07 - 中田先生・職員室イベント、不穏で不審な同級生?
次に気がついた時、オレは下校途中だった。ハッとあたりを見渡すと、カバンを肩に掛けるようにして持ったシシオが隣を歩いている他は、下校途中の生徒がいるだけだ。
「雅人? どうした」
「いや……なんでもない」
怪電波受信の疑惑を持たれてもおかしくない挙動不審っぷりを見て、シシオが冷たい目でオレを見た。ほっとけ。オレだって、本当はさりげなく確認する技術とか身につけたいよ。そんな能力、本当は身につけてもしょうがないんだが、今のオレには必要なのだ。たまに虚空を見つめたり、視線を下げてぶつぶつ言っているとか、自ら不審者ですと言っているようなものだ。そんなヤツ見たら、オレだって怖い。
それはともかく。テキストウィンドウを確認すると、どうやらオレは自分が出演するイベントとは異なるタイミングで意識を取り戻せたらしい。いや。ちょっと待て。
「なんなんだよお前は、『この間』もそうだったし――」
「オレがおかしいのはいつものことだろう、流したまえ。それよりも黙りたまえ。オレは今ちょっとすごくいそがしい」
「なんだその口調は、どっかの社長か。ていうか『ちょっと』だの『すごく』だの併用するなよどっちだよ。おーい。いやどこ見てんの? ねえそこに何もないんだけど? オイ雅人。……雅人くーん。あー、雅人ちゃん? ってコラ、無視すんな! こんなのぜったいおかしいよ!」
耳元でぎゃあぎゃあ騒ぐシシオをスルーし、過去ログで何のイベントの進行中かを確認した。
「うわ、ヤバい。これは行かねばなるまい。というわけで、じゃあな。シシオ」
「おッ、おい……!? 待っ、えっ、早ッ!? お前、アスリートか何かかっ」
しゅたっと手を上げて一気に走りだすと、わたわたとシシオが反射的に追いかけて来ようとした気配があった。スピードを上げて振りきると、何も追いかける必要はないと気づいたらしく、シシオが立ち止まってぜいぜいと苦しそうな息を吐いた。「てめーぜったい体育祭で短距離走と長距離走の選手に推薦してやっかんな!」とかなんとか恨みたらしい言葉を吐きかけられたが、全力疾走するオレに返事をしてやる余裕はなかった。
なぜオレがこんなにも急いでいるのか。それはただ今進行中のイベントの出演者に起因している。
オレの妹が出演していることは言うまでもなく。そして、(乙女ゲーなので)もちろん相手役の男がいる。
「がぁああ、チャランポラン教師ぃぃぃ!」
十八歳未満の女子高生と教師のルートがあるとかマジ純愛恋愛ゲームってすげぇ。卒業まで手を出してないからセーフ、なんだろう。偉い人が許してもオレは許しませんけどね。
教師は教師でもあの教師だからもっとダメだ。なにがダメって、地雷臭がするところだ。外見からアウトロー感がハンパじゃない。
ついでに乙女ゲーに即して言うならば、純愛なら年上に相手にされなくて涙する、とか、関係が学校にバレて退学にさせられる、とか、相手のエグい過去のトラウマが発覚して巻き込まれる、とかがありそうなのが年上ルートである。妹に幸せになってほしいオレとしては、見過ごせない。
オレの妹に限ってそんな、はっはっは、あんな適当なやつに惹かれるはずがあるまい、と笑っているわけにもいかない。ルートがあるんだから惹かれてしまうことは確定なのだ。
ようやく辿りついた生徒用昇降口。いちいち上履きに履き替えることも面倒で、裸足(靴下装備)のまま校内に入る。
逃げて! 翔子逃げろ! そのルートを全力で回避するんだっ!
