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曇天。  作者: 凪


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4月 火花③

 その夜、幸輔は自宅で刺身を肴にしながら日本酒を飲んでいた。


 晩酌は毎晩の習慣である。妻の正子は嫌な顔をせず、どんなに幸輔の帰宅が遅くなっても晩酌用の肴を用意して待っていてくれる。

 若いときは愛人をつくったりもしたが、50歳を過ぎたころに腰を痛めてから、性欲は少なくなっていった。今は仕事が終わるとまっすぐ帰宅する毎日である。


 ――俺も、歳をとったもんだ。


 幸輔は、自分の体の変化を寂しく受け止めている。


 正子は平々凡々でたいした面白みもない女だが、長年警察官の妻として献身的に支えてくれた。不在がちな父親の代わりにしっかりと二人の子供を育て上げ、息子は父親と同じ道を歩み、娘は海外に留学中である。


 まさに幸輔が理想として思い描いていたような家庭である。定年を迎えたら、今までの罪滅ぼしに、正子と二人であちこちに旅行に行こうかと最近は考えている。


「ただいま」

 息子の直行がダイニングに顔を出した。


「おう、お帰り。先にやってるぞ」

 幸輔は軽く猪口を掲げた。 


 直行は立川市内の警察に勤めている。最近は盗難事件が相次いでいるので、日中のパトロールが以前よりも多くなったと聞く。


「ご飯、食べるんでしょ」

 正子が尋ねると、「うん、着替えてくる」と直行は二階に上がった。

 直行はジャージに着替えてくると、幸輔の前に座った。幸輔はお酒を勧めた。


「もうさ、くだらない通報ばっかだよ。ピアノの音がうるさいって隣の人に嫌がらせされたとか、近所に飼い犬に何日もエサをあげない人がいる、動物虐待じゃないか、とかさ。そんなこと、自分たちで解決しろよって感じ」


 直行はお酒を注いでもらいながら、ため息混じりに報告する。


「まったくだ。何でもかんでも警察が解決してくれると思ってるんだから、始末におえねえよなあ。昔は自分たちで解決してたようなことまで、警察に頼もうとするんだから」


 正子が直行の分の刺身と煮物、味噌汁、ご飯を運んできた。


「あら、ご飯はよかったのかしら」

「いいよ、すぐに食べるから」

 直行は箸を取り、刺身に手をつけた。


「そういえば、お前、最近インターネットを見てるか」

 幸輔は自分の猪口に酒を注ぎながら聞いた。


「まあ、たまに見てるけど」

「『もしも世界からロージンが消えたら』ってブログ、知ってるか?」

「何それ。本のタイトル?」


「いや。それがさ、今朝タレコミがあったんだよ。奥多摩の老人ホームの放火は、そのブログと関係があるって。調べてみたら、とんでもねえこと書いてあるんだよ。老人を一人殺したら、1ネンキンあげますって」

「1ネンキン? 何それ」


「さあな。カネのことだろう。そんなバカなことを真に受けるやつがいるわけねえだろうって思ったら、奥多摩の老人ホームに放火したホシが、事件が起きた直後にそこに投稿してるんだよ。『老人ホームに放火した、これで何ネンキンもらえるかな』って」


「へえ。本当にホシなの?」

「おそらくな。犯人しか事件を知らない時刻に投稿してるからな」

「へえ、すごいネタじゃん」

 直行が身を乗り出した。


「それだけじゃない。今、全国で老人が大勢コロシにあってるだろ? それも、そのネンキンとやらをもらうのを目当てに、殺してるらしいんだよ。そのブログにいくつか殺害の依頼があるって、神戸が今、調べてくれてる」


「じゃあ、同一犯?」

「いや、そうじゃなさそうだな。奥多摩のホシは代表っていう、そのブログを書いてるヤツで、後はクジョレンジャーとかいうヤツらが請け負ってる。つまり、全国にカネ目当てで老人を殺してるやつがゴロゴロいるってわけだ」


「へええ、本当ならとんでもない話だなあ」

「まあ、どこまで本当かはわからんけどな。1件ずつ調べてみないことにはわからん。でも奥多摩は確実じゃないかなあ」


「もしそれが本当なら、警察功労賞もんだよね。もう上の人には報告したの?」

「いや、もうちょっと調べてみないと、わからんから。いたずらかもしれんし」

「ふうん。俺もそのブログ、見てみよう」


 直行は食べ終わると食器をキッチンに運び、自分の部屋に消えた。

「警察功労賞」

 幸輔はつぶやいた。


 ――考えてもみなかった。確かに、あのブログをやってるヤツらがホシだとわかったら、えらい功績になるな。全国を揺るがすニュースになるだろうし、警察の面目躍如ってとこだ。功労賞どころか、勲功賞かもしれんぞ。そうなれば、俺も昇進間違いなしか。


「ようやく運がめぐってきたってことか」

 震えるような興奮が込み上げてきた。


 報道陣のフラッシュを浴びるなか、老人ホームの連続放火のホシがわかったと報告する署長たち。その席には、自分も座っているかもしれない。

 署長たちには答えられないような質問に、「それについては私から説明させていただきます」と話を始めれば、カメラは自分に集中するだろう。

 それが全国放送される……そんな光景を思い浮かべて、幸輔はニヤニヤした。


「どうしたの、嬉しそうね」

 皿を下げに来た正子に指摘され、「いや、ちょっと思い出し笑いをしてな」とごまかし、残りの酒を一息に呑んだ。

 


 直行は自分の部屋で、一心不乱にLINEをしていた。


 クジョレッド

 警察がブログを突き止めたらしい。

 代表さん、即刻サイトを閉鎖してください。

 みんなも、アカウントをすぐに削除したほうがいい。

 これからは、LINEだけでやりとりするってことで。

 しばらく害虫駆除はやめたほうがよさそう。



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