第5話【視察】そのさん
「そこのかわいいカップル! ちょいと見ていかないかい?」
市場を歩いていると溌剌とした女性の声が耳に届いた。少し低めのハスキーボイスだ。かわいいカップルとは、と周囲を見回せば、
「あんただよ、きょろきょろしてるお兄さん! かわいい彼女連れて初々しいねえ!」
どうやらその声はティードに話しかけているらしい。彼女の様子は初々しいではなく事務的なだけなのではと思わなくもないが。
彼女も興味を持ったようでティードを伺うように見上げている。暫しデートプランとの兼ね合いを考えたが、彼女が楽しんでくれることが一番だろうと、人の合間を縫ってその声の元へと辿り着く。
「やあやあ、お二人さん学生かい?」
道に敷いた布の上で胡座をかく女性がにやにやと笑っている。露出が多く、豊満な胸が零れ落ちそうなほど小さい胸当てとショートパンツだけのこの国ではあまり見られない装いだ。太ももや引き締まった腹部が丸見えで、並一通りの貴族がこれを見たら売女かと顔を顰めるに違いなかった。幸い、ここにいる貴族令嬢と王子は色々な意味でぶっ飛んだ人間には慣れているため、この国の常識から外れた彼女のことを悪く思うはずもなかったのだが。
よく見れば肌も褐色に近く、顔立ちはこのあたりの民族のようだから、異国民とのハーフだろうか。女性の前に並ぶ商品もその出身を反映してか見たことのないアクセサリーばかりだ。
学園入学前は王城から一度も出たことがない上、ここ数年は学園と王城の往復生活だった箱入り王子は女性をまじまじと見つめた。彼は女性の装いや肌色が珍しくて見ているだけだったが、エリシアが無言で彼の手を強く引く。
「どうした?」
「……いえ」
はっはっは、と女性が快活な笑い声をあげる。
「お兄さん、彼女ちゃんの前でアタシに見惚れるのはダメだろ? まあアタシくらいのいい女は珍しいからね、見惚れる気持ちもわかるが」
戯けて肩をすくめる女性はエリシアに茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせる。
「彼女ちゃん、そんな怖い顔をしなくともお兄さんを誘惑しようってわけじゃあないさ。アタシよりうちの品に見惚れて欲しいくらいだからね」
「確かに、あなたの商品は見慣れないが良い質のものだな」
「……ああ、もしかしてお兄さんこういうのわからないひと? 一回花街にでも行ってみな。やさし〜く教えてくれるから」
何かズレた事を言ってしまったのか、女性が呆れ顔で王都の東側を指差した。
行ったことはないが、ディードの知識には東側の区画にはいわゆる花街――女性が春を売る夜の街があると刻まれている。貴族の男子は学園に入学した頃に一度訪れ手ほどきを受けるらしい。その手ほどきの具体的な内容は、側近は断固として教えてくれなかったが。因みに側近はそれを受けたことがあるのかと聞けば、大量の苦虫を噛み潰したような顔で「それは答えろというご命令でしょうか」と低い声で問われたので手ほどきが何かは想像もできていない。
そういえば数ヶ月前花街のどこかの店が大破したらしい。ちょうどその前の日に弟が城下町に出かけていたので怪我はないかと聞けば、あの程度の用心棒に負けるわけがないという意の言葉が返ってきた。店で暴れた人間とでも戦ったのだろうか。
「彼はそういうところに行くと面倒なことがあるのですわ」
「あっ、えーと、うーんとお兄さんじゃなくておぼっちゃまとか彼女さまって呼んだほうがいい感じかい?」
「いえ、そこはどうでもよろしいのですけれど」
「じゃあ、流石に彼女ちゃんたちが普段から身に付けるのには不足するだろうがね、デートにはちょうどいいのが揃ってるから見て行ってくれよ」
「ええ、拝見させて頂きますわ」
ぼうっとしていたティードをよそに彼女らの間で話が済んだようで、女性の解説を彼女がふんふんと聞いている。彼も途中から聞いていたが、女の装飾品のことはよくわからなかった。その流れで女性の名を聞いたが、
「ユダ。裏切り者のユダと同じ名さ」
「……??」
ちょっと何を言っているのかよくわからなかった。突然裏切り者と言われても……。
エリシアも無言の中で戸惑いを見せたが、何事もなかったかのように商品に関しての質問を再開する。今見ているのは髪紐だが、しゃらしゃらと微かな音のなる精細な品だ。