階段を駆けあがって叫ぶ――声ではなく心で。だが、もちろん翔子に聞こえるはずもないのだった。
そのときのオレは目の前の事象でいっぱいいっぱいで、なぜ今自分が自由に動けているのかという疑問は頭の片隅においやっていた。その疑問を擬人化していたら、片隅で膝を抱えて体育座りでもしてただろう。「重要なのになあ」とか呟いて。そんなこと、当時のオレが知る由もない。
◆◇ ◆◇ ◆◇
【翔子】
「失礼します」
翔子は開け放たれたままの職員室の扉をノックした。応答はなかったが、敷居を跨いで中に入る。入ってすぐ右には、白インクで枠が書きこまれた黒板と同じように黒インクで枠がプリントされたホワイトボードがひとつずつ設置されている。黒板のほうは年間行事予定表、ホワイトボードは月間行事予定表だ。月間予定表には日付ごとに戸締り担当者の名字が書かれている。
壁際にクラスごとに配布物を入れておく棚があり、その棚の上に出席簿を保管するプラスチック製の書類立てと、校欠申込書・特別室利用申込書の入った缶ケースが置いてある。すぐ横に特別室の鍵が掛けられている掲示板があり、敷地内での煙草を禁止する張り紙と、整理整頓を呼びかける張り紙、職員の机の場所を示すプリントが順に貼ってあった。
壁から振り返り、翔子が中を見渡すと、向かい合わせになった教員用の机が、五列ずつ並んでいた。先ほど確認した担任教師の机に、迷わず行く。
中田は難しそうな顔でパソコンと格闘していた。ブラインドタッチとは行かず、時折手元のキーと画面とを睨みつけながら、片手で入力していた。画面の横に、手書きされたメモが貼りつけてある。
【翔子】
「中田先生」
【中田】
「んー? おう、池上妹か」
翔子が声を掛けると、中田は、よう、と片手を上げた。手慣れた手つきでマウスを動かし文書を保存して、椅子ごと振り返る。
『池上妹』と呼ばれて、翔子はちょっと複雑な気持ちになった。兄・雅人との区別のためにつけられたようだが、自分自身ではなくて兄を通して認識されているような感じがするのだ。
【翔子】
「日誌、持って来ました」
【中田】
「お。お疲れさん。どれどれ、何書いた?」
中田はニヤニヤと笑い、不精髭の生えた顎を撫でながら、受け取った日誌をめくった。
日誌には、日付、曜日、天気、日直、欠席者、時間割とその内容、を書くほかに、『日直の一言』を記入する欄がある。中田が指しているのはその欄のことだ。
【翔子】
「普通のことですよ。い、今読まなくてもいいじゃないですか」
『日直の一言』には、担任教師からの返信がある。中田に読まれることを意識して書いたものの、目の前で読まれて、少しだけ恥ずかしくなった。
【中田】
「普通か? 『池上翔子と言います。皆さん、中田先生、一年間よろしくお願いします。三年に居る池上雅人はわたしの兄ですが――』」
【翔子】
「きゃ、きゃー! 読み上げないでください!」
あたふたと中田から日誌を取りあげようとしたが、中田は翔子の手を逃れるように腕を伸ばす。
【中田】
「『わたしは頭も運動神経も普通です。できれば、中田先生、わたしのことを『池上妹』って呼ばないでください(笑)』」
【翔子】
「先生っ、やめてー」
【中田】
「『お兄ちゃんが平凡なわたしを恥ずかしがるかもしれないから』……妹って呼んで何が悪いんだー? 平凡。いいじゃないか。可愛い妹を持って、池上も幸せだろう」
【翔子】
「うう。だ、だって」
【中田】
「何か嫌なことでもあったか?」
それまでのニヤニヤした笑いから、急に真剣な顔になって、先生らしい口調で中田が言う。翔子は戸惑って、ふるふると首を振った。
【中田】
「まあ、お前が嫌なら名前で呼ばないでもない」
【翔子】
「え? 名前? 『池上』でいいですよ?」
【中田】
「だから、オレの中で『池上』はアイツなんだって。いつものクセで、『池上妹』って言っちまうと思うぞ」
それなら……
・『池ちゃん』とかどうですか?
