2-1 -レイチェル-
この章から女性からの視点も取り入れようと。
しかも、おカネの管理する立場の女性として。
レイチェルとメリルは、良い感じのコンビになってくれました。
レイチェルは馬上で風を受けて、柳枝のように細い身体を窄めさせた。肩口で切り揃えた髪を風に遊ばせながら、端麗な顔をしかめさせた。遥か遠方に聳える峻険な山の頂には僅かではあるが白色に塗られている。雲ではなく、雪である。白色が広がるにつれて冬がひたひたとやってくるのである。きりりとした鋭い眼差しを風の吹く山へと向けた。
「あの雪って、やっぱりここまで来るのでしょうか」
「そうね。2か月後ぐらいには膝ぐらいまでは積もるそうよ」
メリルのおっとりとした軟質な声が聞こえた。馬をいなしてレイチェルの側に寄ってきていた。あれやこれやと下手な踊りのように手綱を振っている。「数字の扱いは慣れていますけど、馬は苦手です」と、ロシュを出る前に、丸い眼鏡の奥に控える眦を柔らかく歪めて答えていた姿を思い出した。
十五の時から知っている娘だが、甘く育ち過ぎたか、とレイチェルは嘆息した。報告書の書き方や帳簿の記し方はレイチェルが教えていた。一通り仕事上の処理作法を修めてから、メリルは交易の事務方へ出ていった。レイチェルはエンフィールドに程近いカーライル邸で出納係の一人として業務を携わり、メリルは港町で、交易で出入りする品々と帳簿合わせを勤める。後は適宜、適当に結婚して、子供を産む。仕事を続けるかの有無は状況に合わせて調整し、だらだらとその街で暮らし続ける。そんな将来が待っている筈だった。
――まさかこんな片田舎に異動とはね。
一通り馬を学んでいてよかったと、十年前に親に言われて泣きながら学んでいた頃を感謝した。
「おい、行くぞ」
前方より声が響いた。先行しているレヴィンからだった。高らかな嘶きとともに軽妙な馬蹄音が響いた。レヴィンは後ろ姿を残して颯爽と駆けていった。
レイチェルは馬腹を軽くトンと叩きやり、ゆっくりと歩かせた。メリルは手綱をわたわたとふりやってようやく進めさせる。どうやら馬を走らせないようにするので手一杯のようだった。
また風が吹いた。冷たい芯が身体の内側に染み入るようだった。本島からでたことがないレイチェルには、味わったことのない風ばかりである。
ベルグラーヴの主な生産物は小麦。後は畜産となっている。その他にも葡萄や林檎を栽培している家もあるが、収穫物のほとんどを教会に納めているようで、出納簿の記録は乏しい。
川と井戸より水を汲み、山から岩塩を採る。猟師が森に入り、鳥獣を狩ってくる。それらを皆が適宜分け合って生活を構築する。なるほど、ベルグラーヴは典型的な片田舎であった。
――しかし、実際に歩いて見て廻るのは違うな。
カーライル家の出納を触っていた。収益が多いときと厳しい時とでの空気の違いは肌で覚えている。ベルグラーヴの出納簿を観た際に、収穫に対して人口の少なさが気になった。だが、ベルグラーヴに馬で入り、仕切りの設けられていない畑をみて納得した。広大な畑を村民が相互扶助で営んでいる。畜産にしてもそうだ。放牧のための柵は設けられているぐらいのように見えた。
――そもそもここは国の安定しない土地。
百年に一度、国が変わっている。今でこそ、エンフィールドの領内であるが、アストラやドライゼが納めていた時代もある。国が違えば税の納め方も違う。どのような国でも対応できるようにこうなったのかもしれないと、ユーリ巡視官のレポートを読んで、レイチェルはそう結論付けた。現に、エンフィールドから求められている税は過不足なく納め続けている。
「のんびりした、イイ処ですね」
メリルの間抜けな感想が聞こえた。
「そうね」
レイチェルはそれだけ応えて口を噤んだ。それこそ一月ほど前に、避暑としてこの村に訪れるのであれば、快適な憩いの時間を過ごせるだろう。しかし、自分たちはこれからこの村に住み生活し、勤めなければならない。それも、カーライル家初の領地差配として。
――貴族をカネで買った商人。
エンフィールド中から厳しい目が向けられているのは、レイチェルでも十二分に察している。そして、カーライル家では、戦前に立たない貴族を、爪と牙を自ら抜いた狼と蔑んでいる。
レヴィンを筆頭として、レイチェル、メリル、サイモンの4人が先行してベルグラーヴに入ることとなった。フェリルは三カ月後に来ることとなっている。調整、支度にそれだけかかることと、住まうこととなっている元メンデス家の屋敷を整えなおす期間となる。
