公爵の恩返しは、並の迷惑
数日後。
洗濯屋『なみまつ』の前に、朝露を弾く豪華な馬車が止まった。
降りてきたのは、以前の憔悴ぶりが嘘のように活気に満ちたカイル公爵だ。背後には、うやうやしく巨大な木箱を運ぶ部下たちが控えている。
「おはよう、リアロマさん! 先日はありがとう! 人生で最高に深く、清らかな眠りだった。君は私の救世主だ!」
リアロマは、白へとグラデーションした髪をふわりと揺らしながら、刺客がめり込んでいた地面を箒で掃いていた。
「それは良かったです。お礼なら頂いたクリーニング代、銀貨一枚だけで結構ですよ。」
「いや、そんなもので済むはずがない。礼として、これを贈らせてくれ」
カイルが合図すると、木箱が開かれた。現れたのは、最新式の魔導洗濯機だ。
「これなら君が腰を曲げて手洗いする必要はない。魔石一つで、全自動で汚れを弾き飛ばす優れものだ。さあ、今すぐ設置させよう」
だが、リアロマはそれを一瞥して、静かに首を振った。
「お気持ちだけいただきます。その機械、出力が荒すぎて、生地の繊維を泣かせてしまいますから」
「せ、繊維を……泣かせる?」
「ええ。機械に頼るより、私の振動を伝える方が、衣類も喜びます。ですので、お持ち帰りください。あ、営業妨害になるので、馬車も端に寄せていただけますか?」
リアロマは魔法による微細な振動で汚れを落とし、衣類に最適な周波数の振動でふんわりと仕上げることができる。変な機械は不要だった。
「も、持ち帰れだと……!? この私が、良かれと思って持ってきた国宝級の魔道具を……」
絶望するカイル。しかしリアロマは構わず、客から預かった煤けた麻布を桶に放り込む。
彼女は指先を水に浸すと、極微細な超音波振動を発生させた。
――ジュワッ。
水そのものが白く輝き、繊維の奥に詰まった頑固な油汚れを、目に見えない泡が次々と弾き飛ばしていく。彼女が軽く布を泳がせるだけで、それはまるで新品の布地のように白光を放ち始めた。
「な……なんだ、あの手つきは。魔石も魔法陣も使わず、ただの振動だけで汚れを?」
カイルの側近、魔導師でもあるゼノが目を見開く。
彼には見えた。リアロマの手から放たれる波が、物質の分子構造に完全に作用し、汚れだけをピンポイントで排除していく異常な光景が。
ゼノは咄嗟に腰の測定器を向けた。
針は、ほとんど動かない。
(……魔力反応が、ほぼゼロ? では今の振動は、いったい何で……)
リアロマは首を傾げた。
「あ、それ、邪魔ですよ。さて、公爵様。何か御用でなければ、私はこれから裏庭で乾燥作業に入りますが」
「ま、待ってくれ。せめて、これだけでも受け取ってほしい!」
カイルが差し出したのは、感謝の印としての謝礼金……ではなく、公爵家の紋章が入った正式な『招待状』だった。
「実は、あの日以来、私の眠りは劇的に改善した。だが……どういうわけか、あの領主館に戻ると、また奇妙な『不快感』に襲われるのだ。ゼノの調査では、刺客が放っていた呪いの残滓が、屋敷の構造そのものに染み付いている可能性があるという」
リアロマは「染み付いている」という言葉に、わずかに眉を動かした。
「……なるほど。汚れを放置したまま、上から香水を振りまいたような状態ですか。それは、衛生上よろしくありませんね」
「そうなんだ! そこで、君に屋敷を一度『鑑定』してほしい。もちろん、最高の洗濯環境も用意する。頼む、同行してくれないか!」
「……根深い汚れを放置するのは、洗濯屋のプライドが許しませんね。うん、わかりました。その『汚れ』、私が処理しましょう」
彼女が頷いた瞬間、カイルは勝利を確信した。
しかし、彼はまだ知らない。リアロマが屋敷を「洗濯」するということは、その屋敷の物理法則そのものが、彼女の基準に書き換えられてしまうという事態を。
「不衛生なものは、お断りです」
出発の準備を整える間、リアロマは店の隅、昨夜の残党が放った毒虫を一瞬で塵に変えた。
公爵には聞こえないパチンという音。だが、側近のゼノは背筋に冷たいものを感じていた。今、この洗濯屋の建物は一瞬だけ、あらゆる害意が生存不可能な聖域に変わったのだ。
「では公爵様。その『汚れたお屋敷』へ案内してください」




