第192話 回廊の戦い(19)挽回の秘策
回廊西陣地での敗戦。
このまま翌朝になれば、タヴェルト軍は回廊内部に進軍して来るだろう。そしてその侵攻を阻止する事は困難であると考えられた。
そうした状況での対策会議の中、「灰の街」の観戦武官レバナスが「文烏」で通信文を送り、この状況を本国に通報しようとしていた。
彼が本国に示唆しようとしていた様に、「灰の街」がこの戦況を……我が軍が敗退しタヴェルト軍の侵攻が不可避である状況を知れば、彼らは街の安全を確保するためにタヴェルト侯側に寝返る事だろう。更にはタヴェルト侯の歓心を買い、有利な立場を確保するために軍勢を派遣し、回廊の東側から我が軍を挟み撃ちにする可能性すらある。もしそうなれば我が軍は壊滅。わたしたちはここで全員戦死という事になるだろう。
しかし……
「……………」
わたしは無言で拘束されているレバナスを。そしてコアクトを初めとして、彼を鋭い目で睨んでいる一同を眺めた。
実際のところ、レバナスの背信とも取れる行動はそれほど重要ではない。
そもそもタヴェルト軍の侵攻を阻止できず、回廊を抜けて本国「火の国」に侵入された時点で、我が国は実質「終わり」と言ってもいい。この先、あの地竜を、そして戦車部隊を阻止できる手段が無いからだ。
そして「灰の街」は、今で無くても、遅かれ早かれいずれかの時点でこの状況を知ることになる。そうなれば街の安全と保身のために、タヴェルト侯に降らざるを得ないだろう。我が国にとっては裏切りではあるが、「灰の街」の生き残りのためには、彼らの立場を考えると当然の行動だ。その意味で、レバナスの行動を単純に責める事はできない。
やはり本質的な問題は、地竜や戦車を擁する強大なタヴェルト軍が進軍して来ている事。そして回廊を突破された時点で、我が国は事実上滅亡が確定するという事だった。
それを阻止するためには……。
……………
わたしは、コアクトを初めとする廷臣たちを前に呼びかけた。
「朕に考えがあります。ここで……この回廊で、タヴェルト軍を食い止めるのです」
その言葉に、コアクトたちは、そして拘束されているレバナスは驚きの声を上げた。
「ええっ!?」
「ど、どうやって!?」
強大な地竜や戦車。タヴェルト軍の阻止は困難であると考えている皆が、一斉に驚きと疑問の声を上げる。
わたしはレバナスの方を向いて言った。
「朕に……わたしに、タヴェルト軍を食い止めるための考えがあります。……レバナスどの。そのためには、あなたには、そして『灰の街』には今ここで不用意な行動を取って欲しくありません。暫くの間……この戦いの決着が着くまで、大人しくしておいてください」
そう言って、周囲の者たちに指示を出す。レバナスは衛兵達に取り囲まれ、本陣の外へと連れ出されていった。当面の間、彼が余計な行動を起こさない様に、身柄を軟禁する事となったのだ。
……………
レバナスが天幕から連行されて姿を消した後、コアクトが怪訝な表情でわたしに訊ねた。
「ハーン。タヴェルト軍をこの回廊で阻止できる方策があるのですか?」
その言葉に、わたしは頷いた。
「はい。地図を見ているうちに、一つ策が思い浮かびました。この方法しかないと思います」
回廊の地形が描かれた絵図。狭い回廊が長く続き、両側は切り立った崖が続いている、この回廊の地図。この地形を見て思いついた事があったのだ。
「その方法とはいったい……」
「はい。まずは、全軍を回廊の外に……東側の出口まで撤退させます」
わたしがそう言うと、廷臣の皆は驚いた表情を浮かべた。
「撤退!? どういうことですか? 先ほどの発言と矛盾しますぞ!」
「タヴェルト軍を回廊の内部で阻止するのに、どうして我が軍は撤退するのですか?」
「回廊の出口まで退けば、タヴェルト軍そのまま押し寄せて来ますぞ!」
次々と上がる疑問の声。それはもっともな疑問であった。
わたしは椅子に座り、皆に向けて語りかけた。
「聞いて下さい、わたしが考えている策はこうです。つまり……」
わたしの説明を聞いて、皆が驚きの表情を浮かべ、そして感嘆の声を上げた。
「ま、まさか、その様な方法があるとは……」
「確かに、この方法であれば地竜も戦車も倒す事ができるかもしれません。しかし……」
「そんな事、今から可能なのですか? それにご負担が……」
不安の声を上げる皆に、わたしは確固たる意思を込めて言った。
「やるしかありません。そして、この方法しかありません」
「し、しかし、これほどの規模となると……。それに今からだと翌朝まで夜通しで間に合うかということになります」
「勿論です。そしてこの方法は、朕が……わたし自身が先頭になって行うべき事です」
