増殖するシミと、汚れの避難先
「マーサ、ちょっと」
呪いの残りを見つけたリアロマだが、口調はいつもと同じのんびりとしたものだった。
「なあに? どうかした?」
マーサもいつもと同じ調子で返す。
「マーサ。そのポケットの中にあるものは、もう『並』ではなくなってる。ちょっと見せて」
リアロマは相変わらずいつもの調子だ。「逃げ出した呪い」という、下手をすれば、ここからも逃げてしまう可能性がある厄介ものを前にしてもふわふわとした様子のままだ。
「どういうこと?こんなの普通のハンカチよ」
マーサがエプロンのポケットから取り出したのは、彼女がいつも愛用している、何の変哲もない白い麻のハンカチだった。
「これ? これは別に掘り出し物じゃないわよ。私がずっと使ってる……っ、嫌っ!? なにこれ、どうなってるの!?」
マーサが悲鳴を上げた。
彼女の手の中にあるハンカチの中央から、漆黒の、脂ぎったシミが生き物のようにじわりと広がっていたのだ。それは単なるインクの汚れではない。布地が意思を持って「黒く変質」していくような、生理的な嫌悪感を呼び起こす蠢き。
ティーポットカバーから弾き飛ばされた呪詛の波動が、マーサの私物であるハンカチに逃げ込み、そこで猛烈に自己複製を始めたのだ。
(なるほど。逃げ場を失った不衛生な呪いが、最も近くにあった『最も白く、最も吸収率の良い器』へ移り住んだってことね。もう、なんて悪質な色移りなの)
リアロマの目には、ハンカチの繊維の奥で、古代の呪詛が猛烈な勢いで増殖し、マーサの手肌へ、そして彼女の服そのものを侵食しようとうごめく様がはっきりと映っていた。
呪いは今や、自らを「洗濯」しようとしたリアロマへの怒りに燃え、より攻撃的な波動へと変質している。
「あ、洗わなきゃ! 今すぐ水で……」
「待って!触っちゃダメ!」
さすがにそんなものを素手で触っては危険だ。リアロマはマーサの手首を掴み、鋭く制止した。
その瞬間、ハンカチから黒い霧のような触手が伸び、マーサの顔を覆おうとする。リアロマは即座に指を鳴らした。
「……静まりなさい、不衛生な」
パチン、という音と共に、ハンカチの動きがピタリと止まった。漆黒の霧はリアロマが放った干渉波によって、ハンカチの表面に「黒いシミ」として固定された。
「マーサ。このハンカチと、それから……シミが移りかけているそのエプロンも、全部渡して。……この汚れは、一度認識した『標的の波長』を追いかけてくるみたい。捨てても、明日には別の衣類に乗り移っていくよ。なんというか、執着という名の汚れは、繊維の奥に根を張っていくというか」
「そ、そんな……。リアロマ、どうすればいいの?」
「浸け置きかなあ。……これほど芯が強い汚れは、時間をかけて特別な水をなじませて、その本性を浮かび上がらせるのが効果的かな。終わるまで預かるよ。……期限の日には、元の『並』の状態に戻してお返しすると約束するよ」
震えるマーサを宥め、予備の清潔な布を貸し出して帰した後、リアロマは即座に店に「準備中」の札を掲げた。
彼女は店の奥にある、銀の洗い桶に、問題のハンカチを沈めた。
そうして準備を整えていると、腰の魔導検知器を狂ったように鳴らしながら、公爵の側近であるゼノが転がり込んできた。
「リアロマ殿! 街の各地で呪いの魔力反応が出ている!震源地は……なっ、なんだその桶の中は!? まるで奈落の底を覗いているような禍々しさではないか!」
「ゼノ様。騒がないでください。……ただの頑固な汚れです。今、じっくりとふやかしているところですから」
リアロマは漆黒に染まりゆく桶の水を見つめながら答えた。




