第189話 回廊の戦い(16)崩壊
退却する、サカ君率いる右賢王軍……イプ=スキ族弓騎兵部隊。
追撃するタヴェルト軍の戦車部隊。その一部が右賢王軍の中心部、指揮系統である首脳部を狙う動きで突撃してきた。
先頭部隊が全速で突撃して迫ってくると同時に、後続部隊は周囲から取り囲んで退路を断つことを狙った動きで進出してくる。
明らかに、右賢王軍を指揮する大将……サカ君を討ち取る事を目論んだ動きだった。
「まずい! 右賢王様をお守りしろ!」
イプ=スキ族の兵たちが矢を放ち、迫ってくるタヴェルト軍の戦車を止めようとする。しかし装甲で守られた敵の戦車には効果がなく、敵軍の追撃は次第にサカ君の身に迫りつつあった。
「あれがゴブリン軍の大将だ!! 討ち取れ!」
追いついてきた敵軍の戦車兵たちがそう叫んで矢を放って攻撃する。間近に迫ってきた敵による矢の雨が、サカ君の周辺にも降り注ぎ始めた。矢に貫かれた周囲の護衛兵たちが何名か、悲鳴を上げながら落馬する。そして、放たれた内の一本が、鈍い音を立ててサカ君の背中に突き刺さった。
「ぐ……っ!」
くぐもった声を上げて、サカ君が一瞬体制を崩した。
「右賢王様!」「族長!」
大将の負傷に、周囲のイプ=スキ族の兵達が悲鳴に近い声を上げる。しかしサカ君は何とか態勢を立て直した。
「……大丈夫」
背中に矢が突き立った状態ながらも、再び馬を走らせるサカ君。しかし、敵軍が後ろから、そして周囲から迫る危機的な状況である事には変わらない。
しかし、イプ=スキ族騎兵部隊の方もこうした時のための切り札を用意していた。
「右賢王様、私にお任せ下さい」
そう言って、サカ君の隣で馬を走らせていたサラクが、後方を見ながら静かに弓を引き絞った。そして、狙いを定めて矢を放つ。
サラクが放った一本の矢は、間近に迫ってきていた敵軍の戦車に向けて真っ直ぐに飛んでいく。そして敵戦車の少し前で、突然、ばちいっ、という音と共に破裂した。
破裂音と紫色の閃光とともに発生した稲妻の渦が、敵戦車を牽引する四頭の馬と台車に乗っている兵達を包み込む。声にならない悲鳴とともに馬たちはその場で転倒、落馬し、牽引されていた台車も轟音とともに転倒してひっくり返る。雷撃のダメージで即死、あるいは気絶していた敵兵たちが台車から投げ出されるのが見えた。
「新兵器である『雷撃箭』。いざという時のために持って来ていましたが、威力は確かな様ですな」
サラクが冷静な口調で、続く矢をつがえながら言った。
「右賢王様、『雷撃箭』の本数は限られてます。今のうちに本陣まで撤退しましょう」
「わかった。ありがとう、サラク」
そう答えてサカ君が馬を走らせる。サラクを始め、周囲のイプ=スキ族弓騎兵たちも後に続いた。
撤退する右賢王軍へのタヴェルト軍の追撃はその後も続き、特に大将であるサカ君の首級を狙う戦車部隊の攻撃は執拗だった。
しかし、敵戦車が迫る度に「雷撃箭」を使用して撃退する事を繰り返し、何とか敵軍の追撃を振り払って堀に架けられた橋を渡り、我が軍の陣地まで撤退する事に成功したのである。
……………
「サカ君! 大丈夫!?」
撤退してきた右賢王軍……イプ=スキ族弓騎兵部隊が本陣に戻ってくるのを見て、わたしは思わずサカ君の方へと駆け寄っていた。
「大丈夫です、りり様……ハーン」
馬から下りたサカ君は革鎧を脱いで、矢が刺さっていた背中の傷の応急処置を受けていた。
「ご安心くださいハーン。毒も塗られていませんでしたし、この程度であれば命に別状はございませぬ」
サカ君の傷口を酒で消毒し、軟膏を塗って包帯を巻きながらサラクが知らせてくれる。わたしはほっと胸を撫で下ろした。
「良かったあ……」
「しかし、攻撃に失敗して被害を出してしまいました。申し訳ありません」
治療を受けながら、サカ君が言った。
サカ君以外にも、イプ=スキ族の軍勢は人馬ともに負傷した兵が多数続出していた。人も馬も敵戦車部隊の攻撃で負傷し、周囲では応急手当が行われている。