・『池上翔子』がいいです
・『翔子』でいいです
◆◇ ◆◇ ◆◇
階段の踊り場で、先には通さない、とばかりに腕を広げた男に引き留められた。
第一ボタンまできっちりとめたワイシャツ、首元までぎゅっと締められたネクタイは神経質で真面目で権力に従順な性格をあらわしていた。目元まで覆うくらい不気味に伸びた髪の毛、にたにたと笑う不揃いの黄色い歯は、しかし見ているものを不快にする見た目で、気を使っているらしい服装から受ける印象とは乖離していた。
ネクタイはオレと同じ三年の色。オレはそいつに『見覚えがあった』。同じクラスにいる男子生徒だ。
「佐々木……? お前、なんのつもりだ。そこを通せよ」
「い、い、嫌だよ。こ、こ、通して、かかか、介入されるのが、いいい、嫌なん、だ。ボ、ボク、ボクは、許せない。な、何より、君のループは、不完全、だってことが分かったし――」
「何言ってんだか、分かんねえよ。とりあえずそこどけって、オレは急いでんだ」
佐々木は、ひとつの言葉を発するにも時間が掛かる。しかもそのどれもが意味不明だ。付き合いきれない。
オレは邪魔なそいつの肩を右手で押しのけるようにして、そこを無理矢理通り抜けようとした。のだが。
「イ・ヤ・だ」
「いッ――!?」
ギリッ、と。
佐々木に触れたオレの手首に、ヤツの指が食いこんだ。恐ろしいほどの力で握りしめられる。
鋭く伸びた爪が深く刺さり、肌を突き破った。浅い傷口から、指先につうっと血が伝り、床に滴り落ちた。佐々木の爪は、傷口を広げるように容赦なく抉り続ける。
「俺が絶対。俺から逃げるものは許さない。俺の言う通りにするんだ」
佐々木の口調が、まるで別人のようにがらりと変わった。
「なん、なんだよ、お前……?」
「ハッキリ言うね。君は完全だった、イレギュラーが起きなければ。完全に俺の人形だった。駒だった。遊び道具だった。なんでだろうね、嫌になっちゃうね。うふふ、知ってるけどね。理由、知ってるけどね。俺に知らないことなんてないから」
佐々木の右手が、オレの顎を掴み、無理矢理上に逸らせる。息が詰まって、苦しい。このまま手首のように首を締められるんじゃないか、という恐怖から、口から赦しを乞う台詞が出そうになるが、歯を食いしばって耐えた。
佐々木は笑っていた。そのくせ、冷徹な目でオレを見下ろしていた。
いつのまにか、大体同じくらいの――いや猫背気味だったせいでオレよりも小さく見えていた――佐々木の背が、ぐんぐんと伸びていた。ヒッ、とオレの喉が鳴った。本能的な恐怖だった。
「君のことずっと見てるって俺は言ったね。俺は君が何回トライしたか知っているよ。君が知らないことを俺は全部知ってる。君のことならなんでも知ってる」
同意を求めるように、佐々木は首を傾げてみせた。と、そこで、まるでゲーム画面出力のコンポジット端子が外れかかっているかのような、画面の乱れが視界に起きた。
「俺は君で、君は俺で、君は俺のもので、俺は君の支配者。自分のものが不完全なら、完全に戻るまで責任もって直してあげないとね。ねえ、君もそう思うでしょ?」
砂嵐が視界の下部分から発生し、全てを覆い、また去っていき、目の前の全てがブレる。耳に不快な雑音が聞こえてくる。
まるで分身したかのように、三日月型に弧を描く佐々木の口元が、視界にいくつも浮かんだ。逃れられない、とオレは思った。
「おやすみ」
その声を最後に、ぷつっとあらゆる感覚が消えた。
あいつは何だ、オレの何を知っているんだ。あいつの言っていた言葉が頭の中を駆け廻り、身体じゅうを言葉でできた鎖が束縛する。――オレはあいつで、あいつはオレ――何だ、それは?




