたとき、美琴はうんと頷いて彼の鼻をちょんとつつく。

「いや、いいんよ。ウチが悠のこと監視してあげる。だから、来年は一発合格するんよ? 一緒に大学生になるためにね」

「ああ、がんばろう……」 納得がいった様子で頷く彼女。騙しているところもある悠は、むしろ彼女の目が見られないが、そこらへんは暗がりがフォローしてくれる。

「それじゃね」

「うん。そいじゃ……」

 思わぬ約束を取り付けた悠だが、少し思い出して振り返る。

「なぁ、美琴は何を話したかったんだ?」

「ん〜ウチ? えっと、悠も最近彼女さんと上手くやってんのかな〜って!」

 声を大にして言う彼女に面食らうが、言い切るだけで言い切ると、彼女はそそくさと玄関に消える。

 それは誤解なのだといいたいが、余計なことを言えば和子にも迷惑がかかると、彼も家に入った。


**


 ブラインド全開にして机の前に座る。

 向かいの窓では既に美琴がスタンバイしており、にこやかに手を振ってくる。

 窓を開ければ会話もできる距離だろうけれど、四方数メートル範囲に筒抜けの会話もしゃれにならない。

 手持ち無沙汰でいるのも無意味と、悠は勉強道具を取り出す。

 まるっきりの剣道バカというわけでもない彼は、明日の予習でもすべきと、数学の教科書を開く。

 向こうも始めたらしく、ちらりと視線を送ると、参考書片手に首を捻っていた。


 しばらくして、美琴が動く。彼女が部屋を出たのを確認してから悠も道路のほうを見る。

 菅原牧夫がいた。

 今日は比較的カジュアルな恰好で、これから勉強という雰囲気ではなかった。


 牧夫は彼女の部屋に上がったと同時に窓際に立った。

 きっとカーテンを閉めるつもりなのだろう。

 しかし、それを美琴が制し、何かやり取りをしているのが見えた。

 それもやがて収まり、授業が始まっていた。

 彼は彼女より少し離れた場所に立ち、英語かなにかの教科書を手にしていた。

 悠はその様子を見たあと、笑いがこらえられなくなり、手近にあった漫画を開いてカモフラージュする。

 その後も牧夫は美琴の周りをうろうろするだけで、特別な行動は一切しなかった。


 帰り際も美琴は玄関先での見送りのみで、路上での抱擁はお預け。とぼとぼと帰路につく牧夫に、悠はようやく一矢報いたと感じた。


**――**


 開校記念日の朝、悠は霜模大野の駅の前にいた。

 十時を回った頃のせいか、駅に人はまばらで、遠くからかけてくる和子を探すのも苦労しなかった。

「お待たせしました、悠先輩……」

「一体どうしたの? その恰好」

 デニムにパーカー、ついでに大きめの眼鏡、目深に被った帽子と怪しさ全開の和子に、悠は面食らう。

「私は先輩と違って過去があります。だから、万が一を考えて、変装をしてるんです」

「なるほど……」

 言われてみればそのとおりと、悠は頷く。

「それじゃ、行きましょうか……」

「ああ」

 並んで歩く二人だが、手を繋ぐわけではない。デートというには、あまりにも酷な過去が女の子の肩にかかっているのだから……。


**


 大勢の人が行き交う大城大学正門を前に、悠はどぎまぎしていた。

 出る人も入る人も身分証の提示を求められるわけでもなく、フリーパス。必要なのは運送業者ぐらいのもの。

 堂々としていれば良い……、はずなのに、悠はどうにも身構えていた。

 和子はというと、これまた堂々としており、自然と悠が彼女に付き従うという風になる。

「先輩、もっとしゃきっとしてくださいよ……」

「だってさ、なんか悪いような……」

 入り口にあった立て札には_関係者以外立ち入り禁止としっかり書かれている。

 オープンキャンパスならともかく、平日において、はっきりいって二人は部外者だ。

 そもそも、キャンパスの中でたった一人を探し出すことなどできるのだろうか? もし講義のスケジュール的に休みだとしたら? 事前に何も調べていない悠は、その無計画さに舌打ちする。

