1-2 -アダム-
ベルグラーヴに新たな領主が任命されてから、ようやく主役の一人 フェリル・カーライルの登場となります。若く野心家の彼女の登場シーンはお気に入りなので、お読みいただければ幸いです。
モクレンの花が刻まれた大扉が開かれた。中より、大老の男が杖をつきながら歩み出てきた。ある程度扉から離れると踵を返して、深々と頭を下げて、扉が閉まるのを待った。
「お疲れさまです」
門扉のそばに控えていた二人の男女が、頭を起こした老人に近寄った。
「念願の爵位だが」
「ようやくと言いますか――」
「五年早く、五年遅い」
ため息混じりにそう吐き捨てるや、眉間の皺を更に深くさせながら、大老の男は大扉に背を向けて歩きだした。二人もその後ろにピタリと着くようにして足を進めていく。
長い廊だった。右手には窓枠が設けられており、外の景が眺められる。しかし、老人たちは見向きもしない。まもなく正午を迎えるというのに、厚い雲に覆われた空で鈍い明るさの中で広がる眺望なぞ見たくもなかった。もうもうと立ち上がる灰煙で、昼からでも行燈が欲しくなるような暗さがエンフィールドを覆っている。季節は既に晩春にさしかかり、雪を見る日はなくなった。日も長くなったはずなのだが、それを感じさせない。鈍色の日常が広がっているようで、老人はエンフィールドが好きにはなれなかった。
アダム・カーライル。既に六十を越えた商家の男である。先々代より貿易を商いの旨として、船団を率いて灼熱の地マウリアや東南外れの島国ラウレル、東の果てのザイカやワオウまで港を作り、輸出入を行い、多額の益を得て家を大きくしていった。後ろを歩く二人は、執事のアーネストと、秘書役のイザベラである。共に長くアダムの下に勤め、信頼も厚かった。
領を拝した。謁見の間で国王直々にその言葉を頂いた。感慨は深いが、アダムは厳めしい顔つきでその言葉を受けていた。
「ベルグラーヴか」
噛み締めるように呟いた。苦々しさが多分に含まれていた。三か月前に起こった一連の事件を知っているからである。ランベール教司の死、ミリガン元保安駐在所長の自殺、襲撃犯は行方不明。教会襲撃者に至っては犯人の特定にもたどり着いていない。
内定の通知が封書で届けられたのは一か月前。その前から予兆は感じていた。教会の補修についての寄附を集う便りがカーライル邸に届くように成り、アダムは商人としての匂いを察していた。そして、ユーリが訪ねて、いよいよ封書が届けられた。
「厄介な土地でありますね」
「致し方があるまい。廃易で空白になったのだからな」
国境に広がる静かな村。百年に一度は所属の国が代わるような村でもある。
この度の事件は――運が悪かった。畢竟、それに尽きる。アダムはそれで事件について決着をつけることにした。或る種の天災である。予兆らしきものが殆どなく、犯人のトンプソンがそれだけ巧妙だった、それを防げなかった保安駐在所に責任があるとの指摘もされているが、それは村民の行動をつぶさに追って観察しなければならなくなり、幾ら何でも無理のある話だと考えている。どんなに網の目を細かくしても、すり抜ける砂はある。
爵位を得るための工作は、先代の頃より仕掛けていた。自分の姉が公爵家の末席に嫁いでた。弟の細君は貴族院の院長を務めていた良家の三女であり、アダムの父が幾度となく頭を下げ、献金していた。
爵位をカネで買おうとしている。そういう噂が絶えず付きまとってくる。しかしアダムは気にしなかった。そのまま敷かれたレールを邁進していった。カネで地位が向上し、そして今日、爵位を得ている。後ろめたい気持ちも毛頭ない。
「メンデス様とはお会いになりますか」
「それはいいだろう。それより問題は帳簿だな。直ぐに取り寄せておいてくれ。出納の経理が気になる。レイチェルにも渡るよう差配しておいてくれ。後、もう一度、ユーリと会って話を詰めておく必要があるな」
「畏まりました」
「ご家族には」
「それは知らせだけでいい。それよりもベルグラーヴに実際に腰を降ろすのは、フェリルだからな」
「フェリルお嬢さまですか」
柳の葉のように細いアーネストの眼が驚きによって丸く開かれた。フェリルはまだ二十歳にもならない娘であった。
「そのために今まで教育してきたのだろう?」
アダムは淡々と言い返した。その背後で、アーネストとイザベラは顔を見合わせる。そうだとしても未だ若い、二人が共に抱いている感想である。
もう少し若ければ、それこそ五年前ならば自らが治めに向かっていた。しかし、杖をつかなければ立つことも辛い年頃になってしまっていた。それもベルグラーヴである。海を越えて、さらに東の奥の、国の辺境、僻地である。
