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その後、奏芽は陳謝して吹雪に許しを得たが、お互い気まずい雰囲気のまま朝食を迎えた。
「……ごめん吹雪」
今の空気が居たたまれなくて、奏芽は改めて謝罪の意を伝える。
「だからいいって……ベッド狭いし……まぁ、そういう事もあるよ!」
吹雪はぎこちない笑みを浮かべながら大仰に手をふって答える。
「……ほらほら話題変えよう!」
そう言って吹雪は、話のネタを探し求めてテレビに視線を向ける。
テレビでは朝の情報番組が今日のトレンドネタを紹介している最中だった。
『あの大人気アニメの劇場版が遂に今週公開です』
アナウンサーが映画の公開情報を読み上げた。
「あ! これ見たかったやつ」
吹雪がさっきまでの会話を忘れたかのようにテレビに釘付けになる。
「映画館のスクリーンでユリシアちゃんが見れるよ!」
「それは見たいね」
「ねー!作画も楽しみだなぁ」
「テレビ版もすごかったしな。特にユリシアちゃんの戦闘とか」
「良かったよね〜。強くてかっこいい!」
「そして可愛い!」
奏芽の言葉に、吹雪はなにか思い出したかのように企みのある笑みを作る。
「さて、質問! 私とユリシアちゃんどっちがが可愛い?」
その問いに、奏芽の口から『可愛い』という単語が出たら吹雪はこの質問を投げかける縛りでもあるのかと突っ込みたくなったが、それよりもさっきの今でこの質問は墓穴をほっているのではという気がしてならない。
とりあえず、ここで『吹雪』と答えたらまた変な空気になりかねない予感がした奏芽は早口で答える。
「ユリシアちゃん」
「またアニメキャラに負けた……」
吹雪は奏芽の胸中には気づいた様子はなく、返答を聞いて落胆している様子だった。
吹雪は今日も「お昼一緒に食べよー!」と言って奏芽の席にやってきた。
いつも側にいる幼馴染は、この2日でやけに距離を詰めようとしているように思えた。
「今更だけど今日は怖い夢、見なかった。奏芽のおかげだね!」
弁当箱の蓋を開けながら吹雪は言った。
「それはよかった。逆に俺は悪夢見たよ……」
「そうなの? 怖い夢って近くにいると伝染るのかな? ガオーって」
「ガオーの意味がわからないんだけど」
「意味はないけど」
「お、おう……」
先に食べ終えた奏芽はスマホを開いて、SNSに投稿されているイラストを眺め始めた。
しばらく美麗なイラスト達を鑑賞していた奏芽だったが、ふと二次元キャラと張り合おうとしていた昨日と今朝の幼馴染の事が頭によぎった。
それからすぐに奏芽は悪戯前の子供の様な顔をして、ちょうど箸を置いた吹雪にスマホの画面を向ける。
「みて吹雪。この娘可愛い」
言うと、面を食らったような顔をした吹雪が口角を少し吊り上げたので、これはアレが来るかもしれないと思い奏芽は期待する。
「その娘と私、どっちが可愛い?」
予想通りの反応を示してくれた吹雪に、してやったりといった顔をして奏芽は即答する。
「吹雪」
「また負け……えっ! ちょっ、不意打ちは無しだって! 親しき中にも礼儀ありだし、嬉しくないのに顔が熱くなるしっ! バカだし!」
吹雪は林檎のように赤くなった頬を両手で隠すように押さえる。
「可愛い」
追い打ちをかけるように奏芽はその言葉を口にする。
「まって、それはドキドキが止まらなくなるからやめて! まじで! 人前だからぁ!」
頬だけではなく胸まで押さえて悶る吹雪をみて、やりすぎだったかもしれないと奏芽は苦笑する。
そんな二人の一連のやり取りを近くの席で見ていたらしい吹雪の親友に「なにいちゃついてんねん」とツッコミを入れられた。
帰り道は空も街も昨日とほとんどが同じだった。けれど、ありふれた景色を歩く二人の幼馴染は違った。いつも奏芽の隣に並んで歩く吹雪は彼の数歩先を行く。