それだけではない。前線での戦闘で討ち取られて帰還できなかった兵も多かった。早期に撤退の判断を行った事で被害の拡大を防ぐ事は出来たが、それでもイプ=スキ族が受けた損害は無視できない規模に達していた。
サカ君を警護する部隊が「雷撃箭」を持っていなければ、サカ君を初めとするイプ=スキ族の首脳部が討ち取られて全滅していた可能性すらあった。それほど今回の戦闘の結果は深刻であった。
「ハーンのご期待を受けて出陣したにも関わらず、この様に敗退してしまい、申し訳ありません」
サカ君の言葉に、わたしは首を横に振りながら言った。
「あんな相手が出てきたら仕方ないよ……」
「確かに、まさかあれだけの規模の戦車部隊が出てくるとは思いませんでしたね」
わたしの横からコアクトが言う。
「あれだけの馬や装備を備えた戦車の軍勢を保持しているとは……。昨日の魔導兵器の事もありますし、やはりタヴェルト侯は人間勢力最強の諸侯と言われる事はありますね」
「あんな軍勢がいるとなると、正面からの戦いで圧倒して敵陣を攻略するのは難しそうですね……」
わたしはため息をついたが、シュウ・ホークが進み出てて進言した。
「問題ございませぬ、ハーン。敵が戦車部隊を保持しているからと言って、我が軍の方針に根本的な影響はありませぬ」
そう言って、前方の防衛陣地を指し示した。
イプ=スキ弓騎兵部隊を追撃して来た敵の戦車部隊であったが、我が軍の陣地、その前方に構築された堀を突破する事はできず、その手前で立ち止まっていた。
馬に曳かれた戦車では堀を渡る事ができない。戦車に乗る敵兵たちは堀の対岸から矢を撃ち込んできたが、我が軍も堀の内側の防御陣地から矢を放って反撃する。しばらくの間堀を挟んで矢の撃ち合いになったが、攻めあぐねた敵の戦車部隊は矢の射程距離外まで後方に下がり、再び膠着状態に突入していた。
「ご覧の様に、戦車部隊といえど、堀を渡る事ができないので我が陣地を突破する事はできません。この陣地を堅守して守り切れば良い、という我が軍の戦略は変わらないという事になります」
「確かにそうですね……」
わたしは頷いた。
敵の戦車部隊がここから我が軍の防御陣地を突破しようとする場合、堀を渡らねばならないので、歩兵とともに攻撃を行い、歩兵に堀を突破させて架橋する必要がある。
勿論そんな事をさせないために我が軍は守備兵を配備しているので、堀を渡る際に我が軍守備兵たちの弓矢や魔法攻撃が降り注ぐ事になる。そして堀を渡ってきたとしても、当然架橋などさせる筈は無く、守備兵たちと白兵戦となるのだ。マイクチェク族が離脱するなど混乱もあったが、補充も完了して我が軍の防御陣地はほぼ万全の状態だ。敵軍の陣地突入、そして突破を許すつもりなどない。
敵の戦車部隊は平地での戦いでは確かに強かったが、堀を渡る事ができない状況ではその突破力は活かせず、単に台車の上から矢を撃ってくる馬車にすぎないのだ。
「前方の平地を押さえられたのは残念でしたが、当初からの防衛計画に変わりはありません。敵軍がいよいよ陣地に攻撃を掛けてくる可能性があるので、防御陣地を受け持つ皆に、気を引き締める様に伝えてください」
「ははっ!」
防御陣地を担当する、オシマ族やヘルシラント族の将が一斉に頷いた。
「右賢王およびイプ=スキ族の皆は、まずは傷の手当を。敵が陣地に攻撃を仕掛けてきた場合にはイプ=スキの弓が必要ですし、今後戦況が変化して弓騎兵部隊の出番があるかもしれません。それまで鋭気を養ってください」
「承知いたしました!」
サカ君を初めとするイプ=スキ族の者たちが一斉に頷いた。
一旦は戦況が膠着状態となったので、わたしはそれからしばらくの間、時々仮眠を取りつつ、首脳部の皆とともに防御陣地などを巡って状況を確認しつつ、各部族の激励などを行っていた。
堀をまたいだ対岸では、平地での戦いを制したタヴェルト軍が陣地を前進させていた。
