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13-2 -フェリル-

 燃え盛る集落を前にして、フェリルは動けなかった。厳しく結わえた唇と、眉間には深い皴を作り、見つめるしかできなかった。


 それは、屋敷に戻ってからもしばらく続いた。書類を前にして、文字は読めても内容はまるで入ってこなかった。ぼうと呆けている内に日が落ちている。そんな日が幾日も続いていた。


 ルシアナが代わりに進めていた。「そんなときのための、私でしょう」と微笑みを携えて答えた。ただその笑みにフェリルは翳りを覚えた。彼女もまた積み重なる痛いと燃える森を見つめて、固まっていた。


――初めからなかったことにしろ。


 ユーリが着きだしてきた手紙には、確かにそう書いてあった。ファブリカ大聖堂の蝋印が刻まれた、吹けば飛んで行ってしまいそうなほど薄い紙切れ一枚だった。


――そんなこと、できるものか。


 小うるさいリディアが知っている。ベルグラーヴの保安駐在所の警吏たちも、なにより襲撃を受けたベルグラーヴの民も、襲撃の傷跡から全容を知りたがっている。彼らは四人が現れたことはすでに知れ渡っている。カーライル邸に暮らす者も。呼び寄せた傭兵は。


――全員が知っているのに、無かったことにできるものか。


 火の粉が舞う集落を歩いた。「危険です」とルシアナが引き留めたが、無視をした。しっかりと視ておかなければならない。そう直感した。


 木組みの屋敷が崩れ落ちていく。その中に横たえる人影があった。火の点いた柱の下敷きとなってすぐに見えなくなった。一瞬見えた真紅の由来は炎か、別の何かか――。フェリルは考えることを放棄した。なおも燃え続ける光景から目が離せなかった。


――火の色は愉しいものだ。


 昔、父のアダムが暖炉の熾きを見つめながらそう呟いたのを思い出した。赫々と熱を帯びて燃える様を、父はしばらくじっと見つめ続けていた。フェリルが隣にいることも忘れて、揺らめく炎に瞳を預けているようであった。


――何が見えているのだろうか。


 マウリアやザイカで銃を持ち戦に駆けまわっていた頃の話を、父から聞いたことがある。


――何が聞こえているのだろうか。


 その時初めて、フェリルは父に恐怖を覚えた。まさにその瞬間を、燃える集落の中で思い出していた。


 灰と煤が鼻を突き、炎が眼を擦ってくる。空を吸えば、喉が灼けるような心地がした。


 集落の者は全員、死んだ。


 ベルグラーヴに現れた四人も。白髪交じりの中年の男は、アンワルが馘を持ってきた。後頭部より銃撃をうけての死であったと報告を受けた。腕に添え木を括りつけた少年も、ベルグラーヴの住人であるフラッグも死んでいた。熊のような巨躯の男は、最後に、フェリルが雇った傭兵によって撃ち殺された。マーク・トンプソンも死んだ。トーマスも死んだ。


 そもそも最初の一撃は誰が放ったのか。集落に一番近かったレヴィンに訊いても、首を横に振ってこたえる。リディアもわかりませんと風で飛んでしまいそうなぐらいのか細い声で答えたそうだ。


――あそこで何が起こったのか。語れる者は誰もいない。


 砲を倉庫から出すように指示したのは、フェリル自身である。隊を揃えて、闘いに行く。そのつもりで森に入っていったのは、間違えない。


――どうしてこうなった。


 交渉ごとになると、そう算段していた。相手は教司をカードとして使い、対等の立場を作ろうと試みる。そこを武装で挫く。そういう計算をしていた。


 浅薄な予測は惨事を招くと、父から聞いてはいた。浅薄な算段とは思わなかった。しかし現実が突き付けてきた。


 積み重なる遺体。燃える屋敷。銃声と砲音が鳴り続け、絶叫と悲鳴が飛び交っていた。フェリルは集落を前にして、赤く染まった空を見つめて、身体が固まっていた。動けるようになったのは銃声が止んでからだった。


 こうなるとは夢にも思わなかった。


――情けない。


 血が流れるほど、唇を噛みしめた。それでも眼の前の事象が変わるわけがない。崩れ落ちている集落を眺めた。


「結局、なんだったんだろうか」


 事務机で溜息を吐きながら、そう呟いた。


「もう何度目ですか。考えていても、答えは出ませんでしょうに。いつもフェリル様が仰っているではありませんか」


 ルシアナがそう答える。


「そうだったな」


 自分を鼻で嗤うしかなかった。


 机上にはユーリがまとめた報告書の写しがある。すでにエンフィールドの王都に渡り、提出されている。受領の印が届けば、ベルグラーヴは、あの集落の場所まで拡張される。そうユーリは言っていたが、フェリルは気に留めなかった。