「……吹雪?」
「今日はもういいです」
「なにがだよ」
「今日はこれ以上奏芽君いらないんです。過剰摂取です」
「えぇ……」
昼休みの一件以来、吹雪はずっとこんな調子だった。
「なあ……」
「ふーん」
「はぁ……悪かったって。全部嘘だよ。そう……全部嘘。嘘なんだ。可愛いってところ以外は全部嘘だから」
「そ、それが一番もんだいなんですが!!」
吹雪は一瞬だけ振り返って、すぐ前に向き直ってしまう。
「それに怒ってるわけじゃなくて恥ずかしいだけですぅ!」
「俺はどうしたらいいの?」
「あっちいって」
「はいはい、じゃあ遠くにおりますよ〜」
「近くにおれよ」
「めんどくさ!」
「めんどくさくさせたのは奏芽くんですからね!」
強めの口調で言ってから吹雪は立ち止まって振り返る。
「でも……正直可愛いって言ってくれたのは嬉しかった。すごく嬉しかった。ちゃんと嬉しかった」
頬は朱に染まっていたけれど、穏やかな顔だった。
「奏芽そういう事、私には言わないしね」
吹雪はクスクスと、自分の知っている幼馴染の性格に苦笑した。
「ねえ奏芽、今度映画見に行かない?」
「いいね」
脈絡の無い会話なのに自然な流れに思えた。
奏芽は静かな覚悟を乗せて賛成した。
「帰りにご飯だべにも行きたいなぁ」
「あぁ、行こう」
「いつにする?」
「週末がいい」
「じゃあそうしよう!」
週末に、二人で一緒に映画を見て帰りに食事をする。そんな予定がたった今、決まった。
その日に告白しようと奏芽は思った。
絶対に想いを伝えようと決意した。
自室の勉強机にスクールバッグを置いたとき、写真立てが目に入った。そこには奏芽の兄妹3人と吹雪の姉妹3人の6人で庭で撮影した写真が入っていた。
写真の中の自分は吹雪に腕を捕まれて気恥ずかしそうにしていて、このときの自分が吹雪に告白しようと決心するような男には見えなくて、思わず笑ってしまった。
その日の夜はベッドの中で長い時間寝付けなかった。浮かれていたのか、もう緊張し始めているのか、とにかく一頻りソワソワしてから眠りについた。
今日は夢を見なかった。
「起きてお兄ちゃん」
声が聞こえて起きると妹の和奏が見下ろしていた。
「和奏……」
「そうだよー、和奏だよー」
腰に手を当てた妹が素っ気なく呟く。
「ご飯食べよー」
「あぁ……」
支度をして、眼を擦りながらリビングに着いて和奏と二人きりで食卓を囲んだ。
「吹雪は?」
「吹雪? なにそれ」
若菜はこちらに見向きもしないで答える。
「吹雪は吹雪だろ。今日は来てないの?」
「お兄ちゃん、いま春だよ?」
「いや、人の名前なんだけど」
「はえ? 誰それ?」
和奏は眉根を寄せて首を傾げた。
「はー? まぁいいよ」
「そう……?」
諦めて朝食を口に運び始める兄を見て和奏はキョトンとしていた。
朝食を食べ終えて、和奏が家を出てからしばらく経ったが吹雪は一向にくる気配がなかった。
「まぁ約束してるわけじゃないしなぁ……」
奏芽が庭を出ると、丁度、吹雪の妹の唯夏が八重咲家から出てくるところに遭遇した。
「あ、奏芽君おはよう」
「おはよう唯夏ちゃん。吹雪は?」
「吹雪……? なにそれ?」
「……えっと…………」
奏芽は一瞬面を食らったが、そういえば吹雪と唯夏は今関係が良くないらしいと思い出す。
「喧嘩中だっけ……まぁいいや、上がっていい?」
「うん……? いいけど……」
何か不思議なものを見る様な目をする唯夏を尻目に、奏芽は八重咲宅へ足を踏み入れた。
奏芽は階段を登り2階の吹雪の部屋へ迷わず進んだ。吹雪の部屋前にたどり着きノックをするが返事がない。
「吹雪?開けていい?」
声に出して訪ねてもやはり返事はなかった。
「……開けるぞ………?」
そう言って、ドアノブに手をかけて扉を開くと、見慣れた幼馴染の部屋は無かった。
