7月 火柱 ②
その日、好美から久しぶりに電話があった。
「お久しぶりです。北海道はいかがですか?」
京子が尋ねると、「うん、まあ、近所のスーパーで働いてる。それぐらいしか仕事がなくて」と元気のない声が返ってきた。
「昨日、みつさんと三郎さんから連絡があってね。私もどうすればいいか分からなくて」
「はい?」
「みつさんと三郎さんね、元さんの家を出たのよ」
「ええ」
「でも、行き先がなくてね。それで結局、ホームレスの支援施設でお世話になってたらしくて」
「ええ!?」
「で、1か月は我慢したんだけど、耐えられなくなって、二人とも昨日から公園で寝泊まりしてるんだって」
「公園に寝泊まりって、それじゃあまるで」
「そうなの、ホームレスなの。施設に戻ったほうがいいって言っても、あんなところで死ぬのなら公園で死んだほうがいいって、みつさんが嫌がってて。でも、今は梅雨でしょ? 雨の中、野宿してたら、肺炎になるかもしれないし。北海道に行きたいって言われたけど、うちは二人を養う余裕はないし。もう、どうしようもなくて。京子ちゃん、何とかならないかな」
「何とかって言われても……」
「このまま放っておくわけにはいかないでしょ? 野垂れ死にするのを知らんぷりしているわけにはいかないし。でも、私も何もいい考えが思い浮かばなくて」
「……わかりました。とにかく、二人に会ってみます。今、二人はどこにいるんですか?」
新宿の公園にいると聞き、京子は電話を切った。
「どうしたの?」
そばで聞いていた邦雄が問いかける。
そこは東高円寺の2DKのアパートだった。事務所として使う予定だった部屋に、京子は4月に越してきて自分の部屋として使っている。邦雄もすぐに越してきた。
大吾と一方的に別れてから一カ月も経たないうちに、邦雄と肉体関係を持った。だが、京子はすでにこの3か月を後悔し始めていた。
邦雄は京子のためにテレビや雑誌の仕事を取ってきてくれるが、そのお金は邦雄が作った口座に振り込まれ、仕事のための経費として使うことになっている。
家賃は邦雄が払ってくれるが、食費や光熱費は折半しなければならないので、京子は弁当屋のバイトを始めて、生活費を稼ぐしかなかった。
そのうえ、弁当屋の残り物をもらって帰ってくるよう口うるさく言うので、
――この人、こんなにケチだったんだ。
とすっかり幻滅している。
それでも、邦雄が持ち込むマスコミ関係の仕事は魅力的だった。
親に掲載誌を送り、テレビの放映日を知らせると、「まあまあ、すごいのねえ」と感心される。親が親戚にも伝えていると聞き、少し誇らしい気分になっていた。
そのためだけに邦雄と一緒にいるようなものだった。
京子がざっと電話の内容を話すと、
「そりゃ大変だな。俺も一緒に行く」
と邦雄は腰を上げた。
「いいよ、一人で大丈夫」と京子は断ったが、邦雄はいろいろと理由をつけてついてきた。
電車に乗ると、邦雄は中吊り広告に目を走らせる。
都知事選が終わったばかりで、週刊誌の広告は、圧勝した都知事のスキャンダラスな話題ばかりだった。
今回の都知事選はメディアが連日報道したので盛り上がり、いつの間にか老人ホームの連続放火事件の話題は下火になり、報じられなくなっていた。
邦雄は広告を見ながら、「あの政治家にインタビューしたことがある。あいつは偉いよ。物腰が柔らかくてさ」「あのタレントは、最悪だったな」と大声で話しだした。
あきらかに、周りの人に聴こえるように話している。その“自慢したがり”なところにも嫌悪感を抱いていた。
――これだから、一緒に行きたくなかったのに。
京子はげんなりした。
みつと三郎は、新宿中央公園のパーゴラの下にあるベンチに腰かけていた。
今日は青空が広がり、日差しが強いので、二人とも帽子をかぶって流れる汗をしきりに拭っている。三郎は文庫本を読み、みつは何をするでもなく、ただぼんやりと座っている。
二人とも、3月に会った時より一回り小さくなったように見える。
顔色は悪く、皺も増えている。三郎の髪はかなり薄くなり、みつの髪はますます白くなっていた。
「児玉さん、横村さん」
京子が声をかけると、二人は同時に京子を見て、決まりが悪そうな表情をした。
「好美さんから話を聞いたんです。二人がここにいるって」
「何日もお風呂に入ってなくて。臭わないかしら?」
みつが発した第一声はそれだった。
京子がベンチの端に腰かけると、みつは体をわずかにそらした。
「大丈夫ですよ、全然臭いませんよ」
京子は微笑んだ。
みつも三郎も、風呂に入っていなくても身ぎれいにしているのは、やはり自尊心が許さないのだろう。
「二人でここに座っていたら、ホームレスだとは思われないんじゃないかって思って。昨日も、ずっとここで一日中座ってたの。夜は芝生で眠ったの。夜でも暑いから、外で寝ても平気なのよね」
みつは後ろの芝生を指さした。ベンチの下には隠すようにボストンバッグが置いてある。
「ここの人たちは親切でね。こっちは最初は声をかけられるのも嫌だと思って、目も合わせないようにしてたんだよ。でも、年寄り二人で寝ているのを見て、気の毒に思ったみたいでね。ダンボールと新聞紙を分けてくれたんだ。この本も、どっかで拾ってきてくれたんだよ」
三郎が穏やかな声で言った。
「でも、私は嫌よ、まだあの人達とは話す気になれない」
みつは首を振った。
「そんなこと言っても、俺らと同じじゃないか。家がないんだから」
「でも、乞食にはなってないじゃないの」
「あの人たちも、乞食ではないよ。旦那さま、お恵みください、ってやってないだろ?」
「同じことよ。ごみ箱から残飯をあさって食べてるんだから」
「昨日は、賞味期限が切れたコンビニのおにぎりをくれたじゃないか。おいしいって食べてたくせに」
「それは残飯をあさるのとは違うでしょ」
「あの」
京子は二人の会話に割って入った。二人は暑さと疲れのせいか、苛立っているようだ。
「二人とも、朝から何も食べてないんじゃないですか? とりあえず、ご飯でも食べに行きましょう。ここは暑いし」
京子が促すと、二人は顔を見合せて、小さくうなずいた。
みつはベンチから立ち上がるのがひどくつらそうなので、京子が支えてあげた。
「ところで、そこの男の人は?」
三郎が少し離れたところに立っている邦雄を見た。
「あ。彼は安藤さんといって、今日は手伝いに来てくれたんです」
「京子ちゃんの彼氏かい? 年下の彼だったっけ」
「いえ、違う人ですよ。友人です」
京子は即座に打ち消した。
邦雄は聞こえなかったようで、不自然なほどの笑みを浮かべて歩み寄り、「こんにちは」と会釈した。
「お二人とも、荷物をお持ちしますよ」
二人の荷物を持って、邦雄は先頭に立って歩き出した。
「親切だねえ。京子ちゃんの友達は」
三郎が杖をつきながら後に続いた。みつは杖をついてもやっと歩けるという状態だった。
――最後に会った時より、悪化してる。まずいな。もし、ここで寝泊まりしていて起き上がれなくなったら、大変だ。介護する人は誰もいないし。
京子は今更ながら、事の重大さを痛感した。




