11月 烈火 ④
「何?」
「うん、いや」
秋介は煮魚を皿に取り、しばらくつついていたが、
「一緒に暮らすって話、おふくろに言ったんだけどさ、今は夏樹が受験だから無理だって」
とさりげなさを装って切り出した。
「そう」
「ごめんな。ずっとじゃなくて、一ヶ月でも数週間でもいいんだって説得したんだけど、夏樹が神経質になってるからとか、泊める部屋がないとか、ごちゃごちゃうるさくてさ。相変わらず、冷てえよな」
「いいのよ。真奈美さんはそう言うだろうと思ってた」
「おふくろは仕方ないとしても、親父は自分の親だろ? なんで引き取るって言わねえんだろ。自分の親が襲われるかもしんないのに」
「前、同居して失敗してるからねえ。嫁と姑の板ばさみになって、懲りたんじゃないの?」
「だとしても、今は緊急事態なのにさ」
「私が生きようが死のうが、関係ないのよ。老い先短い老人より、夏樹ちゃんの受験のほうが緊急事態なんでしょ」
「そんなこと言うなよお。悲しくなるじゃないかあ、ばあちゃああん」
秋介は情けない声を出した。菊子は弾けたように笑った。
「あんた、ちっちゃい頃と変わんないわねえ。寂しがり屋で、優しい子なのよね、本当は」
「俺のこと、そう言ってくれんのはばあちゃんだけだよ」
「奥さんも分かってくれてんでしょ?」
「まあ、莉子は別格だから。魂で分かり合ってるというか」
「まああ、のろけちゃって、ごちそうさま」
菊子がからかうと、秋介は照れて頭をかいた。
「ホントはうちに来てもらいたいんだけど、うちはチビがいるからさ。8畳の1Kに無理やり3人で住んでるし」
「いいのよ。私はここが居心地がいいんだから。友達もいるし」
「いつ変なやつらに襲われるか分かんないのに」
「それが問題なのよね。いつまでビクビクしながら暮らさなきゃいけないのか」
菊子はため息をついた。
「隣の地区の団地の人、今日もまた亡くなったんでしょ? この間襲われて、意識不明だった人」
「だね」
「7人も亡くなったなんて。うちの団地はもっと独居老人が多いから、もっと狙われるんじゃないかって、みんな怯えてるのよね」
「そうならないよう、俺らで見回ってるんだし」
「でも、ずっとというわけにもいかないでしょ?」
秋介は困った表情になり、俯いた。
確かに、一時的に団地内をパトロールしていても問題を解決したことにはならない。いつ、“やつら”が襲ってくるかは分からないのである。
秋介の友人もいつまでもパトロールを続けられないだろうし、やめた途端に襲撃されるかもしれない。
「ったく、狂ってるよな。老人を殺してカネをもらうなんて。カネが欲しけりゃ、自分で稼げってえの」
「最初の頃は、殺すだけだったんでしょ? それが、殺した後お金を奪うケースが増えてきたって、テレビで言ってた」
「何の目的もなく殺すほうが異常だよ」
「まあねえ」
「なんか、襲う人間が増えてるって話だよ。テレビでワーワー騒いでるからさ、面白がって真似するやつがいるんだろうなあ。じゃないと、全国の団地で老人が殺されるわけないし」
「犯人を目撃した人は、普通の人だったって言ってるんでしょ? 部屋から出てくるところを見たら、その辺にいそうな普通の人で、てっきり遊びに来た孫かと思ってたら、その部屋のお爺さんが殺されてたって」
「ふうん。俺らみたいに、見るからに悪いことしそうな感じじゃないんだ」
「何言ってんの。見るからに悪そうなんて」
「だって、俺らを見て、警察に通報しようとしたじっちゃんもいるんだぜ? 作業着着て髪を染めてるやつらが集団で団地を歩いてたら、襲撃するんじゃないかって思われるみたいでさ」
「みんな、いい子なのにねえ」
その時、どこかでパンパンと何かが破裂するような音が響いた。
秋介は瞬時に険しい顔つきになり、立ち上がった。
「何、今の音」
「わからん。ばあちゃんはここにいて。絶対に部屋から出んなよ」
飛び出そうとする秋介を菊子は慌てて追い、
「危ないから、警察を呼んだほうがいいんじゃないの? 行かないほうがいいわよ。襲われるかもしれない」