レヴィンの姿はすでに見えなくなっていた。馬術の心得もある従僕者であり、アーネストの懐刀も兼ねている才人と聞いている。太い眉に巌のように角ばった輪郭。厚みのある身体を有し、武術も腕も確かであると、レイチェルは認知している。
少数であるが精鋭でベルグラーヴを営む、その計画なのは、アーネスト共に彼の名前が並んでいたことにより確信となった。
屋敷ではサイモンとともに、ロシュで雇った使用人が部屋の整理や調度品の片づけを行っている。メンデス家に勤めていた使用人をそのまま雇用する計画であったのだが、廃易として、メンデスがベルグラーヴを離れるとともに、雇われていた使用人たちも、すぐに次の働きの場へと散り去っていた。屋敷の使用人部屋をそのまま宿舎として、住み込みで働かせている。
「住食ともに整ってきましたし。これからいよいよ、ですね」
「いよいよ、というより、益々と評するべきかしらね」
砦の補修作業、その作業のための人足の宿舎を設ける。計画書からの見積を算出し、必要経費を弾きだす。材を集めるための行動は、確かにこれからである。
――まず、人足宿舎を設けるための人足が必要ね。素材の運搬の手配から、人足の募集も勤めなければならない。
「ゆっくり過ごせられればいいですけど」
「呑気なこと言わないの」
交易の出納係の補助として勤めていたメリルが自分の配下になる。胸の内では驚きとともに不安が沸いてきていた。まもなく二十歳となろうとする彼女であるが、そばかすのある頬に結わえた赤髪、何より間延びした口調は、年齢以下の幼さを覚えさせる。研修依頼の再開ではあったが、変化を覚えなかった。業務上では良の人材であるとアーネストは太鼓判を押している、それを頼りとするしかなかった。
「領を得られて、カーライル様は益々上々ですね。お給金も弾んでいただけるでしょうかね」
「それはどうかしらね」
むしろ、出費がかさむことが予測されているだけに、レイチェルは安易に頷かなかった。目を輝かせて、高く無限に広がる空を眺めまわしているメリルを尻目に、レイチェルの表情はますます厳しくなっていく。
――旨味のない土地だな。
レイチェルがまとめ上げたベルグラーヴの報告書を読むやフェリル・カーライルは確かにそう言った。それどころか、ここ十年の損益を通してみてみると、わずかにではあるが、足が出ている。
前領主であるメンデス家は、そういう意味では寛容よりむしろ、無頓着だったのかもしれない。施策やテコ入れの跡が、書類からでは見受けられなかった。むしろ、ベルグラーヴをそのまま放任していたようである。税が納められて、家も安定している。それ以上の欲をださなかったと評すれば、聞こえはいい。村民から税として収穫を絞り上げるような貴族もある中で、さぞかし慕われていただろうとレイチェルは考える。その一方で――、怠惰である――とカーライル家では一刀両断していた。現在も交易で益を産じている家系の眼差しに、レイチェルはさすがであると、感歎した。
――これでは損をするばかりではないか。
その上、トンプソンの襲撃とランベール教師の殺害の影響もあってから、人口も減っている。家長を殺されたものや子を殺された者たちは不安を覚えて、ベルグラーヴから流れてしまっていた。仕方がないとカーライル家は受け止めていた。いつでも移住者を受け入れるよう準備する必要があると説かれ、またいざという時は本島からの派遣も念頭に置いて、人員を調整するとアーネストは述べていた。
村を歩き回る際にも小銃を携えている保安隊の面々や、厳しい面持ちの警吏とすれ違う。ここは惨劇が繰り広げられた村であると、否が応でも認識させられる。
「メリル。そろそろ戻りましょう」
手綱を引き直して、馬腹を軽く蹴った。
「そんな、急に走らないでくださいよ」
情けない声が背後より聞こえてきた。馬の嘶きが聞こえてこない限り、レイチェルは手を貸さないと決めている。これぐらい追いついてきてもらえないと困る。
――これでは領を得た意味がない。
腕を組み、唇を曲げるフェリルに対して返せる言葉はなかった。取り急ぎ、状況把握と復興を優先するようにと指示を受けて、彼女との打ち合わせは切り上がった。
砦の補修だけでも莫大な費用が発生する。フェリルは更なる計画を算じている。予算計画はすべて抑えめで進めていた。――大丈夫か、とレヴィンから尋ねられていたが、当座はこれで凌ぎましょう、と答えた。フェリルの計画を前に予算がないとは出納を預かるレイチェルには口が裂けても言えない言葉であった。
