古道具屋の掘り出し物と、並の『匂い抜き』
港を埋め尽くしていた漆黒の重油が、リアロマの「ふやかし」によって無害な泥へと変えられた翌朝のことだ。
シズナ港ではカイル公爵が陣頭指揮を執り、騎士たちが剣をシャベルに持ち替えて泥の掻き出しに追われていたが、洗濯屋『なみまつ』の店主リアロマにとって、それは昨日済ませた「広域の拭き掃除」に過ぎなかった。彼女は今、カウンターに生けた一輪挿しの水の屈折率が、完璧に「並」の透明度を保っているかどうかに一番心を砕いているところであった。
「おはよう……リアロマ……ちょっと、これを見てもらえないかしら」
店に現れたのは、近所に住む常連の主婦マーサだった。いつもは快活な彼女だが、今日はどこか顔色が青白い。その手には、古道具屋で安く手に入れたという、使い古された革製のティーポットカバーが握られていた。
「安かったし、細工も綺麗だったんだけど……なんだか変な匂いがするのよ。自分で何度も洗ったし、香草と一緒に干したりもしたんだけど、どうしても雑巾が腐ったような……いえ、もっと古い、何かが湿って腐り果てたような嫌な匂いが取れなくて。それに、このカバーでお茶を淹れると、ポットの中から誰かの啜り泣きが聞こえる気がするの」
リアロマはそのカバーを受け取った。指先を革の表面に触れ、探査のため振動の波を放った。その波はカバーの奥に澱む不純な塊を瞬時に捉えた.
(なるほど。この奥の塊、負のエネルギーが出している不快な感じ、それがにおいとして出てきているということでしょうか。前の持ち主の死の間際の未練が、不衛生な残留思念として革の毛穴の一つ一つに寄生してる。それが、一定の周波数で自己増殖を繰り返している状態ってところかな?……このままでは、淹れたお茶まで『呪いの味』に変質してしまいますね)
リアロマは、不快な塊を秘めたそれを、単に「管理の行き届いていない、極めて不潔な日用品」と感じた。でも、自分の力で洗えそうだ。
「安心して、マーサ。これは少し、匂いの根が深いだけよ。徹底的に匂い抜きをして洗って、並の状態に戻しましょう」
「今すぐ? でも、これ革製だし、すぐには乾かないわよ。魔法でも使うの?」
「ううん、まあ、ちょっとした家事のコツは使うわね。なんというか、要は、奥のほうで固まっている汚れを、追い出せばいいのよ」
リアロマはカバーを軽く宙に放り投げた。
それと同時に、彼女の指先から波――塊を狙い撃つ超音波――が放射される。現代では超音波洗浄と呼ばれる技術だ。
キィィィィィィィン……!
空中で静止したカバーが、目にも止まらぬ速度で微細に震えている。革の柔軟性を損なう低周波をカットしつつ、凝り固まった負のエネルギーを狙い撃ちして粉砕していく。マーサの耳には、それはただの「乾いた風の音」に聞こえたかもしれないが、実際には、その負のエネルギーが落とされたのち、細かいちりとなり、店の換気扇から「ただの無害な埃」として排出されていた。
「はい。終わった。……これで啜り泣きも聞こえなくなるはずだよ」
リアロマがキャッチしたカバーは、先ほどまでの黒い気配が嘘のように消え、新品のようなしなやかさと、陽だまりを凝縮したような清潔な香りを放っていた。
「まあ! 嘘みたい、あんなに臭かったのに! さすがリアロマね!」
マーサは歓喜し、カバーを受け取ろうと手を伸ばす。
だがその時、リアロマの瞳がマーサのポケットから覗いている「白い麻のハンカチ」に、ある致命的な異変が起きているのを捉えた。
ティーポットカバーという宿主を奪われ、消滅しかけていた負のエネルギーすなわち「呪い」の残滓が、生存本能に近い執着で、最も近くにある「清潔で、吸水性の高い器」へと飛び移るのが見えたのだ。




