六百年前の兄弟
2026年、国会で皇室典範の改正が進んでいる。
ニュースで見た人も多いだろう。
今回の改正には大きく二つの柱がある。
一つは、女性皇族が結婚しても皇族の身分を保てるようにすること。
もう一つは、戦後に皇籍を離れた「旧宮家」の男系男子を、養子として皇室に迎えることだ。
皇族の数が過去最少の水準まで減っているため、その確保が急がれている。
このニュースの中で、私が最も面白いと感じたのは、法律の中身そのものよりも、ある一つの数字だった。
宮内庁は国会で、旧宮家の男系男子と今の天皇陛下の関係を「36親等から38親等」と説明している。
親等というのは、血のつながりの遠さを表す単位だ。
1親等は親と子、2親等は祖父母と孫や兄弟にあたる。
36親等ともなれば、もはや赤の他人と言ってもおかしくないほどの遠さである。
ではこの数字は、いったい何を意味するのだろうか。
そもそも日本の皇室には、初代の神武天皇からずっと男系、つまり父方の血筋で続いてきたという「万世一系」の考え方がある。
今の天皇陛下も、系図をたどれば126代前の神武天皇にまでつながるとされている。
ただし、この神武天皇が実在した歴史上の人物かどうかは、学問的にはかなり疑わしいとされている。
皇紀で数えると即位は紀元前660年ということになり、これは邪馬台国の卑弥呼よりもさらに数百年も前の話だからだ。
つまり、皇室典範をめぐる議論の土台には、史実として確かめようのない神話の部分と、記録によって細かく特定できる歴史の部分が、両方とも組み込まれている。
今回の36親等という数字は、そのうち後者、しっかりと記録に残っている部分から導かれたものだ。
答えは、六百年近くも昔にさかのぼる。
時は室町時代の1428年。
当時の天皇であった称光天皇に跡継ぎがいなかったため、伏見宮家という別の家系から後継者が迎えられた。
この人物が第102代・後花園天皇である。
このとき、後花園天皇には実の弟がいた。
名を貞常親王という。
兄が天皇の位を継いだ一方で、弟は実家である伏見宮家に残った。
ここで初めて、「天皇の系統」と「後の旧宮家につながる系統」が枝分かれしたのである。
つまり、今から見て36親等も離れた二つの家系は、六百年前のこの瞬間には、確かに同じ家で育った兄弟だったということになる。
想像してみてほしい。
室町幕府の将軍・足利義教が力を振るっていた時代に、二人の兄弟が同じ屋根の下で暮らしていた。
その一方の子孫が今の天皇陛下であり、もう一方の子孫が、今まさに養子縁組の候補として名前が挙がっている人々なのだ。
応仁の乱すら、まだ起きていない時代の話である。
六百年、代にして三十数代分もの隔たりと聞くと、「もはや別の家族ではないか」と感じるのも無理はない。
実際、政府の有識者会議でも、これほど遠い血筋を国民が皇族として受け入れられるかという懸念が示されてきた。
今回の改正をめぐる国会審議でも、野党の議員から同じ趣旨の指摘が出ている。
しかし私は、この「遠さ」こそが、むしろすごいことなのだと思うようになった。
六百年前に分かれた家系の、どちらが誰の子孫であるかを、今でもはっきり特定できる。
これは決して当たり前のことではない。
たいていの家系では、数百年も前の先祖がどこの誰だったかなど、たどりようがないのが普通だ。
皇室が特別なのは、血のつながりが濃いからではなく、その記録を六百年間、途切れさせずに残し続けてきたことにあるのではないか。
「皇統譜」と呼ばれる公式の記録が、天皇や皇族の血筋を代々書き残してきたからこそ、これほど詳しい特定が可能になっている。
記録の精度が高いからこそ、「二人は兄弟だったが、その子孫は今や36親等も離れている」という、一見矛盾するような事実がはっきりと見えてくる。
もし記録があいまいなままだったなら、「なんとなく親戚らしい」という程度の、ロマンの薄い話で終わっていたはずだ。
伏見宮家に残った貞常親王の子孫たちは、その後の六百年間、天皇になることなど考えもせずに暮らしてきた時期の方がずっと長い。
江戸時代には、寺の僧侶として過ごした人物も少なくなかったという。
それが明治維新のころに還俗し、宮家として表舞台に戻ってくる。
分家はさらに枝分かれし、山階宮や久邇宮、竹田宮といった名前の宮家が次々に生まれていった。
そして令和の今、思いがけず皇室典範改正の主役として、再び脚光を浴びている。
一つの家系がたどってきた六百年の巡り合わせを思うと、単なる法律のニュースが、急に壮大な物語のように見えてくる。
皇室典範改正のような制度の話は、一見すると難しく、自分とは関係のない世界の出来事に思えるかもしれない。
だが、その裏側には、室町時代の兄弟から始まる、途切れることのない一本の糸がある。
国会でのやり取りや、養子の年齢制限といった細かな制度の話だけを追っていると、この壮大さはなかなか見えてこない。
けれども「36親等」という一見無機質な数字の背後に、六百年前に別れた兄弟の物語があると知ると、ニュースの読み方も少し変わってくるはずだ。
法律の改正というのは、多くの場合、今この瞬間の課題を解決するために作られる。
しかし皇室典範のように長い歴史を持つ制度を改めるときには、過去何百年分もの積み重ねが、良くも悪くも一緒についてくる。
普段、私たちが自分の先祖について語れるのは、せいぜい祖父母や、よく知られていても曽祖父母くらいまでではないだろうか。
それより前になると、名前すら分からなくなる家庭が大半のはずだ。
そう考えると、六百年前の兄弟の別れまで正確にたどれるという事実は、あらためて特別なことに思えてくる。
今回の改正がどのような形で決着するにせよ、その先には、室町時代から続く一本の長い糸があることを、少し覚えておきたいと思う。
ニュースで見かける数字や制度の名前の裏側には、たいてい誰かの生きた歴史が隠れている。
そのことに気づけると、少し難しく感じるニュースも、意外と身近な物語として読めるようになるはずだ。