この国で髪紐といえば後宮の女がつける純白の編み紐だけである。女の命とも言われる髪の中に穢れなき白を編みこむことで王への絶対の忠誠を示すのだとか。
侍女のいない母の髪を編むのは幼いティードの仕事だったから、その真っ白な紐のことは印象に残っている。
母はまだあの紐を髪に編み込んでいるのだろうか。
「同じ色を使っているのに、随分印象が違う」
「糸の組み方っていうもんがあるからね」
「素敵ですわね」
ユダの解説はよくわからないが、髪紐自体は素人目にも綺麗だとわかる。彼女も気に入ったのかしゃがみこんでまでじっくり眺めていた。
同じ色で違う組み方の髪紐を彼女と弟妹への土産として買うのもいいかもしれない。
同じ組み方で違う色でも、お揃いという感じでかわいいと思う。
彼女と義妹は赤系統の髪色で、弟は淡い金髪だ。弟妹は色素が薄めなので濃い色の飾りが似合うが、深い赤色の彼女と合わせるとなると同じ色は難しいか。
夢中になっているエリシアの容姿を上から下まで眺めていると、恐る恐るといった様子で彼女が言う。
「何故私をそんなに見ますの?」
「いや……ちょっと」
贈り物とはサプライズで渡すものらしい。しかし彼女の目の前でこっそり買うのは難しいのではないか。ならむしろ、彼女と弟妹の土産を選んだほうが良いものが買えるのでは。
少し悩んで、ティードは目的を告げた。
「わたしの思いをこめたプレゼントを贈りたいからだ」
「お、想い!?」
彼女がビクッと体を揺らした。何をそんなに驚くのだろうと首を傾げれば、ユダが「あっちゃあ……」と額を手で押さえた。衝撃を受けるエリシアが瞳を瞬いている間に、そのユダがちょいちょいと手招く。近寄れば耳元にユダの唇が寄った。
「お兄さんの天然はタチ悪いねえ、彼女ちゃん絶対勘違いしちまってるよ。ちゃんと具体的に言いな」
最後の言葉の語尾がドスの効いた声だったのでびっくりして頷いてしまう。しかしティードがこくこくと言を受け入れるとユダはにぱっと笑って「気張れよ男子!!」と背をバンバン叩いた。いたい。
「エリシア」
「ふぁ……こほん、何かありまして?」
「ふぁ」がかわいい。
「わたしの婚約者を引き受けてくれてありがとう。些細なものではあるが、君に贈り物をしたい」
熟れたりんごのように真っ赤な顔をした彼女の妹と同じ青い瞳を真剣に見つめて感謝を述べる。彼女はぱちぱちと瞬きをして、「え……あ、感謝の思いですのね」と呟く。彼女は恥ずかしそうに咳払いをすると、
「引き受けた、のではなく婚約を結んだと言ってほしいですわね」
冷静な顔で切り返してくる。
その様子を静かに見守っていたユダが、「些細なとは失礼だねえお兄さん」と茶々を入れた。台詞だけでは怒っているようにも聞こえるが、その顔はにやにやと下品な笑いを貼り付けている。
「すまない」
「真面目なお兄さん、些細で悪いが彼女ちゃんにどうぞ?」
ぱちんとウインクを決めるユダの言葉に甘え、エリシアとともに髪紐を選んだ。結局色違いの同じ組み方の髪紐にし、しゃらしゃらという音の発生源たる細かな金属の装飾をつけた。エリシアには淡い金色を、ミシアには深い赤色を、ルードには紫紺を選ぶ。
「これはオマケだよ」
そう言ってユダが渡してきたのは、淡い金色と深い赤色のグラデーションになっている髪紐。三人のものよりも組み方は簡易だが、雰囲気は似ている。アレンジをしてあるが基本の組み方は同じらしい。
「どうせならみんなお揃いの方がいいだろ?」
「ありがとう、ユダ」
「ふふ」
ユダは浮かべていた笑みを嗜虐的なものに変え、ティードにもたれかかるように体を押し付け口を開く。
「また近いうちに。……それまで彼女ちゃんと仲良くやっておきな、王子サマ」
「……!?」
思わず体を引けば、微かな笑い声を残して褐色の女は消えていた。布も商品も、今しがた購入したもの以外はとうにない。
「え、エリシア! 人が消えた!」
「はい?」
驚いて彼女に報告したが、髪紐をいじっていて消える瞬間を見ていなかったエリシアは「まあ撤退が早いこと」と感心しただけで特に気にしていない。あれは早いというより速いだった。
それに、あの褐色の女はティードの素性を知っていた。それは、何故?
『また近いうちに』――その再会が望ましいものであることを祈る。
ギャグが少なくて申し訳ない
次回 第5話【視察】そのよん 6/19 17時投稿できるはず
第5話最終部