戦車部隊や歩兵部隊などを先頭にして、矢の射程距離ギリギリあたりまでのところまで軍勢を前進させて、布陣している。大将たるタヴェルト侯の旗印も結構前方に移動して来ており、敵軍全体が前進して来ているのが判った。
敵軍の圧力が増す形となり不安ではあるが、堀と防御陣地で守られている状況には変わりがない。もし敵軍が総攻撃を仕掛けて来たらこの防衛ラインで全力で防御するのみである。
そして、堀と防御陣地で万全の防御を行っている我が軍の方が有利な筈だ。敵の戦車部隊には驚かされたが、この防御態勢の前では有効に活用する事はできない。結局は歩兵同士の戦いになるわけだし、その面では我が軍は(マイクチェク族離脱という誤算はあったにしても)防衛体制に万全を期しているという自負があった。敵軍の突破は困難である筈だし、この状況では敵軍も攻勢を躊躇する筈だ。
そんな感じで、敵軍の前進で緊張感は増しつつも、当面は膠着状態が続くだろうと考えていたのだったが……。
その日のうちに、戦況は激変する事となったのであった。
……………
その日の午後。日が傾き始めた頃。
「前線への布陣が完了しました。敵陣を崩した時点で、即座に進撃して堀の渡河が可能です」
部下の報告に、タヴェルト侯ドーゼウは、自信の笑みを浮かべて命令を下した。
「『竜騎兵団』に命じろ。進撃を開始せよ、と」
「ははっ!」
部下が伝令に出て行くのを見届けて、タヴェルト侯は側近たちとともに本陣を出て、前方に設営された櫓に上った。ここからは敵の陣地もよく見える。タヴェルト侯は、これから繰り広げられるであろう光景を思い浮かべて、にやりと笑みを浮かべた。
「くくく……。ゴブリンどもよ。我が国の、そして我がタヴェルト軍の、真の力を見せてやろう。なすすべもなく、蹂躙されるが良い」
……………
突然、敵陣の前方が散開して道を空け、その後方から何物かが進み出てくる。
「な……何だ、あれは!?」
遠目からもわかるその巨大な姿を見て、我が軍の守備兵たちから動揺のざわめきが波の様に巻き起こった。
その姿は、櫓の上にいたわたしたち首脳部のものたちからもはっきりと見て取れた。
それは巨大な生き物。唸り声を上げながら、四本の脚で歩いてくる、巨大なトカゲの様な姿。それは……。
「まさか……」
かつて文献で見た事がある。それは……。
「まさかあれは……地竜!!!!????」
全身が鱗に覆われた、巨大な蛇の様な身体。太い四本の脚と棘の生えた尾。そしてゴツゴツとしたトカゲの様な顔には、二本の角が生えていた。
その背中には鞍が取り付けられており、御者であろうか。一頭につき一人の人間が乗り、手綱で地竜を操縦しているのが見えた。
そんな地竜が、何頭も何頭も、敵陣の中から多数進み出て来たのだ。
(まさか……文献上だけの存在だと思っていた「地竜」が実在しただなんて……。そして、敵の軍勢として出てくるだなんて……!?)
驚きの目で敵陣を眺める。何度見直しても、それは確かに地竜だった。
そして、驚いて眺めている暇などなかった。
御者の乗った地竜たちは、唸り声とともに前進してくると、あっという間に我が軍の陣地手前まで到達して来た。
そして、その巨大な体躯を生かして、重い足音と共に堀を軽々と渡り始める。
「!! 堀を渡らせるな! 射殺せ!」
慌てながらも、我が軍の陣地から弓兵たちが矢を放つ。放たれた矢が、堀を渡っている地竜に降り注いだ。
しかし、地竜には全く効果がない。矢の全てが頑丈な鱗に弾かれてしまう。そして地竜を操る御者も矢を通さない金属鎧を装備していた。
矢も通じない中、易々と堀を渡った地竜は、次々と我が軍の防御陣地に突入して兵達に襲い掛かる。
たちまち、兵達の中から悲鳴が上がった。
その圧倒的な力で薙ぎ倒され、踏み潰され、噛み殺され、弾き飛ばされる兵士達。
防御陣地の兵士たちは、あっという間に蹂躙されていく。前線の防衛ラインは瞬く間に崩壊しつつあった。
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