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カナメは昏い森の中にいた。
虫の鳴き声と葉擦れの音が夜の森を奏でていた。辺を見渡しても、先程居た異世界じみた場所とは雰囲気が違って、あまりにも現実的な森だった。だからこそ原始的な怖さを覚えた。
ここでじっとしていたくないと思ったカナメは、取り敢えず足を踏み出そうとしたが、気配を感じて咄嗟に振り返った。先程は誰もいなかった場所に、ローブに身を包んだ同い年くらいの少女が立っていた。
「よくたどり着いたね、クレイカナメ」
少女は夜の森に臆することなく声を発した。
彼女が掲げるランタンの明かりがその相貌をぼんやりと照らし出す。水色の髪に褐色の肌を持つ少女。
「えぇと……」
その見慣れない容姿に思わず呆気にとられるカナメだったが、抱えた不安が拭い去られたわけではなく、困惑を漏らす。
「君は……?」
「私はルーナ。サラに言われてあなたを待っていたの」
「サラ……」
カナメは心当たりのあるその名を反芻した。
目の前の彼女はサラの指示でこの場所にいるらしい。ならば、このルーナと名乗った彼女は、カナメがこの森に行き着く原因を作った赤眼の少女の仲間かなにかなのだろう。
「うん。サラがあなたを迎えに行ったの。すぐに会えるよ」
ルーナは、カナメの不安を察してか、優しく微笑んだ。けれど、現時点ではサラを信用していないカナメは曖昧な表情を作ることしかできなかった。
「聞きたいことはいっぱいあると思うけど、私よりサラに聞いたほうがいい」
ルーナは歩き出して、カナメの横を通り過ぎていく。
「合流場所はウヅナナムの木を植えてある家。着いてきて」
カナメは振り返って一瞬の逡巡の果て、ルーナを追う。
思うところはあるが、ルーナに着いていくしか選択肢が無かった。
歩き始めてから横目に見た一本の木に不気味な彫刻が施されているのを発見して、再びカナメの恐怖を煽る。
カナメは少し早歩きしてルーナの背中にピッタリつくように歩いた。
空を見上げると木々の枝にに遍く覆われており、ルーナが持つランタンの灯火だけが辺りを照らしていた。
いったいどれだけ時間が経過しただろうか。長いこと昏い森を歩き続けている。夜の森は肌寒く、耳に届く音は不安を煽ってくる。さっきまで自分がいた場所は間違いなく知らない世界だったが、ここもそうなのだろうか。恐怖はあるが、未知の景色という感覚はしない。歩きながら周りをきょろきょろしていたカナメだが、目の前を歩く青髪の少女を視界に入れる。自分の知る世界とは違う場所なのではという疑念に傾いた。
しばらくして開けた場所に出た。森を抜けても空は雲に覆われていて暗いままだったが、辺りの景色は打って変わってわずかばかりの人工物を確認できた。年季の入った木造の古い家。それを囲う柵。庭に根をはる大きな木。小さくたたずむ墓標のようなもの。
カナメがきょろきょろと見渡していると、ルーナが口を開く。
「ついたよ」
「あぁ……みたいだね」
案内をしてくれたルーナにどう返せばいいか迷っていると、後ろに気配を感じた。カナメが振り返ると紅の瞳をした少女がいた。
「ようこそクレイカナメさん。ミレスカンナへ」
「サラ……」
優しく微笑むサラの服装は学校で出会った時の制服ではなく、袴のような服装に着替えられていた。
この目の前の少女には言いたいことが、聞きたいことがたくさんある。自分の幼馴染に容姿がそっくりなこと。自分を屋上から突き落としたこと。自分が一人で歩かされた異質な場所について。そして現在いる場所。
「ミレスカンナ? ここが?」
「はい。私達の住む世界であり、あなたからすると別の世界……異世界ですね」
「異世界? さっきの場所のほうがよっぽど異世界に見えたけど?」
カナメは混乱をもたらした少女に悪態をついてしまう。
「それに、こんな感じの森を見たことがある。田舎でな!」
「田舎……そう、田舎ですか。ではその田舎にこんなオオカミさんはいますか?」
サラの背後から四足歩行の獣が現れた。
その獣はこちらを射抜くように睨みながら「ガルルルル」と唸っている。
オオカミ。灰色の毛並みの大きなオオカミだった。
カナメはやや気圧されてやや弱気になる。
「あー……山奥ならいるかも……山登らないからわからないです……」
「はぁ……」
サラはやれやれといった風に嘆息した。大きなため息だった。
「まぁ現実をすぐに飲み込めというほうが酷ですよね」
そう言ってサラは目を瞑る。
「では──」
手を組んで、カナメには理解できない言葉をぶつぶつと呟きだした。まるで呪文でも唱えるかのように。
そんなサラを横目に、カナメは抱えていた疑問の一つを近くにいるルーナへ投げる。
「あれって本当の姿? 声とかも」
「サラは昔からあの姿だしあの声だよ」
「まじか……」
幼馴染の姿で現れたサラをみて揶揄われている気分だったが、被害妄想だったようだ。だが、それが分かったとしても疑問のすべてが晴れるわけでもなく、余計気味が悪いような複雑な気持ちになっただけだった。
やがてサラの長い呟きは途切れ、彼女は雲に覆われた空を見上げた。
「空よ、私にその姿を見せたまえ。曇りなき輝きを──」
カナメも空を見上げる。そして息をのんだ。
魔法のような光景だった。
サラの真上の雲に穴が開き、その円はまるで波紋のように広がり、雲は消えていく。
星々の輝きが露になる。雲に隠されていた輝きが露になる。満点の星空。その夜空は馴染みのある空のようで違った。
「緑色の月……」
月の色がエメラルドのような緑色だった。夜空に浮かぶ幻想的な月はカナメの幼馴染の瞳と同じ色で輝いていた。
「これで信じてくれますか? ここはあなたの知る世界ではない。魔術があります」
「……あぁ、信じるよ」
多分サラは魔術を見せたかったんだ。でも、カナメは緑色の月で確信した。ここは自分の生まれ育った世界ではないと。
サラの顔を伺うと、彼女は微笑んだ。
「私があなたをこの世界に連れてきたのには会ってほしい人間がいるからです」
「それって……」
会ってほしい人間といわれ、複雑に絡まっていた思考は一本の糸となり、ひとりの人物へ向けて突き進む。自分にとって大切な人。ずっと一緒だった人。その姿が消えてからもずっと心の中心にいた人。それは──
「そう、フブキはこの世界にいます」
「フブキが、ここに……」
「えぇ、ですからこれから私と旅に出てもらいます」




