古い教会のカビと、聖なる除菌
依頼が来たのは、朝市の帰り道だった。
声をかけてきたのは、港の外れにある小さな教会の管理人だった。年老いた男で、リアロマの店には時々、祭壇に敷く布の洗濯を頼みにくる顔なじみだ。
「リアロマさん、ちょっと聞いてもいいですか」
「なんですか」
「祭壇布に染み込んだ湿気と匂いが、どうしても取れなくて。もう何度洗っても、乾かしても、あの石の匂いが抜けないんですよ。……それと、これは布と建物では違うかもしれないんですが、壁のカビもひどくて。もし何かいい方法をご存知なら」
「布の方は預かります。……カビの方も、少し見てみましょうか」
教会は港の丘の中腹にあった。石造りの古い建物で、壁の所々に蔦が絡まっている。中に入ると、ひんやりとした空気と、かすかに湿った匂いがした。
天井の隅と、北側の壁に、黒ずんだカビが広がっていた。石の表面だけでなく、目地の奥深くまで菌糸が入り込んでいる。
リアロマは壁に指先をそっと触れた。石の内部から、不規則な波が返ってくる。菌糸の広がりを読む。カビの細胞壁が持つ固有振動数を探りながら、指先で丁寧に読んでいく。
(帯域が狭い。石材には届かない周波数で、胞子だけを狙えますね)
北側の壁については、石の内部の波の通り方に歪みがある。ひびから水分が染み込んでいる。そこから湿気が供給され続けている限り、カビは何度でも生えてくる。
「少し試してみます。しばらく外に出ていていただけますか。うまくいくかどうかわかりませんが」
「わかりました。……実は、ちょうど神父様が今日、祈りを捧げているんです」
「祈り?」
「ええ。この教会、来年で創建二百年になるんです。神父様が、あと百年は続けていきたいと、毎日祈っておられて。今日もずっと外で……」
リアロマは小さく頷いた。管理人が外へ出ると、白髪の神父が教会の壁に手を当て、静かに祈りを捧げていた。目を閉じ、唇だけが小さく動いている。
リアロマは祭壇の前に立ち、静かに作業を始めた。
超音波の帯を展開する。カビの細胞壁が共鳴する周波数だけを選び出し、石材や調度品には届かない帯域に絞る。天井の隅から黒ずみが少しずつ白く変わっていった。細胞壁を破壊された胞子が、粉状になって石の表面から剥がれていく。
次に、北側の壁へ右手を向けた。手のひらから、赤外線が静かに放たれる。石の内部へ、均等に、じんわりと。壁の奥まで染み込んだ水分が、表面を傷めずに蒸発していく。
その過程で、教会の細い窓から光が漏れ始めた。
外で祈っていた神父が、目を開けた。教会の窓から、柔らかく白い光が満ちている。壁に当てていた手のひらに、ほのかな温かさを感じた。
神父は、目に涙を浮かべた。
十数分後、リアロマが扉を開けた。
「終わりました。布の方はまた後日お返しします」
中に入った管理人が天井を見上げた。黒ずみが消えていた。壁も、石の目地まで、白く清潔になっている。湿った匂いも消えていた。
「……これは」
「カビの取り方は、布と建物でそれほど変わりませんでした。根が深かったですが、並の仕上がりにはなったと思います」
そこへ神父が入ってきた。清潔になった壁と天井をゆっくりと見渡し、それからリアロマに向き直った。
「リアロマさん。……見てくださって、ありがとうございます」
神父の声は、穏やかだった。
「神様が、お答えくださったのかもしれません。……この教会が、また清潔に息をしている」
「カビを取っただけですよ」
「ええ、ありがとうございます。あなたも、見てくださった」
リアロマは何も言わなかった。買い物カゴを持ち上げ、踵を返した。
その日の夕方、ゼノが店にやってきた。
「リアロマ殿、教会で奇跡が起きたと大騒ぎになっているんですが。……もしかして関わっていますか? 何かやりましたか?」
「カビを取りました。祭壇布の相談で来た方がいたので」
ゼノが額に手を当てた。ノートを取り出し、何かを書いた。
「……またですか」
「大げさですよ」
リアロマはお茶を淹れた。並の温度で。