 しかし、和子はというと、目的があるらしく、ずんずんと進んでいく。

「和子ちゃん」

「なんです?」

「どこに行く気?」

「部室です」

 さも当然という様子の和子は、徐々に早足になる。

「部室?」

「ええ、牧夫は映像研究サークルに入ってます」

「なんで……」

 知っているのかと聞きそうになり、口をつぐむ。彼女はあの男のあれの形も知っているのだ、些細なことを知っていたところで、別段驚けるはずもない。

「でも、入れるかな?」

「誰かいると思います。入部希望を装えば、多分いけますよ……」

 入部希望どころか入学さえしていない彼女。豪胆にもほどがあると思いながら、悠は他に策が思いつかない。

 そうこうしているうちに部室棟へとたどり着く。

 二階建ての建物の一番端っこに位置する映像研究サークルの部室は、スモークのガラス越しにも部屋の散らかり具合が見え、人がいるのかわからない。

 悠はひとまずドアに耳を当てて、中の様子を確認する。

 人の気配はしないが、何かの動作音がぎっちち、ぎち、がちょと頻繁になっている。

「パソコンかしら?」

 ポストを無理やり開いて中を見る。中受けは既に壊れているらしく、散らかった部屋には二台のデスクトップとノートブックが一台、それらは青い光を出しながら、何かをしていた。

 無人を確認した悠がドアノブを動かすと、それは抵抗なく開いた。

「無用心だな……」

 ここまできたらもう遠慮することもないと、悠は部室に勝綬に上がり込む。

 手近にあったマウスをちょんと触ると、画面がぱっと開き、何かの作業を伝えるバーがせわしなく動いている。

「なんだろ……」

 普段パソコンを使わない悠には、触ってよいものなのかわからないが、和子はお構い無しにマウスを動かし、いくつかのフォルダを開いては閉じるを繰り返す。

 3gpと書かれたフォルダを見つけたとき、彼女の手が止まった。

「どうかしたの?」

「いえ、なんでも……」

 そのフォルダが開かれると、さらにファイルが見えた。

 ファイル名は全て数字。最初は何のことかわからなかったが、どれも八桁の数字から始まり、先頭二桁は20。

「それってまさか……、なわけないか……」

 ここは映像研究サークル。自主制作の映画と、その日付に過ぎないだろうと思い至る。

 しかし、和子は無言のまま、ある一つを選択すると、かちかちっとクリックする。

 画面に小さく開くウインドウ。赤、白、黄、青のバーが並んだと思ったら、急に暗転し、今度は青い画面が出る。

 ファイルと思しき数字が出た後、どこかの部屋の様子が映し出された。

 こぎれいなベッドと本棚、クッション、タンスに机。CDラックと散らばった漫画。部屋の様相はピンクが基調槌なっており、部屋の主が女の子であることを想像させる。

 やがて扉が開き、誰かが入ってくる。白のニーソックスとブルーのプリーツスカートが見えた。

 そしてもう一人。こちらは黒のスラックス。

 視界は下向きで、顔が見えない。

 女の子と男はしばらく談笑したあと、英語で話し出す。たどたどしいそれは、お決まりの定型句ばかりなので、教科書や参考書のものだとわかる。

 おそらくは、家庭教師の風景だろう。つまり、この男は牧夫ということ。

 ねっとりとした唾が悠の口内に溢れる。

 もし彼の思うようとおりであれば、この動画は……。

 和子はシークバーを小刻みに動かす。

 その動画は、勉強の様子を隠し撮りしていただけで終わっていた。

 何も不自然なところは無い……のだろうか? そもそもどうして盗撮をしているのか? それが一番不自然なところ。

 動画が最後まで再生されたところで、自動的に次の動画に移る。

 ナンバリングのあと、暗転。そして、再び例の部屋。先ほどと何も変わらない。

 そこまでは。

 やってきた女の子は、今度は最初からベッドに座っていた。

 脚をぶらつかせ、そのたびに太ももの奥を覗こうとしてしまう、悲しい悠。

 けれ追、その期待はすぐに応えられ、牧夫と思しき男が彼女をベッドに押し倒す。

「なっ!」

 強姦の類ではないが、それに類するもの。少なくとも彼女はこの撮影のことを知らないであろうし、知っていたとして、それを大学のサークルのパソコンに入れることを許可するはずが無い。

 和子はさらにシークバーを動かし、動画の内容を確認する。

 ベッドに横たわる女の子はアイマスクをしており、男が撮影していることに気付いている様子もない。

 さらにジャンプしたところでは、よつんばいになった少女が後ろから男に突かれ、身体を仰け反らせていたり……。

「おい、和子ちゃん……もう十分だろ……」

 これがアダルトビデオの類なら、悠も気兼ねなくというわけにはいかないが、後ろめたさもない。けれど、にじみ出る悪質さ、異様さに、倫理観が拒否する。

「はい……、すみません……」

 彼女はようやく動画を消す。

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