挿話2 ゴブリン政権と匈奴
本作はリリ率いる「火の国」のゴブリン部族政権(リリ・ハン国)の興亡がテーマとなっていますが、彼ら(彼女たち)の政権は、中国の秦・漢時代を中心にモンゴル高原で活躍した遊牧騎馬民族「匈奴」をモデルとしています。
このテーマは話し出すと長くなるので数回に亘って語りますが、キャラクターの姓やリリ・ハン国における役職名や爵位などは匈奴の政治体制が元となっています。
「兇奴」と書いてある文献もあり、作中で人間勢力からのゴブリン勢力への蔑称「兇奴」はこれが元となっています。
「匈奴」は概ね中国の戦国時代から登場して、対秦連合軍を結成して秦と戦った記録が「秦本紀」に登場しますし、別の時期には趙の李牧将軍と戦ったりしています。
匈奴対策として長城が築かれたり、統一後の秦(始皇帝)が匈奴対策に長男の扶蘇や蒙恬将軍を派遣するなど、この頃から歴史上に名前が上がってきます。
始皇帝の時代に蒙恬将軍が派遣されている間は、匈奴は中原に侵入できなかったのですが、始皇帝の死後に蒙恬将軍が自殺に追い込まれ、秦末→楚漢戦争の混乱期に入った隙をついて勢力を拡大します。そして、この頃に匈奴の英雄、冒頓単于が登場して最盛期を迎えていく事となります。
匈奴が勢力を大きく拡大したのは冒頓単于の時代で、周辺勢力を次々と征服し草原地帯に大遊牧国家を築き、更には「白登山の戦い」で漢の高帝(劉邦)を破り、その後漢の7代皇帝・武帝の時代まで漢から匈奴に貢納させるなど有利な立場を保ちました。
漢の武帝の時代に力関係が逆転して討伐を受ける様になりましたが、匈奴自体はその後も西晋(前漢→新→後漢→三国時代の次)の頃まで存続し、各王朝と様々な関わりを持つこととなります。
後漢の頃になるとかなり弱体化し、南北に分裂し、支配下の遊牧民族も独立し烏桓や鮮卑などの方が有力となって来ます。
しかし、匈奴の後継政権は五胡十六国時代にも登場します。彼らが建てた漢(前趙)の滅亡年が329年。冒頓単于の即位から500年以上歴史に名を残した事になります。
こうして国家としての匈奴は姿を消しましたが、その後の南北朝時代にも影響は残り、流れを汲む貴族が隋唐時代にも影響力を持つなど続く事になります。
独孤氏などが有名で、隋の文帝楊堅の皇后や、唐の高祖李淵の母親などはこの一族出身です。
匈奴がそれまでの部族単位から「遊牧民族国家」へと発展させた意義は大きく、その後登場する遊牧民族の国家、後のモンゴル帝国(元)や清王朝などへと繋がっています。
本作では匈奴を一番のモデルとしつつ、その後の遊牧民族国家からも着想を得て、様々な設定の元となっています。(次回に続く)
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