夜明けの漂白
約束の日の夜明け前、三人は再び桟橋に集まった。
空はまだ深い藍色で、港に人影はない。リアロマが前もってカイルに頼んでおいたのだ。「この朝だけ、漁師の方々を港から遠ざけておいてください」と。カイルは理由を聞かなかった。ゼノは測定器を四台持ってきていた。
リアロマは無言で桟橋を歩き、先端に立った。両手をかざす。
海が、割れた。
前回と同じ通路が現れる。今度はカイルもゼノも耳を塞がなかった。慣れた、というより、覚悟してきたのかもしれない。三人は海底へと歩いていった。
四十メートル下、残骸の前に立つ。
ゼノが測定器を構えようとして、リアロマに目で止められた。
「邪魔になりますので、下がっていてください。……公爵様も」
二人が三歩下がる。リアロマが残骸の正面に立ち、目を閉じた。
ゼノは下がりながら、測定器をリアロマへ向けた。
針が、かすかに動いた。それだけだ。昨日も同じだった。海を割り、四十メートルの通路を維持しながら歩き、いまもその壁を保ち続けているというのに、魔力の消費はほぼ皆無に近い。
(これを見るたびに、背筋が寒くなる。どこかで、何かが、この微小な魔力を増幅している……)
まず、聴く。
内部から滲み出る不規則な振動を、丁寧に、丁寧に読んでいく。三十年以上かけて崩れ続けた核の構造は、限界まで弱くなっている。あとほんの少し、正しいリズムで押してやれば、ほどける。
(固有振動数を探しましょう。ちょん、と突いてみて、どれが一番大きく揺れるかを確かめる)
極細の振動を、少しずつ周波数を変えながら送り込んでいく。探針のように。洗濯物の繊維を一本一本確かめるように。
やがて、残骸の奥から、かすかな「応答」が返ってきた。
(……そこね)
リアロマが、そのリズムに合わせて波を送り始めた。力ではない。タイミングだ。ブランコを押すように、返ってくるリズムに合わせて、ちょんと。ちょんと。
残骸が、内側から光り始めた。
核の構造がほどけていく。三十年分の崩壊で弱くなった結合が、正しい振動によって、最後の一本まで解かれていく。残骸の輪郭がぼやけ、金属の骨格がゆっくりと、砂のように崩れ始めた。
崩れたものから、魔力残滓が霧のように広がっていく。三十年間、核の内部に閉じ込められていた膨大な魔力が、構造を失って一斉に解放されたのだ。
ゼノの測定器が四台同時に限界を振り切った。残骸から放出された魔力の奔流に、針が追いつかない。カイルが思わず半歩下がる。しかしリアロマは動かない。リアロマ自身の魔力消費は、相変わらず、ほぼゼロのままだ。
リアロマが、目を閉じたまま、静かに両手を下ろした。
何も起きなかった。
ゼノの目には、そう見えた。リアロマは動かない。発光もしない。炎も風も衝撃波も、何一つ出ていない。ただ、海底の泥の上に立って、目を閉じているだけだ。
しかし測定器の針が、動いていた。
さっきまで限界を振り切っていた四台が、ゆっくりと、ゆっくりと、戻り始めていた。数値が下がっていく。霧状に広がっていた魔力残滓が、薄れていく。消えていく。
(……何をしている。何もしていないのに、なぜ……)
ゼノは息を詰めて見つめ続けた。
残滓が放出し続けている波を、リアロマは聴いていた。そのリズムを、正確に読んでいた。そして、その波とまったく逆の形の波を、ごく静かに、送り込んでいた。波の山と谷が、ぴったり重なり、打ち消し合う。
うるさいものは、静かにさせればいい。それだけだ。
やがて、測定器の針が、四台ともゼロに触れた。
静寂だった。海底の、本来の静寂だった。三十年間、ここで鳴り続けていた不協和音が、跡形もなく消えていた。
「……終わりましたよ」
リアロマが目を開けた。エプロンに手を当てて、息を一つ吐く。
「よし。並の仕上がりですね」
カイルは何も言えなかった。ゼノは四台の測定器をぼんやりと見つめていた。全部の針が、ゼロを指したままだ。リアロマへ向けた一台だけは、最初からずっと、かすかな読みを示し続けていた。
「……何が沈んでいたんですか」
カイルがやっと、声を出した。
「古い道具です。……きれいになって、よかったですね」
帰り道、海水の壁の向こうで、魚の群れが戻ってきた。
通路の両側をすり抜けるように、銀色の影が次々と泳いでいく。三十年ぶりに澄んだ水の中を、気持ちよさそうに。
リアロマはそれをしばらく眺めてから、ふんわりと笑った。




