海底への道
翌朝、夜明け前の港にリアロマ、カイル、ゼノの三人が集まった。
リアロマは普段と変わらない格好だ。清潔なエプロン、青い髪。手にはいつもの洗濯カゴもなく、何も持っていない。
「本当に、濡れないのか」
カイルが海面を見下ろしながら、一応確認する。
「ええ。ただ、少しうるさいかもしれません」
「うるさい?」
リアロマが桟橋の先端から、海面に向けて両手をかざした。
次の瞬間、海が、割れた。
音というより、圧力だった。空気そのものが押される感覚に、カイルとゼノが思わず耳を塞ぐ。リアロマの手のひらから放たれた音波の圧力が、海水を左右に「押しのけ」た。音響浮揚――超音波の圧力で物体を空中に浮かせる技術を、桁違いの出力で海水そのものに適用する。波と反射波が重なって動かない「壁」を形成し、海水をその位置に固定する。
目の前に、幅三メートルほどの、空気の通路が現れた。両側に青黒い海水の壁が垂直に立ち、海底まで真っ直ぐに続いている。壁の表面は、圧力を受けてわずかに振動し、不思議な光の縞模様が走っていた。
「…………」
ゼノが、声を失っていた。
「水魔法の使い手でも、せいぜい水流を操るか水を盾にする程度しかできない。水を……立たせる、などという発想は……」
「立たせているんじゃないですよ。押しのけているだけです」
リアロマがさらりと答えた。
「さあ、行きましょう。押さえているのに体力はいりませんが、何かにぶつかると崩れますので、真ん中を歩いてください」
カイルが最初の一歩を踏み出した。海底に向かって、緩やかに傾斜した砂の道が現れている。足元は濡れていない。壁の向こうで魚の影がよぎるのが見えた。
「……歩けている。本当に歩けている」
「当たり前ですよ」
三人は海底へと歩いていった。
深さおよそ四十メートルの海底は、薄暗く、静かだった。
そこにそれがあった。
泥に半ば埋もれた、巨大な構造物。長さは五十メートルを超えているだろうか。かつては魚を模した精巧な形をしていたのかもしれないが、今は腐食と崩壊で原形をほぼ留めていない。金属の骨格がむき出しになり、内部の魔力核が今もじわりと何かを滲み出させていた。
「これは……」
ゼノが声を震わせた。測定器の針が、最大値で張り付いたまま動かない。
「古い記録に残っていた魔導実験。……まさか本当に、ここに」
「三十年以上はここにいますね。随分と根が深い染みです」
リアロマが残骸の前に立ち、その表面に指先をそっと触れた。崩れた金属の奥から、不規則な振動が返ってくる。
(……役目を終えて、捨てられて、ずっとここにいたんですね)
思ったことは、声には出さなかった。
「落とせるか?」
カイルが静かに問う。
「ええ」
リアロマは指先を離し、振り返った。
「ただ、今日はやめておきます。この汚れは根が深いので、段取りを整えてからの方がいい。……明後日の夜明け前にやります」
「なぜ夜明け前だ」
「仕上がりを見るのに、朝の光が一番きれいだからですよ」
カイルがかすかに笑った。
帰り道、ゼノは海水の壁を見つめながら、小さく呟いた。
「……これを、ずっと維持しながら、喋っていたのか」
「喋るのに体力は要りませんよ」
「そういう問題ではなくて」




