月下、盤外へ落ちる駒。
――貧しい村だった。
一日で消費するものを、三日かけて生み出す。そんな、目に見えてわかる、終わりが近づいた村。
生まれた時から死が身近にあり、夢を見ることも叶わずに、ただ今日を生きるためにその体を動かした。
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壁際、殺人的な突貫を転がるように避けて、隙のある背中に岩石など軽く砕けよう威力の一撃をぶち込む。
悶える顔、しかし声も出さずにトーラルが振り返りの回転を利用して、威力と速度を上げた裏拳を放つ。
予備動作から起こされる風を聞いただけでも死が見えるようなそれを、レンは顎を引いくことで紙一重で回避。それは理性によるものというより、来るだろう場所を予測して祈って動く、勘に近い回避方法だ。
――だがトーラルは止まらない。裏拳すら勢いの上乗せに利用し、防御に回すべきもう一方の手を使って攻撃を繰り出してくる。
扱いきれていないとはいえ、その速度は一級品。拳が瞬きの間にレンに迫る。
冷や汗、悪寒、死の予感。
食らえば負けると思わせるほどのトーラルの気迫。
「――退かねぇ!」
刹那、レンは回避ではなく前進を選んだ。白熱する思考。それを果たした頭――額を、拳に思い切りぶち当てる。
――冷や汗、悪寒、死の予感。その全てをねじ伏せて、その先に立とう。
未知を知るためには、後退など選んでいる暇はないのだから。
「ばかが!」
トーラルが悪手だと嗤う。
瞬間、激突。
火花が散っていると思えるほどの熱い視線が交錯し、直後に衝撃が脳を焼く。
歯を食いしばり、本能が体を貫く衝撃に備え――次の瞬間、お互い背後に吹っ飛んだ。
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周りの痩せ細っている村人たちとは異なり、トーラルは華奢ながらも力強かった。それは生まれつきであり、それを誇ることはあってもそれで驕ることは無かった。
その力強さを活かし、トーラルは必死に村を良くしようと奔走した。
木を切り、水を運び、畑を耕し、病気の人を世話し、村にとって英雄とも呼べるほどに、トーラルは村に尽くしていた。
――だが、たった一人で、世界は変わらない。そんな当たり前の事実から、トーラルは目を背き続けていた。
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濛々とふける土煙をかき分け、レンは毅然と石畳に立つ。
朦朧とする意識を頭を振って回復させ、なんとか立って前を向けば、こちらを射殺さんと睨みつけて立つトーラルと視線が合う。
立てなければ死ぬ。ならば死ぬ気で立つのが道理だ。
額から血を流し、けれど戦意は満ち満ちて。
「――立つなよ……ッ! いい加減諦めろよ、君は!」
「諦めてたまるか! まだなんも知らねえ! 知れてねえ!」
未だ、レンの頁は埋まりきっていない。
故に、諦める気など毛頭ない。
そんな叫びに、トーラルはどこか哀切を含んだような表情で、レンの全てを否定せんと舌を鳴らす。
――思えば最初から、どこかトーラルはレンの姿勢を頑なに否定する態度だったような気がして。
何故なのだろうと疑問が顔を出し――戦闘に不必要な思考が、刹那の間に挟まってしまう。
その小石のような小さな刹那は、しかし大きな結果を呼び寄せる。
「――余所見してんじゃねーよ!」
「――ッ!」
出遅れた。その事実が、レンの脳裏に強く映る。
それはつまりトーラルの突貫を避けられないことを意味していて。
故に瞬間的に、レンは動いた。
後ろではなく、前へ。
重い一撃をもらえば意識どころか命を落としかねないのは向こうも同じだ。
食らうことが避けられない未来ならば、不意をついて此方の拳も叩き込む。
受けを諦め只殴られることを甘受するより、そのほうがよほど建設的だ。
矢のような速度のトーラルに、真っ向からぶつかりにいく。その行動をレンが取ることに、トーラルは最早驚かない。
激突の瞬間に合わせ、レンはトーラルの直線上へ予測で拳を出す。
進路変更はできないことはわかっている。
この身に突進をしてくるならば、自分の前に拳を出せば見切れずとも当たる可能性は高いだろう。
