4月 火花⑤
その夜、幸輔が風呂からあがると、直行は夕飯を食べていた。時計を見ると10時を回っている。
「夜勤明けなのに、今日は遅かったんだな」
「うん、友達と会ってた」
直行は漬物をポリポリと音を立てながら食べていた。
「この間話したブログ、見てみたか?」
「うん、ちょっとだけだけど。すごいね、あれ。ふざけて誰かが作ったわけでもなさそうだし」
「まあな。でも、それがさ、次の日の朝見たら、消えてたんだ。いや、正確に言えば、その日の夜かな」
「消えてたって、どういうこと?」
「ブロガーが閉じたんだろうって神戸は言ってた。神戸が探りのコメントをつけたから、警戒したのかもしれない。放火事件の証拠はたった一夜にしてなくなってしまったとさ」
「マジで? もったいないなあ」
直行は眉間にしわを寄せた。
「それじゃ、放火事件のホシの目星はつかないんだ」
「まあ、そうだな。目撃情報も全然ないし」
「そうなんだ」
「ああー、せっかくの証拠だったのに。くそっ。思い出すだけで腹が立つ」
幸輔はタオルで髪をゴシゴシとこすった。
「まあ、でも、まったく収穫がなかったわけでもないんだ。そのブログ絡みと思われる殺人事件がほかに8件もあってな、そのうちの1件が日の出町で起きてるんだ」
直行は箸を止めた。
「日の出町? あんな田舎で?」
「ああ。2ヶ月前にね。殺されたのは、散歩に出かけた住民で、元教師のじいさん。青梅の小学校と中学校で教師をやってたらしいから、お前の通ってた学校の先生かもしれんな。田所雄一郎っていうんだけど、知ってるか?」
「田所雄一郎? さあ、そんな先生いたかな」
「そのコロシも目撃者はゼロ。警察は怨恨の線を洗ったんだけど、そのじいさんは正義感が強くて、まわりの人からは親しまれていたらしい。現場の付近にはオートバイの跡があるだけで、手がかりは何もないんだとさ」
「それがそのブログと、どう関係あるの?」
「神戸が調べたとき、2ヶ月ほど前に日の出町でじいさんを殺したっていう書き込みがあったらしい」
「へえー、そうなんだ」
「でも、管轄外だしなあ。ブログがなくなったら、手がかりもなくなったわけだし」
「じゃあ、お父さんたち以外に、あのブログを知っている人はいないわけ?」
「たぶんな」
「ふうん。もったいないねえ」
「まったくだよ。まあ、神戸はほとぼりが冷めたころに活動を始めるんじゃないかって言ってたから、当分は様子見だな」
「そっか」
直行は夕飯を食べ終わると、「ごちそうさま」と席を立った。
正子が「お風呂、わいてるわよ」と声をかけると、直行は「わかった」と返事をし、二階に消えた。
「本当に、最近はわけわかんない事件ばっかり起きて、怖いわね。出会い系サイトとか、あんなわけのわからないものを簡単に信じちゃってねえ」
話を聞いていた正子が、直行の皿を片付けながら言った。
正子は、幸輔が抱える事件について首を突っ込むようなマネはしない。話の内容から、適当に当たり障りのない話をするだけである。
「まあな、やっぱり教育のせいだろうなあ。怪しいものには近寄っちゃいかんって、人間として基本の教育がなってないんだよ」
「うちは、お父さんを見習いなさいと教えてきたから、二人ともまっすぐに育ってくれたけど」
「そうだな、やっぱり親の教育だよ、人間がおかしくなるのも、真っ当に育つのも。真っ当に育てれば、真っ当に育つもんなんだよ、人間は。でも、今はおかしな親も多いからさ。本当に、嫌な世の中になったよなあ」
幸輔は大げさにため息をついた。
***************
「森山、さおとめスーパーで万引があったって通報があったから、行って来てくれないか」
先輩に言われた時、直行は嫌な予感がした。
スーパーに着き、従業員室に入ると、その嫌な予感は当たっていた。
小柄な老婆が、うなだれてパイプ椅子に座っている。直行の姿を見ると、目をパッと輝かせて、笑顔になった。
「これで5回目ですよね」
うんざりした表情で直行は言った。
「そうかしら。またあなたが来てくれたのね」
「来てくれたって……」
直行は苦笑した。
「別に、あなただから来たってわけじゃないですよ。通報があったから、来ただけです」
老婆のそばに立っていた店長は、「すみません」と直行に軽く頭を下げた。
「で、今日は何を盗んだんですか」
「ネコ缶を3個です」
「あれ、ネコちゃんの食べるものだったのね。気づかなかった。だってねえ、国産とか、ホタテ味のパスタとか書いてあるんだもの。人が食べるものだって思うじゃない? ネコちゃんの絵が書いてあるから、かわいいなって思ったのよ」
老婆は早口にまくしたてる。
「人が食べるものにしろ、ネコが食べるものにしろ、盗んじゃいけないでしょうが」
直行がたしなめると、
「盗むつもりなんて、なかったの。ホントよ。カゴを持ってなかったから、バッグに入れただけなの。ちゃんとお金は払うつもりだったんだから」
と、懸命に老婆は言い訳をする。