しっかりと皆を見据えながら言う。廷臣達の先頭に立っているコアクトが、わたしの目を見て静かに頷いた。
「わかりました。その作戦で行きましょう。……ハーンのお言葉に従います」
「確かに、ここから勝利するには唯一の策かと。……直ちに全軍に指示を出します」
シュウ・ホークも頷いて言った。
……………
決断が下されてから、わたしたちは……我がリリ・ハン国の軍勢は、静かに回廊の東出口に向けて全軍を動かし始めた。
タヴェルト軍の追撃を警戒していたが、昼間の勝利に浮かれているのか、もしくは夜間に回廊に立ち入るリスクを避けているのか、動く様子は無い。回路内からの攻撃には備えつつも、占領した回廊西出口の陣地で夜営……というよりも宴会に夢中という感じだった。我が軍にとっては好都合ではある。
我が軍は静かに、そしてゆっくりと回廊東出口に向けて移動を始める。
その最後尾には、僅かな供回りと護衛兵のみを連れた、わたしの姿があった。
狭い回廊の内部を。そして両側に切り立った崖を。少しずつ確かめる様に、全ての地点を目に焼き付ける様に立ち寄って巡りながら、少しずつ東の方に歩を進めていく。
夜が次第に深まっても、すっかり夜が更けても、そして、次第に東の空が白み始めるまで……わたしは回廊の中を巡り、歩き続けた。
歩き続ける疲労が。そして眠らずに夜通し活動している事による強烈な眠気が襲ってくる。
それでも、わたしは回廊内を歩き続けた。
コアクトやサカ君たち、廷臣たちが心配そうな表情でわたしを見守って、寄り添って付いてきてくれる。それでも……これはわたしにしかできないこと。わたし自身がやらねばならない事なのだ。
回廊の内部を少しずつ下がりながら、全ての場所を訪ねる様に歩き回り、東の出口まで到達した時……。
東の空はすっかり明るくなり、太陽が昇り始めており……翌日の朝が始まろうとしていた。
……………
回廊西側陣地を占領した戦闘の翌日。
トゥリ・ハイラ・ハーンの4年(王国歴596年)、水の月(6月)4日朝。
前夜の祝勝の宴で深酒し、微妙に二日酔いを感じながらも朝食を食べていたタヴェルト侯ドーゼウの本陣に、伝令兵が駆け込んで来た。
「申し上げます! 回廊内からゴブリン共の軍勢が姿を消しております! どうやら昨夜のうちに撤退した模様です!」
「それは誠か?」
「はっ! 斥候騎兵が回廊内部を奥まで探索しましたが、どの拠点からもゴブリン兇奴共は姿を消しております! 回廊を引き払って撤退したと考えられます!」
使者の報告に、タヴェルト侯は愉快げに哄笑した。
「がははは……! ゴブリン共、昨日の戦いで戦意を喪失して逃げおったか。やはり所詮は蛮族、烏合の衆に過ぎぬな。我らの地竜、そして戦車の偉容を見て恐れをなしたのだろう」
嬉しさに二日酔いも吹き飛んで、杯を掲げながら食事の卓を囲む側近たちに自慢げに告げた。
「くくくどうだ、ノムト侯の使者殿。我が軍の圧倒的な力と戦果を。下らぬ手品の様な魔導兵器などと比べて、どちらが有用か、証明された様だな」
相伴させているクルトセン技師に、嘲笑する様に語りかける。彼がぐぬぬと悔しそうな表情をしているのを愉しげに確かめて、タヴェルト侯は続けて言った。
「回廊を制圧すれば、『火の国』は目前だ。『灰の街』もすぐに降るだろうし、『火の国』全土の制圧もたやすいだろう。東方のゴブリン討伐に、もはやノムト侯の出番は無さそうだな」
そして、立ち上がって周囲の者たちに告げた。
「皆の者! まずは逃げ出したゴブリン兇奴共を追い詰めて蹴散らし、ゴブリンのハーンの首を取ってやろう。
……追撃の準備をせよ!」
……………
タヴェルト侯の命令により、朝食もそこそこで切り上げたタヴェルト軍は、回廊の内部へと軍勢を進めた。
戦車部隊を前面に押し出し、その直後に地竜の軍勢「竜騎兵団」が続く。その後方に騎士や配下の諸侯たちの軍勢が続くという陣容であった。
戦車部隊の先頭には、タヴェルト侯ドーゼウ自身が騎乗している戦車があった。彼の傍らには、クルトセン技師も乗せられている。回廊の制圧、そして回廊を抜けて「火の国」に突入する瞬間を一番乗りで見せつけてやるためであった。
がらがらと車輪の音を響かせながらタヴェルト軍戦車部隊が回廊へと進軍していく。
斥候の情報通り、回廊の中にリリ・ハン国のゴブリン兵達の姿は全く見えなかった。
昨日まではいたのだろう、陣地や夜営の跡などは見られるが、ゴブリン自体の姿はどこにもない。伏兵はおろか、斥候のゴブリン兵すらひとりも見えない有様に、タヴェルト侯は高らかに笑い声を上げた。
「がははっ! ゴブリン共、尻尾を巻いて逃げおったか!」
「回廊の各拠点に兵を置いて抵抗するかと思いましたが、意外でしたな」