――すでに国軍が入っている。そして、徹底的に更地にされる。集落は初めからなかったことにされる。


 リディアからの話と、ベルグラーヴ内で集落に関わりがあったものからの聞き取りを進めて、ユーリは報告書を取りまとめたと言っていた。集落の者と一回でも会話を交わした者をかき集めて、書いたそうだ。小指一本ほどの厚さにもならない報告書であった。そもそも惣を含めて、誰一人とて集落との係りを話そうとしなかったそうだ。話せば、国家反逆につながる。官吏がそれを尋ねて廻っている。考えるまでもなく、口を塞ぐのは当然の帰結である。ため息も出てこない。


 守護士のハンネスからも確認を取りたかったそうだが、彼はまだ会話ができるほど、回復していなかった。顔中を包帯に巻かれて、ベッドに横たえている。灰色味を帯びた彼の肌は、もはや土色に変色しているように、フェリルには見えていた。


「教司様の認印ももらっているぞ」


 書類の末尾に確かにリディアのサインが記されていたのだが、強引に押し切って書かせたのは明白だった。


 窓より鉛色の空を眺める。雲に覆われて、光が乏しく、見下ろす庭も青がなく寒々しい景となっていた。虚しさだけが胸に広がっていく。


 クレアも脚にナイフを投げつけられて怪我を負っている。守護士は二人とも負傷のため、保安駐在所の腕利きと、カーライルからレヴィンを代役としてあてている。クレアはまだしも、ハンネスの復帰は無理だろう。フェリルはそう見ている。


 手を伸ばせば、ユーリの記した報告書の写しが手中に収まる。しかし、フェリルは表紙すらまともに視界に入れようとはしなかった。


――真相なんてしばしば存在しない。あるのは口から出た言霊だけだ。


 帰り際に、ユーリはそんなことを呟いていた。彼自身に居生き返るようにフェリルには映った。


 一度だけ、集落の跡へ家の者を向かわせようと、計画したことがある。レイチェルとメリルに予算を組ませて、サイモンから人手を調整させる。その手配を進めている内に、ベルグラーヴの保安駐在所より、報告を受けた。ロシュより一個小隊がこれより集落跡に向かうとの旨だった。隊を率いるのはエンフィールドの王都より選任された将軍であると聞いた。彼らはカーライルには挨拶もなく、森の奥へと向かっていったそうだ。


――初めからなかったことにしろ。


 それはファブリカのユーグ大聖堂だけでなく、エンフィールドの国としての命令であったのだと、実感した。


 いっそう身体が気怠く、重たくなった。窓からのぞく白茶けた中庭をぼうとだらしない表情で眺める時間が多くなった。


 警吏はレイチェルとメリルがまとめてくれる。屋敷のことはサイモンが給仕を使って整えてくれる。惣との交渉はアルバートが仕切っている。砦の補修はローランドとスミスソンの二人で監督をして対応している。


 ベルグラーヴを豊かにするために、その思いで走っていたはずなのに。足は進まない。そもそも腰が上がらない。頬杖をついて、ため息ばかりを吐いている。


「何をしているんだか」


 白くちらちらと窓の外に光るものがある。雪だった。灰か煤か。フェリルには似た者のように見えた。眉根を寄せて、それでも窓の外に視線を向けていた。


 ノックとともに、エレーナが入ってきた。視線が低く、俯き背を丸めた姿勢をしている。表情には暗い影がさしている。


「お暇を願いたく」


 小さな声で彼女はそう切り出した。


「許さない」


 即答した。エレーナの言葉を遮って、切り捨てるように言い放った。顔はむけない。入室の際の一別以来、彼女の方へは視線を向けていない。


「まだここに居てもらう」


 ふらふらとおぼつかない足取りで集落からフェリルの本陣へと戻ってきたことを思い出した。猟銃を引き摺るような歩き方をしていた。眦から頬にかけて涙の跡が濃く残っていた。


 彼女は無言のまま、フェリルの前に立った。フェリルは彼女に何も問わなかった。何があったのか。詳細を問わなくても、彼女の悲しみは伝わってきた。声として彼女の内の者が漏れ出た瞬間に、止めようがなくなるとみた。黙って彼女を見つめた。エレーナはそのまましばらく感情のない顔で虚空を見つめて続けていた。屋敷に戻っても給仕に勤めることなく、部屋に籠っていたと聞いている。


