港の荒くれ者と、並の襟汚れ
港の一角に、よくない空気が漂っていた。
洗い上がったシーツを抱えて干し場へ向かっていたリアロマは、路地の入り口で足を止めた。男が三人、若い行商人を壁際に追い詰めている。どこの顔かは知らないが、港によく出没する荒くれ者たちだ。怒声が石畳に反響して、朝の空気を汚している。
(……うるさいですね)
それより気になるのは、三人の襟元だった。遠目にも、繊維の奥まで黒ずんだ汚れがこびりついているのが見える。潮と汗と油が何層にも重なった、相当に根の深い汚れだ。あれでは首筋が蒸れて仕方がない。
「おい、荷を置いていけ。それだけでいいんだ」
「や、やめてくれ……」
行商人の声が裏返る。リアロマはシーツを抱え直し、三人の背後へ、のんびりと歩み寄った。
「あの、すみません」
声をかけると、三人が振り返った。見下ろすような目つきで、リアロマを頭から足まで眺める。
「あ? なんだお前」
「その襟、すごく汚れていますね。少し、洗わせてもらえますか」
三人が顔を見合わせた。
「……あ?」
「繊維の奥まで汚れが入り込んでいます。このままでは生地が傷みますよ。ほんの少しだけ、時間をください」
止める間もなかった。リアロマが三人の後ろに回り込み、指先をそれぞれの襟元にそっと触れた瞬間のことだ。
ジジ、という微かな音が鳴った。
リアロマの指先から、超音波振動が布地へと流れ込む。繊維の奥に固着した油汚れの分子結合を揺さぶり、浮き上がらせる。それだけなら洗濯の話で済む。問題は、その振動が布地から皮膚へ、皮膚から筋肉へと伝わっていったことだった。
「な……んだ、これ」
男の一人が、妙な声を上げた。
首筋から肩にかけて、ぶるぶると細かく震える感覚。
くすぐったかった。
洒落にならないほど、くすぐったかった。首の後ろから耳の裏へ、鎖骨の際へ、肩甲骨の内側へ。皮膚の一番薄いところだけを狙い撃ちするように、細かい振動が這い回る。指で触れられているわけでも、羽根で撫でられているわけでもない。なのに止まらない。どこをどうすれば止められるのかもわからない。
「ちょ、ちょっと待て、なんか……っ、く、首が……っ」
「動かないでください。汚れが浮いてきたところですから」
リアロマが涼しい顔で振動を続ける。
「っ、な、なんで、おれ……はっ」
「変な声出すな、お前……っ、お前こそその顔……っ」
「ぶ……ぶふっ」
三人が、順番に崩れていった。
威圧的な顔つきが、みるみる間に抜けていく。こらえようとすればするほど余計に体が震え、堪えた笑いが歪んだ顔として漏れ出してくる。膝が笑い、壁に手をつき、ついには一人が石畳にしゃがみ込んだ。
「ぶはっ、やめ、やめてくれ……っ」
「もう少しです。もう少しで並の状態になりますから」
「なみって何だよっ、はははっ」
リアロマは構わず続けた。
ちょうどそこへ、朝の見回りを終えたカイルが路地に差し掛かった。石畳の上で三人の荒くれ者が声を上げて笑い転げ、その背後でリアロマが静かに指先を動かしている光景を見て、彼は一瞬、足を止めた。
「……何をしている」
「おはようございます、公爵様。この方々の襟汚れを落としているところです」
「はははっ、こいつ、こいつなんかおかしい……っ」
と、荒くれ者がカイルに話しかけたとき、行商人がカイルに伝えた。
「公爵様、こいつらが脅してきて」
「なるほどな、話を聞かせてもらおうか。念のため縛らせてもらうぞ……ゼノ」
後ろに控えていたゼノが、気の毒そうな顔をしながら、笑い転げる三人を縄で縛っていった。抵抗する気力はとうに消えていた。
「はい、終わりました」
リアロマが指先を離し、シーツを抱え直した。
「並の仕上がりです。……ただ、洗い流せていない汚れは水場でちゃんとすすいでくださいね」
「ははっ……は……わかった……」
荒くれ者の一人が、涙目のまま頷いた。
行商人は呆然とリアロマを見上げた。何が起きたのかよくわからなかった。ただ、この洗濯屋には関わらない方がいい、という妙な確信だけが残った。それから慌ててカイルに駆け寄った。カイルが溜息をつきながら騎士に後処理を任せ、リアロマの隣に並んだ。
「……また『汚れが気になった』だけか」
「そうですよ。あの襟汚れは本当にひどかったので」
カイルは何も言わなかった。干し場へ向かうリアロマの背中を見送りながら、ただ、遠い目をした。




