彼女の彼氏
帰り道、悠は携帯を耳に当てて、再生ボタンを押す。
十八秒後にもう一度、もう一度、もう一度……。
ノイズ交じりの声。聞きなれたはずの美琴のそれは、上ずり、高く、色合いを彼の知らないものとしていた……。
友達と居ただけかもしれない。
彼女がそう言っていたのなら、それを信じてあげてもよい。
所詮は他人同士、いつかは別れの来る関係なのだし、今がその時期。
来年はお互い受験がある。
彼女は地元の大城大学。自分は、剣道の強い大学を探せばいい。県外で。
学力に自信が無いが、今日のような成績を残すことができれば、きっとどこかにもぐりこめる。だから、問題ない……。
自然と溢れるモノを、悠は上を向いてしのいだ。
**
「あら、ハルちゃん……、お帰り……。今日の試合どうだった?」
玄関をくぐろうとしたところで呼び止められる。相手は向かいの江成さん。美琴の母、恵子だった。
「え? あ……、はい! 今日はすごいっすよ!」
慌ててリュックから盾を取り出す悠。厳かな想定のそれは、参加賞でないことぐらい一目でわかる。
「すごいわね、ハルちゃん。優勝? したの?」
「ええ。まぐれですけどね……」
まぐれで優勝できるはずもないが、謙遜の言葉を他に知らない彼は、それしか言えず、頭を掻いていた。
「そういえば、美琴は? ハルちゃんの応援に行くって早くに出たんだけど、一緒じゃないの……」
「え!?」
突然大声を出す悠に恵子も一緒になって驚く。
「べうしたの? そんな大きな声だして……」
「いえ、あ、ああ、美琴なら友達と用があるからって、だから、別になって、それで……」
「ふうん。そう……」
どこか納得いかないといった恵子だが、話題を膨らませまいとする悠は一礼すると、門をくぐる。
**
玄関を開けて、階段を駆け上がる。
汗で湿ったシャツも気にせず、彼はベッドに飛び込むと、声を上げずに泣いていた。
おそらく二人の予想通り。
慌てた意味も理解できる。
彼女がどこに居たのかはわからない。
けれど、誰と居たかはわかる。
それは辛いことだが、耐えるべきこと。
しかし、辛いのは別にもう一つ。
彼女が嘘をついたこと。
自分にではなく、自分を利用して嘘をついたこと。
それを知ってしまったことを呪う。
首を突っ込んできた弘樹? 和子? 真実への道筋を立てた恵子を? それとも元凶であるあの男?
違う。
憎悪の向こう側に居るのは、美琴。
涙が溢れる。
とめどなく。
それは枕を濡らす。
叫べば紛れるかもしれない。
けれど、悟られるのが怖い。
自分勝手な失恋は、罅割れた気持ちの隙間にしまっておきたい。
誰にも言わず、いつか笑える日が来るまで……。
**――**
「おら、もっと気合いれろ!」
「おっす! 先輩!」
怒声に似た掛け声が行き交う剣道場。
同部の快挙は既に他の生徒の知るところにもあり、放送部や写真部、新聞部などがヒーローを求めてやってくる。
それも相成ってか、試合が終わって初めての部活は、非常に活気のあるものだった。
道場の隅で取材を受ける悠は、ぎこちない作り笑いでインタビューを受け、快挙を表彰する盾と賞状を手に、フラッシュを浴びる。
午前中はというと、クラスメートからなんやかんやとはやし立てられ、中には脳い視線を向ける女子もちらほら。
道場の周りにもミーハーな女の子が多く、マネージャー希望と言っていたが、部員兼マネージャーの和子が、年季の入りすぎて異臭を放つ防具を片手に追い払っていた。
女子数人から睨まれていたが、彼女としてはむしろ善意だと話していた。
――そういえば、二人とも仲いいな……。
昨日の唐突の告白のあと、その後は見ていない。
ただ、今の雰囲気から、ただのお友達というわけもなく、何かあったのだろうと邪推してしまう。
――昨日は散々いびられたし、このツケはでかいぞ……。
悠が竹刀を握り直すと、パチパチシャッターを切られる。
「こっち見てください。もう一枚いきます……」
アナログなカメラとデジタルカメラを交互に使うカメラマンは、真剣な表情で臨んでおり、むしろ彼のほうが気負ってしまう。
「……ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。これで入部希望者が増えるといんだけど……」
「そうだね。でも、なんかこう、華が無いから」
「おいおい、言うなよ、そういうこと。たしかに剣道って地味だけどさ……」
「いや、被写体がさ」
「被写体? 俺?」
「うん。なんか思ってたのと違うんだよ……」
面と向かって華が無いといわれるのはさすがにカチンとくる。精神修養なんのその、悠は彼を睨みつける。
しかし、当のカメラマンは飄々としており、さらにカメラを向けるので、悠は反射的に笑顔を作る。
「それ! それがなんか違うんだよね。なんかさ、高槻君、作ってない?」
「何を?」
悠は、一瞬、怒りも忘れてぎょっとする。級友達にもばれていないはずの内面が、初めて会った写真部の彼に見抜かれる。それほど自分はわかりやすい性格なのかと悩んでしまう。
「いや、何をって言われるとわかんないんだけど、でも、写真ってそういうのわかるよ。ほら、結局写真って一瞬を保存しちゃうでしょ? だからさ、波みたいな感情とかも全部固めちゃうんだよね……」
「波みたいな感情を固める……」
「雰囲気をそのまま保存するっていうのかな?」
それはおよそ精神統一とは違うこと。怒りや嫉妬、悲しみ、欺瞞に蠢く彼の気持ちは常に波打っている。
それは否定しない。
そして、ファインダー越しにそれを見るカメラマン。
彼はその一瞬一瞬を脳裏で現像しているのかもしれない。
そこに浮かび上がる自分は優勝の盾で素顔を隠す、惨めな泣き虫なのかもしれない。
「そういや、名狙聞いてなかったな。俺は……、もうわかってるか」
「僕は写真部の佐藤、佐藤重明ね。二年三組ね。大槻君とは多分、今日が初めてかな? 話したの」
「ああ、多分」
おそらくこんな機会でもなければ接することも無いのだろう。
ただ、彼のいう言葉に、悠はなぜか興味を持ってしまっていた。
「今度、写真の撮り方とか教えてくれよ……」
「え?」
「なんとなくさ、気になって……」
写真に興味があるわけではない。重明が打ち込んでいる写真に興味がある。彼はファインダー越しにどのようなものを捉えているのか。それが知りたい。
「いいけどさ。気が向いたら部室に来てよ。木曜なら遅くまで現像室に居るし」
「ああ、多分いく。うん、きっとな……」
「そのときは珈琲ぐらいだすよ」
手を振りながら去っていく彼。その前にせっかくだからと、女子部員達にパシャパシャとシャッターを切っていたので、そのうちそれも見せてもらおうと誓う悠だった。