これが最後の一合だ。賭けるに値する可能性など、一縷で充分。
「「――あぁぁあッ!」」
激突の未来に力を込めて、双方力強く声を上げる。
まるで交通事故だ。違う点は、お互いにブレーキを踏む気が微塵もないこと。
そんな瞬きの瞬間、レンはトーラルの顔を見る。
こんな白熱の状況の中、相手の顔など見えよう筈も無いというのに、レンはトーラルの顔が、表情が、見えた気がした。
その顔はまるで、こんな状況になるのがわかっていたかのように笑っていて――刹那、筋肉という筋肉を使い、力技でその速度を無かったことにしたトーラルがその場で止まる。
「――ッ!?」
混乱、困惑、疑問、疑念。
状況の変化を脳が瞬間処理できなければ、行動の変化を定めることなど不可能だ。
レンの身体は止まらない。打ち出した拳を引っ込めるという選択肢すら浮かばせることができず――まるで序盤の焼き直しとでもいうように、トーラルが首を傾げて紙一重で拳を避けた。
「勝った……ッ!!」
伸び切った腕は動ない。
それを掴んだトーラルは確信するように言い切る。直後、レンの体が浮く。
そしてその事実を認識すらできずに――レンは石畳に投げられた。
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どうすればいいか、わからなかった。
家の戸を開ける度に、トーラルの心を悲憤が蝕む。
目の前に広がる光景は悲惨だった。
過労に苦しみながらもその片鱗を見せずにいつも笑っていた母。
――そんな彼女がうめきながら病床に伏している。
この家だけではない。隣も、そのまた隣も、全部の家がそうだ。
村を襲った病気。―それを、村の英雄は防げなかった。
生まれつき抜きん出た力も体力も、何もかもが役に立たない。治癒魔法が使えれば自分の命を削ってでも村人全員を助けるというのに。
だが現実は無情だ。必要になったからといって、その瞬間に使えるようになる訳がない。
故にトーラルは救済を諦め――、
「僕を買ってくれ」
――自らを売った。
「いいぜ。損になりゃあ即バラしてやるよ」
諦めと妥協の末、自らを売り物としたトーラルはアーガルズに買われ、その金で村を救った。
男――アーガルズは、とにかく不利益を遠ざけて利益を得ようとする人間だった。
計画を練り、穴を潰し、相手の動きを予測し、計画前から下準備を怠らない人間だった。
傍から見れば極端な臆病者にも思えるようなその不利益の遠ざけ方は、しかしアーガルズに多額の金をもたらした。
人を攫い、バラして売って、金を得て。
人を攫い、バラして売って、金を得て。
人を攫い、バラして売って、金を得て。
人を攫い、バラして売って、金を得て。
幾度も幾度も、英雄とは思えぬ行動をとって生き永らえてきた。
これが諦めと妥協の果ての結末だと、それすらも受け入れて。
アーガルズの非情さも、買った物に対する平等な扱い方も、人の攫い方も、殺し方も、もう戻れない程、深く知ってしまった。
故にトーラルは敗北を嫌う。失敗すれば、たとえ長年従えた人間だろうと容赦なく殺すことを知っているから。
故にトーラルは勝利を欲する。成功すれば、約束通り不備なく金を渡してくれることを知っているから。
駒として扱われている自覚も、使い潰される覚悟も、ある。
だからこそ、トーラルはアーガルズの駒として、アーガルズの盤面から不穏分子を排除せんと躍起になっているのだ。
彼の計画の邪魔はさせない。
駒として、最後まで仕事を完遂する。
諦めと妥協の果て、操られるだけの駒として――、
■■■
「――勝った……ッ!」
投げ飛ばした直後、勝利の二文字が頭をよぎる。
レンは満身創痍だ。身体強化された腕力で石畳に叩き付ければ、いくら訳の分からない頑丈さも打ち砕かれよう。
故にトーラルは勝ちを確信していた。
突進の最中、レンの受ける気構えを危惧して攻撃を変えて正解だった。
あのまま突進を選びもし万が一耐えられていたら、身体強化魔法の時間制限が切れ、反動でトーラルの負けは確定的。
だがそれも今となっては起こりようのない結末だ。
レンを投げているこの確かな手応えが、トーラルにひしひしとそう告げている。
勝った。勝てた。できた。――否定が、できた!
