不眠の再発? 脳波の微調整
領主館の「洗濯」から三日。
カイル公爵は、人生で最も幸福な三日間を過ごしていた。リアロマが整えた「並」の環境は、泥のような深い眠りと、羽毛のように軽い目覚めを彼に約束してくれていたのだ。
だがその平穏は、続かなかった。
彼は重々しく、再度、洗濯屋『なみまつ』の戸を叩いた。
「……リアロマさん。……また、駄目だった」
現れたカイルは、数日前の活気が嘘のように、幽霊のような足取りでカウンターに沈み込んだ。その瞳の奥には、どす黒い「澱」のようなものが揺らめいている。
「まあ。三日前に屋敷全体を洗濯して、環境を整えたんですけどねえ。……公爵様、失礼」
リアロマは彼の額に手をかざし、その波動を読み取る。
まっさらになったはずのカイルの精神波に、奇妙な粘着質なノイズがまとわりついていた。
「あら……。これは、建物の汚れではありませんね。外部で浴びてきました?しかも、繊維の奥まで無理やり押し込まれちゃっているわ」
「……昨晩、王都から来た特使のギルバートと会食したんだ。奴は今朝早くに王都へ引き上げたが……。奴が口を開くたびに、耳から脳へ直接泥水を流し込まれるような感覚に襲われて。去った後も、そこから一睡もできない」
背後で控える側近ゼノが、苦渋に満ちた表情で補足する。
「特使の魔力は、こちらの精神防御を針の隙間を通すように抜けて、直接意識を逆撫でしてくる極めて質の悪いものです。浄化魔法も弾かれました。もはや呪いというより、精神の形そのものを強引に歪められているようです。やられたことはわかってもそれを指摘するわけにはいかない……ままならないものです」
ゼノが貴族の面倒さをつぶやく。
それに対して、リアロマは鼻を小さく鳴らした。彼女にとって、それは公爵への攻撃である以上に、「自分が仕上げた作品(最高の睡眠状態)への汚損」だった。
「せっかく並のコンディションに整えたというのに、無作法な特使ですね。……公爵様、これは普通の洗濯では落ちません」
「普通の洗濯?ああ、浄化魔法のことか。君には直せるのか……?」
「ええ。少し熱めのお湯で、汚れの成分を浮かせる感じでやれば。そのあと疲れのシワを伸ばす、仕上げのアイロンがけを行いましょう」
リアロマがカイルの側頭部を両手で挟み込む。
放たれたのは、針の先のように鋭く、特定の周波数だけを狙い撃ちする局所共鳴。
特使が植え付けた粘着質な魔力波を、微細な振動で「乳化」させ、カイルの精神から引き剥がしていく。
「あ……。頭の中の『ヌメリ』が、消えていく……」
「動かないでくださいね。汚れを落とした後は、仕上げです。これで余計な不安も蒸発しますから」
カイルの頭部に、心地く、温かい波が走る。
それは、太陽の熱をたっぷり吸い込んだ厚手のタオルで、優しく頭を包まれているような感覚。ガタガタに波打っていた彼の脳波は、リアロマの指が通るたびに、美しい正弦波へと整えられていった。
「……ふぅ。はい、これでまた並の状態です。除菌もしておいたので、しばらくは汚れにくいですよ」
リアロマが手を離すと、カイルは深く長い息を吐き出した。その表情には、戦場を生き抜く公爵としての鋭い覇気が戻っていた。
「救われた。……リアロマさん、君が言った通りだ。あの男は『不衛生』だった。二度とこの街には入れん」
「ふふっ。次にまたあんな不衛生な方が来たら、その時は私が直接、煮沸消毒して差し上げましょうか?……さて、公爵様。私はこれから溜まっているシーツを干さなければなりません。お相手はできませんが、ごゆっくりしていってくださいな」
リアロマは満足げに、公爵を店の外へと促した。




