↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
14/14

最後の反逆者


一 写真


大陸は豊かになった。

戦が終わって数年になる。道は石で固められ、川には橋が掛かり、どの町にも学校と診療所があった。麦粥で腹を満たしていた者が、白いパンを食べている。市場では人間と魔族が隣り合って店を出し、値切り合い、たまに殴り合い、警察官に引き離されている。

悪いことがなくなったわけではなかった。流行り病は毎年どこかで出た。盗人はいた。袖の下を取る役人もいた。穀物を買い占めて値を吊り上げる商人がいて、角のあるなしで喧嘩をする酔っ払いがいた。

それでも、アレンが来る前と比べれば、比べものにならなかった。それは誰もが認めていた。

秋の初め、北から早馬が着いた。

「見たことのない軍勢が現れました」

写真が卓に並べられた。写真機は、アレンが何年か前に作らせたものだった。

居並ぶ者たちは首をひねった。鉄の箱に長い筒がついて、車輪のかわりに帯を履いている。翼のある鉄の鳥が、地面に列をなしている。兵は見慣れない短い銃を提げている。

アレンだけが、黙っていた。

「知ってるのか」と古い仲間が訊いた。

「……これは戦車だ。こっちは戦闘機」

「センシャ」

「俺のいた世界の武器だよ。俺には作れなかったやつだ」

仲間は最後の一枚を指した。空に、羽虫の群れのようなものが写っていた。一つ一つに小さな翼があった。

「じゃあ、これは」

アレンは写真を取り上げて、長いこと見た。

「……俺も知らない」


二 北


アレンは古い仲間たちと、兵を二千だけ連れて北へ行った。

北の辺境の野に、灰色の天幕の町ができていた。鉄の箱が何百も並び、羽虫の群れが空を巡っていた。アレンが近づくと、群れは道を空けた。

天幕の前に、若い男が立っていた。

二十歳そこそこだった。穏やかな顔で、丁寧にお辞儀をした。

「あなたがアレンさんですか。ずっとお会いしたかった」

嘘のない目だった。

「この世界をここまで変えたのは、本当にすごいことだと思います。道も、学校も、魔族との和平も。僕一人では、同じ年数でここまでは来られなかった」

アレンは茶を出された。旨い茶だった。

若者は、訊かれたことに何でも答えた。隠す様子がなかった。

自分は、この大陸を一度に消すことができる。しない。するつもりもない。

死んだ者でも、体がある程度残っていれば生き返らせることができる。

連れてきた医師たちは、こちらで死病と呼ばれている病のほとんどを治せる。

畑のこと、荷の運び方、遠くと話す仕組み、役所の回し方。若者は一つずつ話した。アレンは一つずつ聞いた。どれも、アレンが十七年かけてやってきたことの、その先だった。いつか作ろうとして、作り方が分からなかったものだった。