「第一、ここを辞めてどこに行くつもりだ」

「それは――」

「何も決まっていないのだろう。むざむざ路頭に迷わせるような、無責任なことはできない」

「しかし、私はもう、銃を撃てません」

「それがどうした。雇用したのは私だ。私が居てほしいと言っているんだ」


 椅子に座りなおして、エレーナに正対して告げた。影のある蒼い瞳がようやくフェリルの方に向けられる。


 彼女も迷っている。フェリルは徐に立ち上がり、彼女を抱きしめた。山をかけ猟をして糊口をしのいできたと聞いている。それにしては木の枝のような細さを覚えた。


「私のところから去らないでくれ」


 エレーナの肩は震えていた。フェリルの襟元を強く掴み、握りしめてくる。彼女はしばらくそのまま体を震わせていた。泣いているのだろう。フェリルはそっと抱きしめたまま、彼女を受け入れ、時に背中を撫で、髪を手櫛ですいてやった。時に背後で控えるルシアナに目を配る。彼女はおっとりした眼差しを携えて、一礼して応えた。ルシアナが自身のお付きでよかったと、フェリルは眼を瞑った。


 しばらくエレーナは泣き続けた。窓外の暗がりも濃くなっていた。ようやくはフェリルの旨から離れた。彼女の眼元は真っ赤に染まっていた。


「申し訳ありませんでした」


 エレーナは呟くようにそう言って、深々と頭を下げてから、この部屋から出ていった。フェリルは黙して見送った。


「――居てくれないと、困るよ。本当に」


 そう独り言ちてから、踵を返す。ルシアナが口を噤んで立っていた。


「いや、なんだ。わかってくれるよな」

「ええ。それは勿論。私は、アダム様からフェリル様へのプレゼントですから」


 淡とした口調を装っているが、フェリルには彼女の遊びの気持ちがはっきりと伝わった。唇をゆがめて、ふんと鼻息を一つ吹いた。


「そうだったな。私は物持ちがイイ口だから、お前も捨てんぞ」

「ええ。着いてまいります」


 小さな口にそっと手を添えて――。楚々と微笑む彼女の姿が、フェリルは嬉しかった。ようやく一つ、心の奥に沈んでいる澱みが溶けたような気がした。


「これから少し、歩かないか」

「もう夜ですよ」


 窓の外は真っ暗である。空を見上げても着きも星も見られない。厚い雲が広がっているのだろう。


「構わんさ。この部屋からでて、そうした方が、前に進む」

「かしこまりました。フェリル様がそうおっしゃるなら」


 言いながら、ルシアナはクローゼットより外套と毛皮の帽子を二つ取り出した。手燭灯は玄関のもので間に合わせる。フェリルも外出の準備を進める。


「巡視官がこられました」


 給仕の一人がノックとともに告げてた。


「ユーリか。もう戻ってきたのか」

「いえ、それが」


 給仕の口がこもっている。


「まあいい。ルシアナ、散歩は後にするぞ」

「はい、もちろんです」


 フェリルは大股となって、部屋から出ていった。ルシアナはその後を早足になって追いかけてくる。


 螺旋階段を下りて、屋敷廊下をずかずかと進みいく。鷹揚に見えられるかもしれない。それでも、それでこそ自分自身である。


――塞ぎこんでいても、だれも着いてこないぞ。


 父からそう教わっていた。その言葉を思い出して、外に発露しなければならない。自分自身にそう言い聞かせた。


 応接間にたどり着く。三人が腰を掛けられるソファに、一人の男が身体を窄めるようにして座っていた。顔に覚えがある。カイルであった。


「ご足労かけました。わざわざのお越し、誠にありがとうございます」

「いえ。先日はお世話になりました」


 腰を上げて、カイルも頭を提げてきた。


「巡視官と聞いたが、これからはカイル殿がこちらを来られるのか」

「こちらが文書となります」


 言いながら、一枚の書類を差し出してきた。モクレンの蝋印が施されたエンフィールドの正式文書であった。


「そうか。それでユーリ殿はどうした?」

「消えました」


 カイルの口調は重たかった。


「王都に戻る船に乗る前に、やることがあると言って、居なくなりました」


 カイルの言葉に、フェリルは自身が硬直していくのがわかった。

お読みいただき、誠にありがとうございます。

これが最終章となります。どうか最後までご愛顧いただければ幸いです。


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何卒よろしくお願い致します!

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