店長は大きくため息をついた。
「もう、出入り禁止にするしかないですかね。来るたびに万引されて、通報していたら、こっちも仕事になりませんよ」
「その辺の判断はお任せしますよ。ここで逮捕したところで、罰金で済んだら、また店に来てやるでしょうし。あんまり効果があるとは思えないんですよね。こういう人たちは、懲りないでしょうから」
「まあ、一種の病気なんでしょうねえ」
店長が見下したような目で見ると、老婆の顔はみるみる赤くなっていった。
「病気じゃないっ。私は、万引きはいけないってことぐらい、わかってるわよっ」
「じゃあ、なんで何度も盗むの。毎回、もうやらないって泣いて頼むから、こっちも見逃してあげてたのに。もう限界だってば」
「今日は、本当に、盗むつもりじゃなくて、カゴを忘れちゃったから、カバンに入れただけなのっ」
「あー、もういいって」
店長が天井を仰いだとき、「店長、ちょっと」と細く開けたドアから店員が顔をのぞかせた。
「すみません、ちょっと、失礼します」
店長は直行に会釈して、出て行ってしまった。
――頼むよ、こいつと二人きりにしないでくれよお。
心の中で直行は絶叫した。
「あの人はあんなこと言ってるけど、あなたはわかってくれるわよね? ね?」
老婆は懇願するように直行を見た。直行は視線をそらす。
「私もね、こんなことはしたくないの、ホントはね。でも、家にいても、誰もいないから寂しくて。外に出ても、誰も私と話してくれないんだもの」
「その話、何回も聞きましたから」
「そうでしょ? だから、したくてするんじゃないのよ。子供の万引きとは違うの。子供は、本当にそれが欲しくてやるんでしょ? そういうのは悪質だけど、私はそうじゃないもの。人を困らせたくてやるんじゃないの」
「困らせてるじゃないですか。店長さん、すっげー困ってますよ」
「そんなことないわよ。店長さん、万引きする人の中には、開き直って全然謝らない人もいるって言ってたもの。私はすぐに謝るんだから、そんなに困ってないわよ」
「いやいや、そういうことじゃなくて」
直行は脱力した。
――これ以上、話してもムダだな。正論が通じる相手じゃない。害虫だ、こいつも。
「それより、この間ね、孫が高校に入学したの。お祝いに万年筆を贈ったら、今時そんなもの使わないって嫁にバカにされちゃって。じゃあ、何が欲しいのって聞いたら、現金が一番喜ぶですって。呆れてものが言えなかったわ。私が若い頃は、人からものをもらったら」
「あのさあ、そんなんで生きていて楽しい?」
直行は老婆の言葉を遮り、正面から冷ややかな目で見つめた。
「人から邪魔にされて、そんなんで生きていて楽しい?」
「えっ……」
「哀れだよなあ、身内から構ってもらえなくて、スーパーで万引きして話相手を見つけるなんて。俺なら耐えられなくて、自殺しちゃうね」
「……」
「近所のほかのスーパーやコンビニでも出入り禁止になってんでしょ? これからどこで買い物する気? 電車に乗って、隣の駅まで行くとか? そんな元気があんの? ヨボヨボなのに。もっと考えて行動しないとさあ」
老婆は口を半開きにし、瞬きもせずに直行の顔を見つめている。その黒々とした眼を見ているうちに、もっと痛めつけたいという衝動に突き動かされた。
「もう老先短いんだからさ、最後ぐらい、人の役に立つことをすればいいのに。そうでないと、生きてる意味がないじゃん。今のアンタ、社会的に死んでるのと同じだよね。誰にも構ってもらえず、記憶にも留めてもらえず、もう死んでるようなものじゃん。みんなの迷惑にならないよう、さっさとこの世から消えたら?」
一気にまくしたててから、直行は鼻先で笑った。
そのとき、店長が部屋に戻ってきた。
「お時間をとらせて、すみませんでした。今日はちょっとバタバタしておりまして。そのおばあさんは出入り禁止にすることにします」
と、直行に頭を下げた。
「そうですか」
「おばあさんも、もう帰っていいよ。二度とうちの店には来ないでね。来ても、入らせないから」
店長にキツイ口調で言われて、老婆は涙目で俯いた。
店を出てから、直行は入り口近くの駐輪場で、老婆が出てくるのを待った。
ややあって、老婆は背中を丸め、トボトボと店から出てきた。直行に気づくと、顔を引きつらせてから、背を向けて精一杯の早足で歩き出した。
――ムダに生きてたってしょうがないだろ? お前みたいな害虫は、死ぬのが世のため人のためなんだよ。死ぬのが怖いんだろ? 大丈夫だよ、俺が代わりに殺してやるからさ。
直行は老婆の姿が見えなくなってから、消えた方向に向かって自転車をこぎだした。
――今まで、管轄内のロージンには手を出さないようにしてたんだけど。こいつは始末してあげないとね。こいつのためにもね。バレないようにしなくちゃな。まずは住んでるところを突き止めて、それからゆっくり計画を練ろう。
いつしか、口笛を吹きながら自転車をこいでいた。