「あ、あれ……」
そこは人が住んでいるような生活感を全く感じさせない、物置のような部屋だった。ダンボールが数個置かれ、掃除用具が壁に立て掛けてある。
部屋の隅には僅かに埃が溜まっており、それはつい最近にこの部屋がこうなったわけではないことを意味していた。
「なんだこれ……」
スクールバッグが肩からするりと床に落ちた。
奏芽は階段を転がりそうになる勢いで駆け下りる。
「唯夏ちゃん! 吹雪は? 吹雪がいないんだ」
家の鍵を掛けるために玄関で待ってた唯夏の肩を掴んで問いただす。
「奏芽君……痛い」
唯夏は表情を苦悶に歪め抗議する。
「ご、ごめん……でも、吹雪が」
「ねぇ奏芽君。吹雪ってなに?」
少し震えた声で問い返してきた唯夏の表情を見て奏芽は目を見開く。それは純粋な疑問を湛えた顔だった。そして言外にこう告げていた。私は本当に吹雪なんて知らない。
答えずに奏芽は駆け出した。なぜ二人は吹雪を知らない? なぜ吹雪の部屋は物置に? 状況を飲み込めてなどいない。全く意味がわからない。それでも、その足で迷い無く学校へと向かっていく。
あまねく空を覆う雨雲が、明るい結末など無いと暗示しているかのようだった。
ぜえぜえと苦しみに喘ぎながら奏芽は走る。喉の痛みから血の味が上ってきても走り続ける。
ついぞ立ち止まることなく奏芽は通う学校へとたどり着いた。
シャツは汗でグッチョリと透けていた。
靴を履き替えて校舎に入ってからは早歩きで自分の教室を目指した。
教室の扉を開くと、ただならぬ様子で現れた奏芽にクラスメイトの視線が集まる。
奏芽は肩で息をしながら教室をぐるりと見渡す。そして、吹雪の姿がないことを確認してから、友人の隼人に詰め寄った。
「吹雪は……八重咲吹雪はまだ学校に来てない?」
「八重咲……? 吹雪? 誰?」
隼人は困惑した面持ちで答える。
奏芽はそのままの勢いで、今度は吹雪の親友の葵に詰問する。
「なぁ葵、吹雪がどこにいるか知らないか? 家にもいなくて、誰も知らないみたいなんだ……」
「奏芽……」
葵は、何か縋るような視線を送ってくるクラスメイトの名前を呟いてから、答えづらそうに目を伏せる。
「……わからない。ごめん」
「嘘だろ……」
打ちひしがれた様子で奏芽は俯く。
──嘘だろ……。
しばらくして、奏芽は面を上げることなく廊下へと歩きだした。呼びかけてくる隼人の声は奏芽には届かなかった。
上履きのまま校舎を出ると雨が降り始めていた。さっき掻いた汗が雨水で上書きされてゆく。
足が重い。雨が更に足取りを不快にする。頭の中はもっと不快にぐちゃぐちゃで滅茶苦茶だった。
誰も吹雪を覚えていないという現状を受け入れることができない。受け入れたくない。理解もしたくない。吹雪は消えたのだろうか。何故。
これは悪い夢だ。最近見た悪夢と同じでそのうち覚めるかもしれない。そうあって欲しい。そうでなければ困る。
けれど冷たい雨が体を叩きつけるたびこれは現実だと、奏芽の意識を強く殴打する。
一生分の距離を歩いたような気がする。こんなに通学路は長かっただろうか。
自分の家にたどり着いた。
びしょ濡れのまま家に上がり、髪や衣服が吸い込んだ雨水を床に滴らせながら自室へと歩いた。
「訳わかんねぇ……」
自分の部屋に入った奏芽は、怒りを孕んだ絶望を喉からひねり出す。そして、ふと目に入ったものを見て、膝から崩れ落ちてしまいそうになった。奏芽の瞳に映るのは写真立て。そこには人が6人写っているはずなのに5人しか写っていない。一人欠けている。奏芽にとっていちばん大事な人が欠けている。昨日までは確かに居たのに。
「……んだよ、これ」
掠れた声しか出なかった。あらゆる感情が爆発するような、あるいは死んでゆくのを感じた。
今日の朝、誰の記憶にも存在しなかった吹雪は写真にもいなかった。