石畳が、投げられたレンの背を強烈に穿つ。
「――」
直前。
「――二番煎じに頼ってんじゃねえよ……!」
強く、強く、言い切る声が聞こえた。
諦めることを知らない、尽きぬ想いがその身を動かす、強い強い決意の声が。
それはトーラルが発したかった声音であり、トーラルの欲した想いであり、トーラルの切望した――、
刹那、投げられたレンが、背中ではなく脚を地に着かせる。丁度それはブリッジのような体勢になり、両腕を使ってレンを投げたトーラルは最早攻撃を防げない。ましてや勝ちを確信していたその心は、多大なる隙を生んでいる。
逆さ向きで此方を見据えるレンの視線。その力強さに射抜かれるような錯覚を得て――、
「――」
次の瞬間、レンの拳がトーラルの脇腹を貫いていた。
痛みは無い。――否、意識だけが加速する刹那の世界に、痛みがついてこれていないだけだ。
ずるりと音を立てて拳が抜かれれば、トーラルの脇腹には向こう側が綺麗に覗けるほどの穴がある。
その穴の側面は血肉どころか骨も神経も見えており、流れ出る血液はそのまま命が流れ出ていることを示している。誰かにそう判断されたわけでもないが、誰から見ても明らかだ。
肩を上下させて浅い呼吸を繰り返して立ち上がるレンの眼前、トーラルが力なく膝をついた。
――あぁ。なんて輝いた目をしているのだろうか。
何もかもを諦めてどす黒く濁ったトーラルと違って、その眼は希望に溢れている。
対峙した瞬間から感じていた。自分とは違う、根本から輝くその精神を。
きらきらと輝くその姿を、『もしも』の世界の自分に重ねてしまった。
――もし、自分が諦めなければ、こんな輝く姿になれていたのだろうか。
――もし、自分が妥協していなければ、あの未知への好奇心を自分も持つことができたのだろうか。
――もし、模索を続けていれば、あの村で英雄で在り続けることができただろうか。
「――」
だが、
「……俺は諦めねえ。お前にその否定は、させない」
そんなもしもは、机上の空論の世界だ。
重ねた姿が剥がれ落ちれば、本当の世界が姿を見せる。
諦めなかったレンが立ち、諦めたトーラルが膝をつく、本来の世界が。
拳の貫通した穴から血が流れ落ち、内蔵がまろびでる。こぼれ落ちてはいけない全てがこぼれ落ちていく。
霞む視界が世界を遠ざけ、キンキンと響く耳鳴りが理解を遠ざける。
「……あぁ」
脳裏に刻み込まれる、敗北の二文字。
それを持ったまま、
「――アーガルズさんの駒……一つ、減らしちゃったな」
――トーラルは石畳に、命を落とした。
トーラル
アーガルズに買われた一人。元々体が強く、アーガルズに鍛えられてから更に強くなった。魔法に関しては身体強化魔法を除き、何も使うことができない。村には魔法を使える奴が居なく、結局使えるようにはなれずじまい。
村に自分の力では直せない病気が蔓延り、自らをアーガルズに売り込み、しっかりと買ってもらったことから、アーガルズには自分の意志で付き従っている。しかし仕事をこなせば物として扱われること、仕事をこなせなければゴミとして売り飛ばされることも知っているので、自らの意思とはいえ失敗することに危機感を抱きながら仕事に挑んでいる。
金髪に白い肌、見た目に筋肉が現れにくい体質で華奢なので、相手が舐めてくれることもある故に頑張って高い声を出して女子のフリをしている。近接の殴り合いを得意としているが、世界の上澄みに届く実力は到底無い。ダンジョン二層前半が限界の冒険者に不意打ち込みでまあ勝てるくらい。
自分の村を自分を売るという身勝手な諦めの手段で解決したため、死ぬような状況になっても諦めないやつは嫌い。潔い人間はアーガルズの手駒になることに繋がるので好き。アーガルズはトーラルを使い捨てのコマとして扱い、本人もそれを薄々感じているがそれを受け入れている。その証拠にトーラルの装備は顔まで隠れるほどの深いフードそれのみである。