と呼び止めた。
「大丈夫、サツが来るまで待ってらんねえし」
秋介は靴を慌しく履きながら、「絶対、ここにいろよ。鍵も閉めて」と念を押し、エレベーターホールに駆けて行った。その後姿を見送る。
玄関に入り、言われたとおりに鍵をかける。一人になったとたん、恐怖がジワジワとこみあげてきた。
――大丈夫。秋ちゃんたちが守ってくれるんだから。
嫌な気分を振り払うためにテレビでも見ようかとリビングに入ったとき、部屋の隅に鉄パイプが立てかけてあるのに気づいた。その下にはヘルメットが転がっている。
パトロールに出るとき、秋介はそれらを身に着けていた。
「まあ、大切なものを忘れて」
秋介を呼び戻そうと携帯を取り出すと、チャイムが鳴った。
――気づいて戻ってきたのね。
菊子は鉄パイプを肩に担ぎ、ヘルメットを持って玄関に向かった。菊子は日ごろ近くの市民農園で畑仕事をしていることもあり、見かけによらず力持ちだった。
ドアスコープで確かめもせず、菊子は鍵を開けた。
「大切なもの、忘れたでしょ」
ドアを開けると、そこには見知らぬ男が立っていた。
どこにでもいるような普通の顔立ちに、長袖のコーデュロイのシャツにジーパンという普通のいでたち。一瞬、部屋を間違えているのかと思ったが、すぐにそれが誰なのか、何の目的でチャイムを押したのか気づいた。
男は右手を背中に回していた。
ニヤリと笑うと、後ろに隠し持っていたアイスピックを構えた。その眼は妖しく光っていた――。
秋介は仲間とともに、花壇に仕掛けられた爆竹を見下ろしていた。
「ガキのいたずらか?」
「夏じゃないし、こんな季節に爆竹するガキはいないだろ」
「じゃあ、誰がやったんだよ」
秋介達は顔を見合わせた。
「もしかして、やつらじゃねえの?」
そのとき、秋介の携帯が鳴った。表示を見ると、菊子からである。
秋介は嫌な予感がした。
「もしもし?」
急いで出ると、菊子は「秋ちゃん、どうしよう、どうしよう」と明らかにうろたえている。
「何、どうしたの? 何があった?」
「大変なの、大変なの」
「だから、どうしたの?」
「私、やっちゃったのよ」
「何を?」
「だから……」
菊子は興奮してうまく話せないようである。
「すぐに戻るから、そこにいて」
電話を切ると、仲間は秋介を心配そうに見つめている。
「ばあちゃんに、何かあったらしい」
秋介の言葉に、みな息を呑む。秋介が駆け出すと、仲間もそれに続いた。
エレベーターを待つ数分間ももどかしく、7階につくやいなや、エレベーターのドアが開け切らないうちに飛び出した。
通路に、誰かが倒れているのが見える。
「ばあちゃん!」
叫ぶと、菊子の部屋のドアが開き、中から菊子が顔を覗かせた。秋介の姿を見て、安堵の表情を浮かべる。
「ばあちゃん、大丈夫か?」
駆け寄ると、菊子は青ざめた顔で何度も頷いた。
「私は大丈夫、でも……」
「誰、こいつ?」
秋介は倒れている男の顔を覗き込んだ。どうやら気絶しているようである。
「さあ、知らない。ドアを開けたら、立ってたの。この人、私を刺そうとしたの」
「えっ」
「これで」
菊子はエプロンのポケットからアイスピックを取り出した。
「じゃあ、こいつ」
秋介は呆然と男の傍らに膝をつく。
「なんだよ、うちのばあちゃんを襲うなんて」
「でも、なんでこの男倒れてんの?」
秋介の背後から覗き込んでいた男が、菊子に聞いた。
「それは、これで突いたから」
菊子は玄関に転がっている鉄パイプを持ち上げた。
「てっきり、秋ちゃんが取りに戻ったのかと思ったの。そしたら、この人が立ってるじゃない? 刺そうとしたとき、とっさにこのパイプを構えて、喉元をエイッて」
「喉元を」
「そしたら、その人、吹っ飛んじゃって。倒れるときに頭も打ったみたい」
「へええ……」
仲間達は信じられないような面持ちで、菊子と倒れている男を見比べている。
「そういえば、ばあちゃん、昔剣道やってたんだっけ」
菊子が頷くと、秋介は「ハハハ」と笑い声をあげ、豪快に手を叩いた。
「いいぞ、ばあちゃん。犯人を捕まえたんだよ!」