厩に馬を預けて、勝手口より屋敷に入った。水場で手足を洗い流し、ひっかけてあったタオルで拭う。
「馬の世話をお願いね」
洗濯物をたたんでいた小柄の使用人に、顔を向けずに命じてから奥へと進む。メリルはぺこぺこと頭を下げているようだったが、レイチェルは気に留めなかった。
大廊下に出て、事務室へと進んでいく。木床に塵埃は落ちておらず、手摺に手をかけても、汚れることはなくなった。掃除は行き届いているようだ。
「レイチェル様。督郵の方がいらっしゃっています」
声が響いてきた。小走りでこちらに駆けてくる男が居た。浅黒い肌に線の細い軟派な体つきをしてい
る。サイモンが新たに雇った使用人である。名前はエドと聞いている。
「そうか。それで」
それだけ応えて事務室へとドアノブに手をかけると、「いえ、応接室へお願いいたします」とエドが言葉を続けた。――なら早くそう言いなさいよと、レイチェルは誰にも聞かれぬよう小声で漏らした。
「レヴィンが相手をしているのではないのかしら」
「そのレヴィン様が、レイチェル様を呼ぶようにと仰いまして」
「理由は?」
「いえ、特には」
あどけない顔のまま、エドが首を軽くふってそれだけ応える。レイチェルは一つため息をついてから、つま先を応接間へと向けた。
「メリルは人足の公募の準備をしておいて。ロシュと――港のランスにもかけておこうかしら」
「畏まりました」
「ではご案内を――」
「結構、貴方は貴方の仕事をしなさい、エド」
二人を残して、レイチェルは廊下を戻っていった。
こんな時に督郵とは、とレイチェルの顔が厳しく歪む。教会の総本山より定期的に送られてくる使者である。司教などの取り決めや方針、指示文書がしたためられた書類を送り届けることが彼らの勤めとなる。
その督郵が領主の屋敷に訪れる。レイチェルには嫌な予感があった。
――教会修復の勧進帳ではないだろうか。
襲撃を受けた教会の修復には、カーライル家からも散々の寄付を出している。それでもレイチェルには彼らに対するうすらぼんやりとした不信があった。エンフィールドに居た時分より、彼らの話はカネ絡みばかりの印象しかなかった。
教会の復興はつつがなく進んでいると報告を受けている。教会から派遣された職人が最寄の宿を押さえて、作業を進めている。外壁の修繕はすでに済んでおり、レイチェルも素朴ながら、整然と建つ教会を観ている。
応接間にたどり着くと、二人の男がテーブル越しに腰を掛けて、二人の使用人が部屋の隅に控えていた。
「おう、待っていた。ちょっと来てくれ」
レヴィンが手を招いている。レイチェルは督郵の男にちらと視線を送った。面長の督郵の男は煙草をゆっくりと吹かしているだけで、動こうとも話そうともしない。
「なんの催促ですか」
レヴィンの側に寄ると、書類を差し出された。
「ミア、お茶を頼む」
目を通す最中にレヴィンが扉の側に立っていた使用人に声をかけた。彼女は恭しくお辞儀をしてから支度にとりかかった。
「ローソク立てにグラス、プレート、ボウル、すり鉢、ナイフ、鋤、鍬――」
列挙されているのは日用品ばかりである。品名の横には数字も記載されている。
「教会の修復が完了して、次の教師様が来られるまでに、これらを用意して欲しいのだそうだ」
「――はあ」
間の抜けた返事が出てきた。すぐにレイチェルは口に手を当てて、咳ばらいをした。
「これらは教会からの――」
「できれば寄付いただければ」
言葉の途中で遮るように督郵が声を放つ。
「着任の際にも手荷物と私物は持ってこられますが、さすがに限度がありますから」
「さようでございますか」
一つ一つは大した出費にはならない。ロシュにまで足を延ばせば、すぐにでも揃えられるようなものばかりである。
「祭事の道具や調度品などは、さすがに教会から手配いたしますが、その他のものはできれば、これから共に生活を営まれる方々に、ご準備いただければ――」
「用意できなくはないだろう」
「それは、まあ」
レヴィンの問いかけに、しぶしぶとレイチェルは答えた。すっとレヴィンは腰を上げて、レイチェルの耳元に口を近づけた。
「アダム様が教会と一つ取引をしている。これから就任される教司様についてだ。面倒を起こしたくない」
極めて小さな声でそう告げた。レイチェルは反抗の言葉を飲み込むしかできない。
「畏まりました。ご準備いたします」
これで予算がどう変動するか。計算をし直す必要がある。レイチェルは大きく嘆息を吐き出した。
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