長男は貿易商を引き継いで貰う。現に今は船に乗り、ラウレルへと向かっている最中である。長女は本島に城を持つ伯爵の処へ嫁いだ。次男はこのエンフィールドで、上院議員を務めている。彼らに職を辞させて、田舎の領主を勤めさせるのは忍びない。その点、フェリルはまだカーライル邸に居て、外に出て行く予定も立っていない。そう言う意味でも適任だった。
「フェリルしか居なかろう」
「左様でございますか」
アーネストが答えた。諦めが含まれていたが、アダムは気にしなかった。アダム自身、わが子の中で末の娘ながら、一番に気に入っているのがフェリルであった。四十を越えてから生まれた愛娘であり、長男長女が成人を迎えてからできた子どもでもある。
目付きの鋭さがいい。長女は女性的な柔らかみを帯びているのに際して、彼女は抜身の刃であり、そこに冷徹さを覚えさせる。心を刺せる眼差しに勝る武器はない。
「アーネスト。目付役で着いていってくれないか」
「畏まりました」
「代わりはホフマンがいいだろう。ホフマンの面倒はイザベラが見てくれ」
「承りました」
呟きのような言葉も拾い、明瞭に返事をする。二人は優秀に育ってくれた。アダムが実際に船に乗って、ザイカやワオウの商人たちと交渉していた頃からの付き合いである。この人事をしたのはアダムの父であった。自分もフェリルに対して、そう言うことができるのか。頭の中で、屋敷に住む者や自身の下で働いている者達の顔を思い浮かべて逡巡を進めさせていく。
長い回廊を歩ききり、螺旋階段をゆっくりと下りていく。玄関口となっている大扉を越すと、黒い馬車が待っていた。カーライル邸は西方にしばらく駆けて丘陵を越えた先にある。到着は夕刻になると予想された。
馭者が手綱を握って、いつでも駆けだせるように準備も整っている。三人ともに乗り込んでいく。「行け」とアーネストが声を放つと、馭者は空を切るように鞭を振り降ろして、馬を駆けさせた。
「住まいの方は、メンデス家のお屋敷をそのまま」
「当面はな。でも、腰を据えるのは砦だ。ロシュの保安の連中が要塞化を狙っているそうだが、先に買っておいた。補修が必要だろうが、カネは出すぞ。そのためのカネだ」
「廃墟とユーリさんは仰っていましたけれども」
「それでも、砦だ。図面は手に入れてある。改修をローランドに頼んである」
「その、ご予算の方は」
向かいに座っているアーネストが、更に顔をしわくちゃにして訊ねてきた。此処で更に、砦に自警団を置くと付け加えれば、果たしてどんな顔をするだろうか。白混じりの眉毛を垂れ提げさせての、情けない表情が想像できた。話は既に進んでいるのだが、ここでは黙っておくことにした。
「なんとかする。貯蓄を崩して、遊ばせていた土地も売ろう。多少、足が出た処で惜しむつもりはない」
きっぱりと口に出して言い切るも、不安はあった。だからこそ五年早いと心内で舌を打っていた。弟のダグラスがラウレルに拠点を構えて、ザイカに対して関税をかけずに貿易ができるように成った。またマウリアで生産される茶葉の量が増えており、エンフィールドで多売を仕掛けられる準備が整いつつあった。これが尽きるほど流行ってくれれば、と不確実な単なる願望がある。
「換金できる策と言い切るには、余りにも漠としているな」
ザイカには喫茶の文化がある。ワオウも上流階級には嗜む文化が根付いているそうだ。しかしエンフィールドにはまだ定着していなかった。物珍しさだけでは、十分な利益とならない。カーライル家、カーライルの商会と内部では一息の休憩の友として喫まれているが、常態的に喫されるようになるための大きな風を作らねばならない、とアダムは睨んでいた。
「茶は、口当たりはよろしいのですが、苦さが潜んでいますからね」
外にまで広がるかは不明瞭である。それに遥か西方の大陸よりチョコなるモノが輸入されるように成っていた。フェリルが既に邸宅に取り寄せて、喫していた。柔らかな苦みがあると表情を歪めていたのだが、つい先日もチョコの原料となるカカオの種子が邸宅に届けられていた。
「国王陛下が茶を嗜んで下さったら、それを喧伝して、貴族界に流行らせて、さらに民衆に流していく。それが理想的なんだがな」
「そのためにまた、積みますか?」
カネを積んだ処で、それですぐに物事が動くわけではない。そもそも直截にカネを差し出して処で受け取ってはくれやしない。種をまき、仕込み、カネを撒いて、時を待つ。時間も必要なのだ。
「――だから、ベルグラーヴの拝領は五年早いのだ」
しかし、受けた以上は真摯に立ち向かわなければならない。いつまでも愚痴ぐちしていれば、商機を逃す。それこそ死にもつながる敗北である。
領を得たからと言って、財を成せるとはアダムは露にも考えていなかった。炭坑や鉱山を切り開くなりで、莫大な財を得ている貴族の話は聞いているが、それらは運でしかない。そこでは勝負しない、とアダムは生来から決めている。
おおよその検討は出ている。大きく足を出る計算も出ている。渋く顔を歪めたまま固まってしまう。それでも、それだけ出さなければベルグラーヴを治められまいとの算段である。