同乗している客将、準聖騎士セントの言葉に、彼は益々高く笑い声を上げた。
「よほど我らの地竜が恐ろしかったとみえる! ゴブリン共の砦を薙ぎ倒すのが楽しみだったのに、見られないのが残念だがな」
「そうですな。しかしゴブリン共が逃げた『火の国』に入れば、きっとまた機会はあるでしょう。ゴブリンの本拠地を地竜で叩き潰すのも愉しそうですな」
「それもそうだな、がはは」
セントの言葉に、タヴェルト侯は上機嫌で笑った。そして後方を振り返って、部下達に呼びかける。
「皆の者! 回廊を抜ければ『火の国』は目の前だ! ゴブリンどもを追い詰めろ! ゴブリンのハーンを討ち取った者には褒美を……財宝と爵位をくれてやるぞ!」
その言葉に、部下達は歓声を上げた。
引き続き進軍を続けても、回廊内の各拠点にゴブリンの姿は全く見られない。
回廊内最大の拠点である「吾亦紅の街」にもその姿は無く、完全にタヴェルト軍を恐れて逃散したものと考えられた。
部下達の一部が、「吾亦紅の街」に打ち捨てられた品々を略奪しようと駆け寄っていく。タヴェルト侯は笑いながらその動きを制した。
「止せ止せ。その程度の僅かな品物など放っておけ」
そして、付け加える様に続ける。
「『火の国』に入って『灰の街』を降したら、連中からは『徴発』を行うつもりだ! 酒も金も、そして女もたっぷりと差し出させてやる! その時にじっくりと愉しめば良いのだ!」
その言葉に部下達は下卑た笑顔を浮かべ、そして大きな歓声が上がった。この回廊を抜ければ、彼らが待望する「お楽しみ」の時はすぐにやってくるだろう。その時が楽しみだ。
ゴブリンの姿が消えた回廊。タヴェルト軍は更に進軍を続け、いよいよ東の出口が近づいて来た。
「報告します! 回廊東出口にも伏兵は無し! 回廊の外、東方面に、ゴブリン軍が遠ざかりつつあるのが見えるとの事です!」
先行した斥候の兵から報告が為される。その言葉にタヴェルト侯は高らかに笑った。
やはりゴブリン軍が一目散に逃げているのは間違いなさそうだ。回廊出口に伏兵や軍勢を置いて一戦を交える気概すら無いらしい。回廊を放棄し、本拠地まで逃げ帰ろうとしている様だった。
撤退したゴブリン軍はまだ回廊東出口の近くにいる様だ。戦車部隊と騎兵で追えば追いつけるかもしれない。まずは追撃してゴブリン軍を壊滅させ、ハーンの首を取っておくべきか。それともまずは「灰の街」に向かって彼らを投降させる事を優先すべきか。どちらを優先するか悩ましいところだった。
しかし、いずれにしてもまずは回廊の東出口まで行き、「火の国」に足を踏み入れてその景色を見てみたい。
そう考えて、タヴェルト侯は座乗する戦車の御者に全速で馬を走らせる様に指示を出した。
御者の掛け声と共に馬が加速し、タヴェルト侯が座乗する戦車が全速で走り始める。その様子に、部下達が驚きの声を上げた。
「ああっ! 侯! お待ち下さい!」
タヴェルト侯は笑いながら後方の者たちに呼びかけた。
「儂自身が『火の国』に一番乗りするぞ! お前達は後から付いてくるがいい!」
そう叫ぶ。タヴェルト侯を始め、執事のナーガワ、客将のセント、そしてクルトセン技師らの主要な幕僚を乗せた戦車は、後続の者たちを引き離して速度を上げ、単独で回廊の東出口に向けて走り去っていく。
部下達は呆れながらも、自分たちの主君の目立ちたがりな性格は知っているし、そして伏兵がいない事も確認できているので、まあいいか……と突出して回廊出口に向かうタヴェルト侯の戦車を見送ったのだった。
……………
そして。
軍勢から抜け出して駆け出したタヴェルト侯座乗の戦車は、ついに回廊を抜けて、東側の土地に……「火の国」へと足を踏み入れた。
タヴェルト侯ドーゼウは、戦車の上に立ち上がり、一気に開けた景色を見回した。
狭かった回廊内部とは異なり、回廊の東側には、一面の草原が広がっている。
東側の遠くには、撤退しつつあるゴブリンの軍勢の姿も見える。そしてこの距離からは見えないが、地平線の向こうには「灰の街」が待っている筈だ。
これから彼に征服される土地、彼の物になる土地……「火の国」の広がる風景が一気に目に入ってきて、彼は満足げに大きく深呼吸した。
待望の「火の国」の空気を大きく吸い込んで、彼は得意の絶頂となって叫んだ。
「ついに、ついに『火の国』に足を踏み入れたぞ!
この国は、儂の物だ!
ゴブリンども、そして『灰の街』の者ども……! この儂に征服される時を、楽しみに待っているがいい!!!!」
彼の叫びは、「火の国」の草原に高らかに響き渡ったのだった。
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