第70話 クリルタイ(前編)
その年の秋。
ヘルシラント山の周辺に、夥しい数のゴブリンたちが集まって来ていた。
各部族の者たちが、各地から集まって、渦巻いている。
この地に住む、ヘルシラント族。
そして、北方からイプ=スキ族とマイクチェク族。
イプ=スキ族とマイクチェク族は、元々、部族長であるサカとウス=コタはこの地に滞在していたが、それ以外の有力者たちも全て召集され、このヘルシラントに集まって来ていた。
『火の国』のゴブリン三部族の主要な有力者たちが、新たなるゴブリン国家の成り立ちを決めるため、ここヘルシラントの地に集結しているのだった。
リリの召集に応じて参集した者たちによる、ゴブリン諸部族の大会議。
「忽隣塔」の開催である。
参集したのは、「火の国」のゴブリンたちだけではない。
人間からも、『灰の街』の代表、ルインバース議長が。そして有力者であるレバナスたちが。そして、カイモンの街からも代表者たちがこの地を訪れている。
また、集結したゴブリンたちの生活や食を賄うべく、ヘルシラント酒場を中心として、様々な人間の商人たちが集結して商売を行っている。
ヘルシラント山周辺は、あたかも新しい街が出現したかの様な賑わいを見せていた。
また、ゴブリンたちも、この地に来ているのは、「火の国」の三部族だけではない。
隣接する「日登りの国」の、カチホ族をはじめとする諸部族の代表も姿を見せていた。
まだ姿は見えないが、更に南に位置する「隅の国」のシブシ族にも招待の使者が送られている。
こうした人間の代表者たち。そして隣接する国のゴブリン部族たち。
彼らは、「クリルタイ」の会議終了後に行われる行事。ハーンの即位式に参加すべく、招待された者たちだった。
……………
「クリルタイ」の開催に伴い、様々な有力者たちが、ここヘルシラントを訪れて、わたしの元に挨拶にやって来ていた。
来訪の挨拶でもあり、また、わたしが「ハーン」に即位する事を前提とした表敬訪問、顔合わせでもある。
以前から、イプ=スキ族の首脳陣、そしてマイクチェク族のウス=コタは、ヘルシラントに滞在していたので周知の仲だったが、それ以外の面々は初めての顔合わせの者が多い。
「クリルタイ」開催の初期は、彼らの来訪挨拶への対応、彼ら有力者との顔合わせの連続で過ぎていったのだった。
また、人間の街である「灰の街」の代表であるルインバース議長、そしてカイモンの街のマフジ町長とは初対面だった。
今後も彼らとの友好関係は大切だし、わたしは結構緊張しながら、彼らの表敬訪問を受けたのだった。
それ以外にも、様々な者たちとの初対面があった。
そうした出会いの中には印象的なものも多かったし、後に、わたしの運命を大きく揺さぶる者たちも含まれているのだった。
……………
「りり様。続いてのご会見ですが……その……」
「クリルタイ」開催から数日目、その日もわたしへの謁見、表敬訪問者への対応を行っていたが……その時は、来訪者を告げるリーナの口調が、少し違っていた。
「『火の国』の大巫女である、ココチュ殿が参られています」
「ココチュ、殿ですか……」
わたしは繰り返して呟いた。
大巫女、ココチュ。
彼女は「火の国」の大巫女で、「天の神巫」として、この地方のゴブリンたちの間で宗教的権威を持つ一族の長である。
葬儀や結婚式では必ず彼女の一族が立ち会うのが常例になっており、逆に言えば、この一族が立ち会わなければ冠婚葬祭が出来ない、という程の権威を持っている。
その宗教的権威を背景に、かつてはゴブリン部族の政治にも口を挟んでいたと聞く。
最近は部族間の争いが激しかった事もあってか、姿を潜めていたのだが……「火の国」が統一された事もあってか、再び顔を出してきた様だ。
わたしがヘルシラントの長になってからは来た事が無かったが、アクダム時代には時々来訪して、部族運営に口を挟んだり、寄進を求めていたりしたらしい。
「りり様! あのハバアには注意して下さい!」
横に控えていたウス=コタが言った。
「あの老婆は、我がマイクチェク族でも、俺の……私の父に怪しげな預言を吹き込んだり、暗躍していました」
「怪しげな預言?」
「はい」
ウス=コタが頷いた。