「これからまた苦しい思いをさせるかもしれないが――」
「それはフェリルお嬢さまにお伝えください」
イザベラがアダムの言葉を遮って答えた。アーネストはその言葉に深く頷いた。
「そうか――、そうだな」
「私たちは、アダム様をお慕いし、従うのみです」
「時に正してもらわないと困るのだがな」
微温い息を漏らしてから、ようやく頬が緩んだような気がした。
エンフィールドの羅城を抜けて、馭者は馬に無手を強かに入れた。さらに早く駆けさせたのだ。嘶きがいなずまのように鳴り渡り、響く馬蹄の拍子が早く、数多く聞こえてくるようだった。
小さな窓枠より外を見る。野芝が広がるのみの景であり、空も未だ重たい雲に覆われている。後一刻は馬を駆けさせなければ、青い空は見られないだろう。
「準備にしばらく時間を要しますが」
「実際に、フェリルがベルグラーヴに入ってからでも、仕送りが速やかにできるようにしておかないとな」
本島より大陸までは海であり、船が必要とされる。ロシュまでは鉄道が引かれているが、そこからベルグラーヴまでもなかなかの距離がある。ユーリは徒歩で半日と答えていたのだが、アダムは荷を積んでのことを考えている。一日は要するだろうと計算している。
「鉄道を引いてやりたいが」
「さすがにそこまでは厳しいでしょう」
「――それに村の者たちが出て行くか」
「それも避けたいですね」
鉄道が引かれたがために、稼ぎの良い炭坑や鉄鉱山、王都エンフィールドに若者が流出していってしまい、すっかり寂れて果てた港町が北西にあるとアダムは聞いている。
「でも、人を根付かせる必要もありますよ。そのための足となります」
「それも、そうだな」
返事をしながらアダムはすっかり薄くなった頭部を、爪を立てて掻きむしる。
「それを含めて、フェリルお嬢さまとお話をされたらいかがですか」
「いや――」
――アイツはまだ若い。喉元までその言葉が込み上がってきた。それに気づいてか、イザベラとアーネストの表情が柔らかく解れており、それが含みを有しているのに気づいた。
「まあ、そうだな」
溜息を吐くようにしてアダムはそう言い放った。照れ笑いと苦笑いの混ざったような、歪な笑みを頬に刻んでいた。
雲が薄くなっていく。切れ目から光が射し込んでくる。草が深く繁る平原に出ていた。もうしばらく馬車を駆けさせる。日は西に傾き、空も赤味を帯び出してくる頃に、カーライル邸が見えてきた。
「お帰りなさいませ」
門前の衛兵が恭しく頭を下げて出迎えてきた。アダムは軽く手を挙げて挨拶するだけで、馬車を邸宅の玄関前に付けさせた。
「フェリルは居るか?」
玄関口で待ち受けていた家政婦長に訊ねる。
「いえ、午後より猟に出ると仰いまして」
猟銃を担いで、馬を軽々と乗り回しているフェリルの姿が容易に想像できた。
「ルシアナも着いていますし、大事にはならないでしょう、と」
「それはそうだ」
馬と銃の扱いについては、万が一に備えて念入りに教えている。しかし、フェリルは嗜みを越えて、好むようになった。
西の山の端で陽が沈みかけている。赤い光と濃い影によって、いよいよ夜の帳が降ろされようとしている。
さすがにそろそろ帰ってくるだろう。そう思うのが先か遠くから馬の嘶きが聞こえてきた。
「それと、旦那様に、お客さまが来られています」
「誰だ」
「ユーリ・レイフィールド様です」
既に応接間に通しているという。
「判ったすぐに行く。フェリルにも帰ってきたら、応接間に来るように伝えておくように」
「畏まりました」
ベルグラーヴについて話を詰めるのだろう。アーネストとイザベラにも後ろに控えて話を聞くようにと命じ、杖をついて応接間に向かっていった。
応接間の扉を開く。三つの頭があった。一人はユーリ・レイフィールド。いつもの通り、無精ひげを撫で摩るようにして、ソファに腰を降ろしていた。
彼に相対するように腰を掛けているのはカーキ色のベストに馬上用のキュロット姿の――フェリルだった。首裏まで伸ばした亜麻色の髪に切れ長の眼をさらに尖らせるようにして、ユーリの顔を見詰めている。そして彼女の後ろに立ち控えるルシアナ。フェリルが連れ入れたのだろう。
「さて、これでもう話が密にできるな」
そう言いながらフェリルは口角に鋭い笑みを作った。頬には小枝が掻いたような小さな傷があったが気にしているような素振りはない。馬を厩に預けてそのまま真っ直ぐに来たのだろう。
――少しおてんばが過ぎるか。
アダムは溜息を一つ吐き出してから、フェリルの隣に腰かけて、ユーリに相対した。
お読みいただき、誠にありがとうございます。
まだまだ序盤となりますが、引き続きご愛顧いただければ幸いです。
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