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曇天。  作者: 凪
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3月 埋み火④

「あれ、今日はずいぶん早いね」

 大吾が眠たそうに目をしばたたかせながら、リビングに入ってきた。京子は出窓に置いてある小さな鏡台の前に座り、ファンデーションを塗っていた。


「うん、今日は面接」

「そうなんだ。言ってくれれば、朝ごはん作ったのに」

「いいよ、大吾、夕べ来るのが遅かったじゃない。朝ごはん、作っといたから。っていっても、目玉焼きだけど」

「サンキュ」


 大吾はあくびをしながら、じゅうたんに座り込んだ。


「で、どこまで行くの?」

「埼玉の秩父」

「秩父ぅ!?」


 大吾は目を丸くした。


「そんなとこ、決まってもこっからは通えないだろ? どうすんだよ」

「それは決まってから考える」

「決まってからって」


「だって、ようやく条件に合うところが見つかったんだよ?」

「それは分かるけど。仕事がないからって焦るのは分かるけどさ、また引っ越すのはつらいって言ってたじゃん」

「そうだけど、近場では見つからないんだから、仕方ないでしょ」


 口紅を塗りながら京子は返した。


「仕方ないって言ってもさあ。もし決まったら、どうするわけ?」

「だからあ、それは決まってから考えるって」

「それって、決まる前に考えることでしょ? 何で、相談してくれないんだよ。荻窪と秩父じゃ、さすがに会えなくなるじゃんよ」


「だって、大吾、私がホームを探してると、ブーブー文句言うじゃない。また前の会社に戻れば? とか、そんなに焦って介護の仕事をしなくてもいいじゃん、とか」

「だって、そうじゃん。ホームの放火事件で混乱してるから対応できないって、どこでも言われてるんでしょ? もう少し落ち着いてから探せばいいんじゃないの?」


「だって、介護の資格を取るために夜間の専門学校にまで通ったんだから、続けて仕事しないと、もったいないんだもん。それに、本のこともあるし」

「何それ。本とどういう関係があるの?」


「本では介護福祉士で紹介されるんだから、介護の仕事してなかったら、なんかおかしくない?」

「なんだよ、それ。だったら、本出すのを遅らせてもらえば?」


「そんなわけにはいかないの。向こうは早く出したがってるんだから。ホームの放火事件が忘れ去られないうちに出したいんだって、出版社の人が言ってた」

「なんで向こうの都合に合わせなきゃいけないんだよ。おかしいよ、それ。本で紹介されるから介護の仕事を探すって、おかしいと思わないの?」

「……」


 京子はイライラしてきた。


「それに、放火事件を本のネタにするなんて、いいの? ホームの人に確認したほうがいいんじゃないの?」

「そんな必要ないよ。ニュースで散々流れたんだし、今さら確認とらなくても大丈夫だよ。それに、前の会社に勤めてたときの話も書くのに、そこにも一々連絡しなきゃいけないわけ?」


「それとこれとは状況が違うでしょ。遺族と裁判になるってネットに出てるしさあ。それなのに、本を勝手に出しちゃって、大丈夫なわけ? 京子だって、テレビに取材されたときは嫌がってたのに、なんで本で書くのはいいの? 意味わかんないよ」

「……」


 ――あれは、泣きはらした顔を写されたくなかったから……。

 なんてことを言ったら、確実に大吾に呆れられる。


 京子は何も言い返せなくなり、鏡の扉を力任せに閉めた。バッグに乱暴にコンパクトやメイク道具を詰め込む。


「すーぐそうやって怒るんだから」

「大吾が怒らせるようなこと、言ったんじゃないの」

「俺、そんなにおかしいこと言ったつもりはないけど」


「取材はもう始まってるんだから、今さらやめるわけにはいかないのっ。何も事情をわかってないくせに」

「確かにわかんないよ。そんな、本当に出るかどうかわかんない本のために仕事を探すとか、訳わかんない」

「出るかどうかわからないって、出るんだってば」


「どーだろ。うちの店長も本を出すって話が何回かあったけど、立ち消えになってるし」

「それはその店長さんに問題があるんでしょ?」

「京子だって、そんなにたいしたことしてないじゃないか。ホームに勤めて半年しか経ってないのに。それに、そんな気持ちで働かれたら、次のホームだって迷惑なんじゃないの?」

「もう、いいよっ」


 京子は半ば叫ぶように言うと、椅子の背もたれにかけておいたコートをつかみ、パンプスを履いて外に出た。ドアを力任せに閉める。


 ――あっ、まずい。朝早いのに、近所迷惑だったかも。


 肩をすくめ、足音を忍ばせて階段を下りる。

 大吾が追ってくるかと思ったが、そのような気配はない。道路に出て、自分の部屋の窓をチラリと見上げても、大吾の姿は見えない。

 京子はため息をついた。


 ――なんか、最近、ケンカばっかり。私が本を出すって話をしたときも、喜ぶどころか、書くことあるの? とか、その出版社大丈夫なの? 後でお金を請求されるんじゃないの? とか、疑うようなことばっか言って。こんなラッキーな話、めったにないんだから、喜んでくれてもいいのに。


 コートを着ながら、駅に向かう。


 ――これから面接なのに、嫌な気分になっちゃった。あーあ。


「あーあ」

 声に出して言ってみたら、ますます気持ちが沈んでしまう。京子は「もうっ」と小さくつぶやいた。 


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