「『北の地より、強大なゴブリリのハーンが現れ、火の国に侵攻する。『火の国』の王の領土は、ゴブリリにより炎に包まれるだろう』との預言を、我が父、先王サウ=コタに吹き込んだのです」
ウス=コタが忌々しげな口調で言った。
「そんな預言が……」
「はい。父王が周辺部族への侵攻を行っていたのも、預言にある『強大なゴブリリ・ハーンによる、北からの侵攻』に備えて対抗するために、先に『火の国』を統合するためだったのです」
その言葉を、イプ=スキ族の面々は複雑な表情で聞いていた。
そして、コアクトがぽつり、と言った。
「預言の内容が支離滅裂ですね……」
その言葉に、ウス=コタが「そうですとも!」と、憤慨した様に頷いた。
「実際には、ゴブリリ……りり様は、北の地なのではなく、ここ『火の国』の最南端、ヘルシラントから現れたわけですし、その時点で預言はインチキです。それに、りり様によって『火の国』が炎に包まれた事もありません。
こんなインチキ預言を吐く様なババアなど、信用してはなりませんぞ!」
「……黙れ小童!」
その時、「族長の間」の入口からしゃがれた声がした。
「偉大なる、ゴブリンの神の預言であるぞ! 表面的な文言だけではない、深遠なる意味合いが隠されておるのじゃ!」
そう言いながら入って来たのは、腰の曲がった老婆だった。
数々の装身具に身を包んだ老婆は、同じような服装をした女ゴブリンに手を引かれながら、わたしの前に歩いてくると、こくりと立礼した。
「初めまして、リリさま。大巫女、ココチュでございますじゃ」
軽めの礼、そしてわたしの名前を「りり」と敬音で発音しない事に対して、周囲の者たちが眉をひそめる。ウス=コタに至っては敵意をむき出しの表情をしていた。
そんな周囲を横目に、わたしは平静を装って語りかけた。
「ご来訪ありがとうございます、ココチュ殿」
「この度は、ハーンにご即位されるとの事、おめでとうございます」
ココチュ老は、わたしに祝いの言葉を述べた。
「戦乱が続いた『火の国』が統一され、リリ様がハーンにご即位される事、誠にめでたく思いますじゃ」
そして、続けて発言する。
「リリさまのハーンご即位を祝い、ご即位の際には、『天の神巫』として、神の声として伝えられたハーンの称号を、リリさまにお授け申し上げますじゃ」
ココチュの言によると、神託で下された、ハーンの尊称を与えてくれるらしい。
彼女たちに神託を下す「ゴブリンの神」とやらは、わたしに「採掘」の「スキル」を与えてくれた「神」と同じ者なのだろうか。それとも、別人なのだろうか。
そして……そもそも実在するのだろうか?
そんな事を考えたが、この場では当たり障り無く対応する事にした。
「ありがとう。礼を言います」
「いやいや、『ゴブリンの神』の代理人である、『天の神巫』として、当然の勤めですじゃ」
ココチュはそう言うと、続けた。
「新たなるハン国の成り立ち、そして運営につきましても、我ら一族、神の代理人として、ご助言、ご助力申し上げたいと考えております。どうか今後とも宜しくお願い致しますじゃ」
「……宜しくお願いしますね」
わたしがそう答えると、ココチュは満面の笑みを浮かべながら、一族の者たちと共に、一礼して下がっていった。
その様子を、周囲の者たち……特にウス=コタは、苦々しい視線で見送っていた。
「あの婆を信用するのは危険です!」
ウス=コタははっきりと言った。
「ま、まあ、今のところは、お祝いに来てくれただけですし……」
とりあえず彼をなだめたが、その横で、コアクトも忠告の言葉を告げた。
「ココチュ老はじめ、あの一族には、宗教的な権威があります。それを利用して、りり様の……新国家に介入して、運営に口出ししたり、権力を得ようとしてくると考えられます。宗教的立場から、完全な排除は難しいですし、注意が必要です」
「そうですね……」
わたしはココチュが去って行った入口を眺めながら、頷いた。
これまでも戦いの連続など、様々な試練に直面して来たが、ココチュたちの今後の対応によっては、政治的な、これまでとは違った性質の困難に直面するのかもしれない。
わたしは改めて気を引き締めたのだった。
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