終幕(三) 真の鶴
弘中家と堀立家の婚姻は、驚くほど早く決まった。
市郎と真鶴。
出会ったその日、その瞬間にである。
運命と呼ぶべきか、それとも縁と呼ぶべきか。
両家の者は皆驚いたが、反対する者はいなかった。
隼は、鶴を射止めた。
安芸の守護代家と有力商家の縁組は慶事であると、守護・大内義隆からの許しもすぐに下りた。
そして婚姻を機に、堀立九郎左衛門直正は守護代弘中隆包の経済顧問として招かれ、共に安芸の発展に力を尽くすこととなった。
輿入れの日の朝。
堀立九郎左衛門の屋敷。
真鶴は父の前で、静かに頭を下げていた。
そこにいるのは、かつて奥の間に閉じこもり、一言も発さずにただ海だけを眺め続けていた娘ではない。
生きる意味を見つけた、一人の若い女であった。
かつて病人のようであった娘の面影は、もうどこにもない。
肌は血色良く、黒髪は艶やかに潤い、誰が見ても羨むほどの美貌。
その美しさに、父は目を細める。
真鶴ははっきりと伝える。
「父上。長らく引きこもり、ご心配をかけ続け、親不孝な娘で申しわけありませんでした。お許しください」
「こんな幸せな日に、何を言うのだ。堀立はあの守護代家の弘中と手を取り合えることにもなった。これほどまでの親孝行があろうか。真鶴よ……」
九郎左衛門は込み上げるものを押し殺しながら、続けた。
「市郎どのは、きっとおまえを幸せに導いてくれる。何も心配要らぬ。仲良う暮らせよ」
「はい……」
真鶴は小さく頷いた。
その頬はわずかに紅く染まり、口元には柔らかな笑みが浮かぶ。
かつて一度も見せたことのない笑顔は、今では当たり前のものになっていた。
真鶴はさらに深く、頭を下げる。
「父上……。男手ひとつで、この真鶴を育てていただき、ありがとうございました……。幼き頃……より……ずっと……これまで……」
途切れ途切れに紡がれる言葉を聞きながら、九郎左衛門は苦く笑う。
何かを諦め、吹っ切れたような笑みであった。
「真鶴……。幼き頃の想い出は、なかろうが」
「……!」
頭を下げている真鶴の肩が、ぴくりと動く。
「……辛い想いをさせたな」
九郎左衛門が脇の机の引き出しを開け、一つの白い箱を取り出した。
「これを、おまえに」
真鶴の前へ、そっと箱を差し出す。
見慣れぬ箱を、真鶴は黙って見つめた。
九郎左衛門は優しく語る。
「妻を病で亡くし、我が家が塞ぎ込んでいた時……。わしも、店の者も皆、おまえに救われたのだ」
「……」
「たとえおまえが以前の記憶を失って、部屋の隅で海を眺めているだけでもな」
真鶴は静かに顔を上げ、父を見た。
娘に無視をされ続けても、気をかけ続けてくれた父を。
「妻は伊予で出会い、店のためによう尽くしてくれた。店の者たちにとっては、母も同然であった。おまえの面影に似た美しい女子でのう……」
九郎左衛門は厳つい髭面に似合わぬ笑みを見せながら、語った。
「おまえは二年前、浜辺に打ち上げられておった。全身傷だらけで、今にも息絶えそうな姿でな……。我が家で助けたが、傷は癒えても、おまえは前のことを何一つ覚えておらんかった」
九郎左衛門は優しく目を細めた。
「だから、わしは娘として迎えたのだ。店の者も皆、亡き妻にどこか似ているおまえが、家にいてくれて喜んでおった。おまえは黙って、我が娘になってくれた」
「父上……」
真鶴は声を震わせる。
「確かに……二年より前の記憶はございません。でも……」
父の目を見つめる。
「真鶴は、この家の娘として生きてまいりました。少なくとも……、この二年の家族の愛は……間違いなくこの胸にございます」
瞳に涙をにじませる娘を見て、九郎左衛門は静かにうなずいた。
「その箱の中の物は……いつかおまえが我が家を出る時に返そうと、ずっと預かっていた」
真鶴は震える手で、箱を開ける。
「おまえは、それを握り締めて浜に倒れておってな」
父は、静かに語る。
「身元を知る手掛かりは、それだけであった。だから名付けたのだ」
真鶴は、箱の中を見つめた。
「真鶴、と――」
箱の中で、白い光が静かに揺れた。
白鶴の羽を模した、一本の簪であった。
真鶴の瞳から涙があふれ、手の甲に残る古い火傷の跡に、ぽたりと落ちる。
その雫は、小さな沫となって弾けた。
(完)




