領主館の『洗い』残し
港町シズナの小高い丘にそびえ立つ、ヴァン=シズナ公爵家の領主館。
石造りの重厚なその屋敷は、領地の威信をかけた壮麗な佇まいを見せているが、リアロマにとっては「並」以下の住環境だった。
「うん……なるほど。建物全体が、小さな悲鳴を上げていますね」
直前まではのほほんとして見えたリアロマが、玄関ホールに足を踏み入れた瞬間にそう言った。カイルが困り果てたように問いかける。
「やはり君には聞こえるか。刺客を退けた後も、この館にいると胸の奥がざわつくのだ。ゼノがどれだけ浄化魔法をかけても、生乾きの雑巾のような不快感が消えなくてな。なあゼノ」
「そうなんです。私の杖もこの通り」
魔導師ゼノの持つ杖はよく見ると小さく震えている。屋敷に染み付いた呪いの魔力に反応しているのだ。
「それはそうですよ。公爵様、改めてこの屋敷を観察してみると、設計の段階から問題があります」
リアロマが使った『観察』は現代の専門用語でいえばX線による透過観察である。彼女は天井から地下まで、その能力で屋敷の隅々を見『透』した。
「この屋敷の下には地下水脈が通っていますね? その水が岩盤を叩く微細な振動が、石造りの壁を通じて屋敷全体に響き渡って蓄積されています。そこへ誰かが負の波形を流し込んだんでしょう。結果、屋敷全体が『悪意を増幅する拡声器』に成り果てています」
「拡声器だと……!?」
「ええ。浄化魔法が効かないのは、それが『魔力』ではなく、建物の形そのものが生み出す『物理的な澱み』だからです。洗濯物で言えば、洗剤が繊維の奥に残ったまま乾かされてしまったすすぎ残しの状態といいましょうか。これでは、いくら私が公爵様を洗浄しても、ここに住んでいるだけでまた汚れが溜まってしまいますよ」
そういいながらリアロマはのんびりとした様子で玄関ホールの中心へ歩みを進めた。彼女の足が床を捉えるたび、足から放たれた振動の波紋が周囲の埃を弾き飛ばしていく。
「少し、この建物の洗濯をやり直しましょうか」
そう言うと、右足を、軽く床に踏み下ろした。
トン、と軽い音が響いた。
彼女の足元から、同心円状に広がる屋敷を覆う悪意の音響とは逆位相の波が、床を、壁を、天井を駆け抜けていく。
――スッ。
一瞬、世界からすべての色が消えたような、奇妙な「静止」が訪れた。
地下水脈の振動、負の魔力の残滓、建材同士が擦れ合う微細な軋み。それらすべての「揺れ」が、彼女が放った完璧な逆の波とぶつかり、物理的に相殺されたのだ。
「な、なんだ……? 今、何が起きた?」
魔導師であるゼノは、手に持っていた杖が震えを止めたことに気づき、戦慄した。
屋敷を包んでいた重苦しさが一掃され、空気の密度さえもが変わっている。石造りの冷たさはそのままに、まるで高原の朝のような、透き通った清涼感が空間を満たしていた。
「はい、これでおしまいです。建材の響きを整えたので、もう変な呪いも溜まらないと思います」
リアロマは逆位相によって凪状態を生んだだけではなく、建物の固有振動数を変化させ、振動による不快な音響を消滅させてしまった。
リアロマは軽やかにエプロンを整え、公爵に向き直った。
「環境の洗濯は終わりました。さて、眠れなかった数日を取り戻しましょうか。……寝室はどちらですか?今日は特別にマッサージも追加しますよ。ふわっとした綿毛のような安眠を。大げさかな?ふふっ」
豪華な領主館を「設計からダメ」とバッサリ斬り捨て、一歩で「聖域」に変えてしまった洗濯屋。カイルはもはや、彼女を救世主として拝むように、自らの寝室へと案内するしかなかった。