「世界はまだ、完全には平和ではありません」

若者は言った。責める口調ではなかった。

「病気で死ぬ人がいます。犯罪もある。種族どうしの諍いもある。飢える人だって、まだいます」

アレンは否定できなかった。先月の報告書に、同じことが書いてあった。

「だから、世界をもっと良くするために。合理的に、最適にするために」

若者はまっすぐアレンを見た。

「僕の言うことを、聞いてください」

アレンは、その言葉を知っていた。

十七年、自分が言ってきた言葉だった。砦の前で。土手の上で。丘の上で。鉄の船の甲板で。

若者は正しかった。筋が通っていた。そしてアレンより強く、アレンより多くを知り、たぶんアレンより優しかった。

アレンは茶の礼を言って、一戦も交えずに都へ帰った。


三 夜


都に戻って、アレンは訊いて回った。

将軍に訊いた。勝てません、と将軍は言った。あの鉄の鳥一羽で、我が軍の一個師団が半日で消えます。

医師に訊いた。老いた医師長は、若者の連れてきた医師団の仕事を見てきていた。泣いていた。あれがあれば、去年の熱病で子供は一人も死なずに済みました。

学者に訊いた。役人に勘定させた。

答えは全部同じだった。戦えば負ける。従えば、今より多くの命が助かる。

アレンは自分でも勘定した。三度やって、三度同じになった。

従うべきだった。

分かっていた。自分がそう言ってきたのだ。古い軍学に。貴族の家柄に。千年続いた都に。もっと良いやり方があるなら変えろ。面子より人の命だ。筋道を立てて考えろ。

夜、寝台に横になった。

眠れなかった。

起きて水を飲んだ。また横になった。天井を見た。

窓の外に、都の灯があった。自分が引かせた街灯だった。朝になればパン屋が窯に火を入れる。市場が開く。子供が石板を抱えて学校へ走る。

あの若者に渡せば、たぶんもっと良くなる。

なぜだ、とアレンは思った。

あいつの言うことは正しい。俺なら、そう言う。

いや。

俺は、そう言ってきた。

それなのに、腹の底がざわついて収まらなかった。

この世界に来て初めて、アレンは朝まで眠れなかった。


四 会議


朝の御前会議で、アレンは言った。

「従おう」

誰も反対しなかった。いつものことだった。アレンの決めたことは、十七年、いつも正しかった。書記が筆を取った。

妃だけが訊いた。

「あなたは、どうするの」

アレンは口を開けて、止まった。

厚く遇されるだろう。地位も、屋敷も、そのままだろう。世の中が良くなれば、暮らしは今より楽になるかもしれない。全部分かっていた。

「……分からない」

「どうしたいの」

「……どうしたいんだろう」

妃が笑った。

「初めてね」

「え?」

「あなたがそんなに悩んでるの、初めて見た」

「俺も」と古い仲間が言った。

「私も」と誰かが言った。

卓のまわりに笑いが起きた。

古い仲間が、椅子の背にもたれた。十七年前、最初にアレンの荷物を持った男だった。

「お前の好きにすりゃいいじゃん」

「好きにって……」

「俺はやるぜ?」

「……何を」

「お前がやりたいことをだよ」

「私もやる!」

「俺も!」

「私も!」

アレンは困った顔で、卓を見回した。こういうときにどうすればいいのか、誰にも教わっていなかった。

内務の長だけが、手を挙げなかった。白髪の、実直な男だった。

「私は残ります。明日も役所は開けねばなりませんので」

「……うん。頼む」

「は」

妃は泣いていた。泣きながら笑っていた。

「ねえ。気にしなくていいから」

アレンは答えられなかった。

「私、あなたがそうやって苦しんでるの、見たくない。だから、いつもみたいに言ってよ。やろうって。誰も逃げないから」

アレンは頭を掻きむしった。

「……ああもう!!」

立ち上がった。椅子が倒れた。

「俺はさあ!! みんながもっと良くなるようにって、ずっと頑張ってきたんだよ! 良くなったよ! でも、まだ足りないのも分かってる! あいつが正しいのも分かってる! あいつに任せたほうが、きっとうまく行くのも!!」

息が切れた。

「でも……!」

皆が待った。

「あいつの顔が、いけ好かないんだよ!!」

静かになった。

それから、会議室が割れるほど笑った。将軍が卓を叩いていた。書記が筆を落とした。内務の長まで、口もとを押さえていた。

世界の行く末を賭ける理由が、それだった。

アレンも、しまいには笑った。

「……じゃあ」

目尻を拭いた。

「喧嘩、売りに行くか」


五 布告


その前に、アレンは外務の役人を呼んで、布告を書かせた。

一 国は、北の転生者にこれを譲る。

一 役所も軍も、以後は新しい政府の指図に従う。

一 民は一切、抗ってはならない。

「ここまでは結構ですが」と役人は言った。

「続きがある」

一 アレン及びこれに同心する者は、この限りでない。

一 右の者どもは国を代表しない。国の軍でもない。反逆者である。

「……ご自分で、反逆者とお書きになる」

「事実だろ」

一 何人も、右の者どもの行く手を妨げてはならない。

「妨げた場合は」

「俺が山ごと吹き飛ばす、と書け」

役人は額を押さえた。

「これ、本当に公文書に書くんですか」

「書け」

役人は書いた。字は立派だった。

山を割る力は、最後まで衰えていなかった。その最後の使い道は、国を取ることでも守ることでもなかった。喧嘩を売りに行く道を、空けさせることだった。


六 百人足らず


出立の朝は晴れた。

かつて何十万を動かして大陸を一つにした男の横に、その朝いたのは、古い仲間たちと、勝手についてきた者たちだけだった。数えると九十三人いた。百人に少し足りなかった。

誰も命じられていなかった。誰も、勝てるとは思っていなかった。

沿道には人が出ていた。手を振る者がいた。首を振る者がいた。パン屋は店を開けていた。子供は学校へ走っていった。国はもう降伏していて、行列に加わる義理は誰にもなかった。それでよかった。

都の門を出て、北への街道を歩いた。

「世界最強に殴り込む反逆者の集団か」と誰かが言った。

「怖い?」と妃が訊いた。

「怖いね」とアレンは言った。

「勝てると思う?」

「勝てないだろうなあ」

「勝てないなら、戦わない?」

アレンは少し黙った。

歩きながら、北の空を見た。

「……いや」

口の端が上がった。

「あいつを一発、ぶん殴りたい」

笑い声が上がった。

「いいじゃない、それ」

「じゃあ俺は蹴りを入れるわ」

「私は股を蹴り上げてやる」

「うわあ、痛え!」

「ひでえ!」

笑いながら歩いた。声が、だんだん増えた。

「……そうだな」

「そうだね」

「うん」

「やってやろう」

「やろう」

「見せてやろうぜ」

三日歩いた。四日目の朝、野の向こうに灰色の天幕が見えた。空に羽虫の群れが浮いていた。その下に、若い男が一人、困った顔で立っていた。

アレンは、その顔を知っていた。昔、自分がしていた顔だった。

笑った。

「よーし!!」

振り返った。九十三人が、もう走る構えをしていた。

「みんな行こう! あいつを泣かせに!!」

「「「おおおおおおお!!」」」

*

そして世界は平和になった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。