街ごと『すすぎ』洗い
港に着いた時、ゼノも自分の役割を果たしていた。
騎士団が問題の船を桟橋に押さえ込んでいる。船主は甲板の上で騎士たちに囲まれ、降参の姿勢を取っていた。ゼノが検知器を手に船に乗り込んでいくのが見えた。
「リアロマ殿、間に合いました。甲板下に魔導具の反応があります。例の霧の発生装置に間違いありません」
リアロマとカイルも船に乗り込んだ。甲板下の積み荷の間、木箱の中にその魔導具があった。蓋を開けると、複数の魔石が格子状に並び、細い管で繋がれている。管の先は船底の通気口へ繋がっていて、そこから街へ向けて霧に紛れた塵を吐き出す仕組みだ。
ゼノが検知器を装置へ向けながら、拘束した船員の一人を振り返った。
「この装置の解除方法を教えろ」
船員が薄く笑った。
「知らねえよ」
ゼノが装置に向き直り、検知器の目盛りを確認した。魔石を一つ指先で軽く叩き、ほんの僅かに魔力を流す。検知器の針が激しく跳ね上がった。
「……連鎖爆発のリスクがあります。起点となる魔石を間違えると、全体が誘爆する設計です」
ゼノは隣の魔石にも魔力を流した。また針が跳ねた。
「……どの石から崩せばいいのか。私の力ではかなり時間が……」
「どのくらい」
「2,3日はかかるかもしれません」
カイルがゼノから装置へ、装置からリアロマへと視線を移した。
「すまない、リアロマさん。君の力でなんとかなるか?」
「見てみます」
リアロマとしても洗濯物が干せない期間が長くなるのは困る。
木箱の縁に指先をかけ、波紋を装置の内部へ向けて送り込んだ。格子状に並んだ魔石の構造を読んでいく。魔石はそれぞれが固有の振動を持ち、繋がれた管を通じて互いに共鳴しながら稼働する設計だった。精巧ではあるが、共鳴の起点になっている魔石が一つある。そこから順番どおりに崩していけば爆発することなく、ほどけるようだ。順序を間違えれば、共鳴が乱れて誘爆する。
(……ここからね)
魔石と装置全体のリズムに合わせて波を送り始めた。魔石の結合が内側からほどけていく。かちかちという音が連続して起き、規則性の見えない複雑な順番で魔石が光を失っていった。管の中を流れていた魔力が途絶え、通気口からの霧の流れが止まる。
最後の一個が沈黙した。
木箱の中はただの石と金属の塊になっていた。
「……終わりですか」
ゼノが呟いた。測定器の針が、するすると下がっていくのを見つめている。針はゼロになった。
「終わりです」
「わかりました。残骸の分析を行います。どこで作られたものか、追えるかもしれません」
拘束された船員が、薄笑いを消して黙り込んだ。
船を降りたリアロマは、港の石畳を一度、足元から読んだ。数日分の塵が、石畳の目地にまで入り込んでいる。建物の壁も、軒先も、屋根も同じだろう。
町の汚れが、許せなかった。
「カイル様、住民の方に屋内にいるよう言っていただけますか」
「わかった。不審船の件で騎士団が動いているし、その延長で何とかしよう」
カイルは理由も聞かず快諾した。それから半刻もしないうちに、騎士団が「安全確認が取れるまで屋内待機」の布告を街中に触れて回った。住民が次々と家に入り、路地から人が消えた。
街が静かになった。
リアロマは港の石畳の中心に立ち、目を閉じた。
足元に波紋を広げた。石畳の目地を伝い、路地から路地へ、広場へ、丘の上の教会まで。街全体の固有振動数を丁寧に読んでいく。石造りの壁、瓦の屋根、木製の窓枠、石畳。それぞれが持つ響きを確かめ、全体を一枚の布として捉える。
(……大きな洗濯物ですね)
その固有振動数に合わせて、波を送り始めた。
強い振動ではない。布地の表面を軽く叩いて塵を落とす時のように、ごく薄く、建物の表面だけを震わせる。住民が家の中にいれば感じない程度の、静かな揺れだ。石畳が、壁が、屋根が、波紋に合わせて微細に振動した。
数日分の塵が、建物の表面から一斉に剥がれ始めた。灰色の粒子が宙に浮く。路地の空気がすすけて霞んだ。
リアロマは波紋を街全体に保ちながら、手のひらを沖の方角へ向けた。海面に向けて、静かに赤外線を放つ。沖合の空気がゆっくりと膨らみ、上昇気流が生まれる。気圧の低くなった沖へ向けて、陸の空気が引っ張られていく。
風が変わった。
街に漂っていた灰色の粒子が、するりと向きを変えて海へ流れ始めた。霧ごと、塵ごと、沖の方へと運ばれていく。
カイルが海を見ながら、ぽつりと言った。
「魔力を含んだ塵が海に入って、問題はないのか」
リアロマが答えようとした時、ゼノが割り込んだ。
「それでしたら、問題ありません」
カイルとリアロマが同時にゼノを見た。ゼノが咳払いをして、検知器を海面へ向けた。
「このシズナ沖には、特定の二枚貝が生息しています。貝類には水中の不純物を濾過して取り込む性質があります。この海域の貝は特に魔力を含んだ成分を好んで取り込み、体内で無害化します。港が長年、比較的清潔な魔力環境を保てているのも、この貝たちの働きが一因です。今回程度の量であれば、数日で処理されるはずです」
「……ゼノ様、よくご存知で」
「海洋生物の魔力分解能力は、アカデミーで習う一般教養ですよ」
ゼノが珍しく胸を張った。
丘の上の教会では、神父が窓の外を見ていた。
霧が、晴れていく。
石畳が、壁が、屋根が、少しずつ白く明るくなっていく。先日、祭壇布の相談で来た洗濯屋が帰った後の教会のように。あの時、作業の間に窓から差し込んできた、静かな白い光のように。
神父は手を組んだ。
また、あの方が見てくださっているのだろうか。
それとも——。
老いた瞳で、街を見下ろした。答えは出なかった。ただ、街が、並に戻っていくのが見えた。
昼過ぎ、街に人が戻ってきた。
住民たちは特に何も感じていなかった。午前中の屋内待機が解かれ、外に出てみると、霧が晴れていた。それだけだった。
リアロマは店に戻り、取り込んでいたシーツを干し場に出した。空気が澄んでいた。潮風が一定のリズムで吹いている。シーツが、ゆっくりと膨らんだ。これなら今日中に乾くだろう。
「よし」
小さく呟いた。
「並の仕上がりですね」




