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ウクライナの事例から日本が学ぶべき事

 2022年2月、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を開始した。

 この戦争は国際法上、明確な侵略行為だと評価されている。

 国連総会でも多くの国がロシアを非難した。

 しかし、この文章で考えたいのはルール上の正しさではない。

 島国という違う条件を持つ日本が、この出来事から何を学べるか、という点である。


 まず注目すべきは「約束の重さ」という問題だ。

 ウクライナは1994年、核兵器を手放す代わりに、アメリカやイギリス、ロシアから安全の保証を受け取った。

 ところが2014年、ロシアがクリミアを併合した時、その約束は実際には機能しなかった。

 この経験は、口約束だけの安全保障がいかに脆いかを教えてくれる。


 日本にとって、これは他人事ではない。

 日本は日米安全保障条約という、法律上の防衛義務を持っている点でウクライナとは違う。

 しかし、条約に書いてあることと、実際に有事の時に機能することは、必ずしも同じではない。

 平時からの訓練や、指揮系統の連携をどれだけ積み重ねているかが、いざという時の実効性を左右する。


 次に考えたいのは、核兵器の存在がもたらす非対称性である。

 ロシアは核保有国であるため、NATO諸国は直接の参戦を避け続けている。

 核を持たない国は、対立が起きた時に選べる手段の幅が狭くなりやすい。

 交渉の場でも、「最悪の場合には何が起こりうるか」という力関係が、どうしても核を持つ側に有利に働きやすいのである。


 日本も非核保有国であり、アメリカの「核の傘」に安全保障の一部を頼っている。

 この傘が本当に機能するかどうかは、ウクライナの教訓を踏まえれば、軽く考えてよい問題ではない。

 約束を交わした相手が、いざという時に本気で行動する意思を持っているかどうかは、平時の言葉だけでは確かめようがない。

 だからこそ、日頃からの対話や共同訓練を通じて、約束の中身を具体的に確認し続ける努力が欠かせないのだろう。


 また、経済的なつながりが持つ二つの顔にも目を向けたい。

 ロシアへのエネルギー依存が高かった国ほど、侵攻後の対応の自由度が狭められた。

 ドイツはその代表的な例として、たびたび議論の対象になっている。

 輸入を止めれば自国の産業や暮らしが苦しくなり、止めなければ相手国に資金を送り続けることになる、という板挟みに陥ったのである。


 日本も、レアアースや半導体部品などの供給網で、他国に依存している部分が多い。

 普段は貿易によって互いに利益を得られる、便利な相互依存が、対立が深まった瞬間には、そのまま弱点に変わりうる。

 特定の国や地域に依存が偏りすぎていないか、代わりの調達先をどれだけ確保できているか、という点検は、平時のうちに済ませておくべき課題だと言える。


 ここで避けて通れないのが、ウクライナ自身のリスク管理をどう評価するか、という問題だ。

 2014年のクリミア併合や、東部ドンバス地域での紛争という、明確な危険信号があったにもかかわらず、侵攻直前までの防衛態勢の強化は十分ではなかったという指摘が、侵攻後のウクライナ国内でもなされている。

 NATO加盟という「将来の展望」への期待が、実際の軍事的な備えに置き換わってしまっていた面がある、という見方だ。


 ただし、この評価には大きな注意点がある。

 過去に戻ってやり直すことはできない以上、「もっと備えていれば侵攻を防げたか」という問いは、実際には検証できない仮定にすぎない。

 侵攻という結果を知っている今だからこそ「備えが甘かった」と言えるのであり、当時の不確かな状況の中で、どこまで見通せたかは別の問題である。

 また、どれだけ軍事的な備えに予算や人を割くかは、他の政策との兼ね合いを含めた政治的な判断であり、際限なく増やせるものでもない。


 したがって、「ウクライナの対応に甘さがあった」という指摘自体は成り立ちうるとしても、それをそのまま「だから侵攻された側にも責任がある」という結論に結びつけるのは、慎重であるべきだろう。

 むしろここから引き出すべきなのは、「明確な危険信号が出た時、どの段階で、どの程度の備えに切り替えるべきか」という、判断のタイミングに関する教訓である。


 ウクライナの経験は、周辺の国々の行動も大きく変えた。

 長年、中立政策を保ってきたフィンランドとスウェーデンは、侵攻後わずか数か月でNATO加盟へと方針を転換した。

 両国は「政治的な展望」だけでは安心できないと判断し、法的な集団防衛義務を持つ同盟への加盟を急いだのである。

 この動きは、口約束と、実際に効力を持つ約束との違いを、周辺国が敏感に感じ取った結果だと言える。


 もう一つ見逃せないのが、弾薬や装備をどれだけ備蓄しておくか、という論点である。

 各国がウクライナへの軍事支援を続けた結果、自国の備蓄が想定以上に圧迫されるという事態が起きた。

 平時には目立たない防衛産業の生産能力が、有事には物を言う、という教訓は、日本を含む多くの国で、あらためて議論されるきっかけになった。

 弾薬工場をどれだけ維持し、どれだけの速さで増産できるかという、地味だが実務的な備えの重要性が浮き彫りになったのである。


 一方で、ウクライナの経験をそのまま日本に当てはめることには、慎重であるべき理由もある。

 日本は島国であり、陸続きの国境紛争という地政学的な条件が、ロシアとウクライナの関係とは根本的に異なる。

 地上部隊がそのまま攻め込んでくるという状況は、簡単には起こりにくい。

 また、ウクライナとロシアの関係には、歴史や言語、宗教など、日本と近隣国との関係にはない独自の事情が数多く存在する。

 台湾をめぐる問題も、当事国としての立場や国際的な扱いが違うため、単純にウクライナと重ねて考えることはできない。


 つまり、ウクライナの一つひとつの出来事をそのまま日本に当てはめるのは、正しい学び方とは言えない。

 大切なのは、もう一段抽象度を上げて考えることだ。

 「約束は、検証を伴わなければ脆くなる」「相互依存は、支えにも弱点にもなり得る」「力の非対称性は、外交の力学に大きな影響を与える」「危険信号が出た時、備えを切り替える判断は早いに越したことはない」などである。


 こうした教訓は、どれも「絶対にこうすべきだ」という単純な答えを与えてくれるものではない。

 むしろ、平時のうちに何度も問い直しておくべき「問いの立て方」だと考えた方がよいだろう。

 防衛にどれだけの予算や人を割くか、どの国とどれだけ経済的に結びつくか、同盟国との約束をどう具体化していくか。

 これらはすべて、限られた資源の中で選び取る、政治的な判断の積み重ねである。

 遠く離れた国で起きている戦争を、単なるニュースの一つとして眺めるのではなく、自分たちの社会に置き換えて考えてみること。

 それこそが、ウクライナの経験から日本が学ぶべき、最も基本的な姿勢なのではないだろうか。

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