7-2 -ルシアナ-
ようやくルシアナの視点。今まで描いていなかったのが不思議。フェリルを外的に描くには彼女が最適と考えていた時期が…私にはありました。
フェリルは玄関で倒れてから、しばらく目を覚まさなかった。ルシアナはフェリルの横たえるベッドの側で過ごしていた。
「あなたの忠誠心には、ホントに感服するわ」
報告書を携えて見舞いに来たレイチェルが、そんな皮肉を漏らしていた。ルシアナは表情を変えず、返事もしなかった。報告書を受け取り、深く頭を下げた。
「苦労するわよ。このままだと」
レイチェルの言葉が心に刺さる。それでも、ルシアナはフェリルの傍らから離れようとは、微塵にも思わなかった。
――路頭で拾われて、ここまで育ててもらった。その恩を奉公しなければならない。
その意識は強くある。しかし、それだけではなかった。
丸一日近く、フェリルは眼を開かなかった。様子を見て、唇を湿らせるなど、世話をしていた。
天蓋が設けられたベッドの上。厚手の布団を被せながらも、熱がこもり過ぎないように注意を払う。エレーナに運んできて貰った冷製のポタージュにも、蓋を被せて目覚めを待った。
薄手の生地で繕われた寝着へと代えさせている最中、フェリルの身体が熱くなっていたのを覚えている。もしかして大病ではないか、と脳裏を過り、胸が早打った。
静かであった。陽射しが室内に入り込んでくる。これだけが光源であった。窓から射し込んで、ベッドから離れた、フェリルの机上を照らしている。ちらちらと反射しているのは埃と塵であろうか。積み上げられた書類の山と、中央に設けられた空の間が浮かび上がる。
――仕事が止まる。
脳裏にそんな言葉がよぎった。深夜、燭台の灯りを頼りに、決裁文書と、本国への通信文書を記していたフェリルの言葉である。日中は、ベルグラーヴの見回りに、足場の崩落事故があった砦へも足を運んでいた。ヴァロワ家や、場合によっては隣国のドライゼにまで足を伸ばして、交渉事を進める。
――一日でも早く、ベルグラーヴにカネが流れるように成らなければならない。そのためにも、休んでは、止まってはいられない。
ギリと噛み締めるようにしてフェリルは度々、そのようなことを言い放っていた。ルシアナはフェリルに従い、補佐し、傍に立ち続けていた。
――それだけでは、いけなかったのか。
長いまつ毛をしばたたかせて、フェリルの眼がゆっくりと開いていく。開ききったかと思った瞬間に、がばっと腰を起こした。
「ルシアナ。今日は、いつだ!」
叫ぶようにそう言うも、頭はぐらぐらと覚束ない。ルシアナはベッドに膝を預けて、フェリルの背に手を添えた。蒸したような熱を帯びている。
「お倒れに成ってから、丸一日といった処です」
「そんなにもか」
呻くように言葉を出す。その反動でか、ぐらりとフェリルの身体が揺れた。咄嗟にルシアナは手を伸ばして支える。フェリルも自身の頭を手で押さえていた。
農地拡張の打ち合わせの為に、ベルグラーヴの惣に赴き、その長らと長時間に及ぶ話し合いをしていた。彼らは頑なに、拒んだ。いくらフェリルが、将来の豊かさを説こうとも、我ただ足るを知るとばかりに、今を保つことで十分だと返してきた。そこには、襲撃以来、人が離れており、人手不足と、それによる収穫の減となっている現実があるのだろう。
フェリルはその場で、激怒していたと、アーネストから聞いた。そして、カーライル家で墾すると宣言して惣から出てきた所だったそうだ。
邸への帰りの馬車の中から、すでに呼吸は粗かったとレヴィンは言っていた。汗を浮かべているのは、怒りだけではなかったのか、と謝とともに述べていた。
そして、フェリルは玄関先で倒れた。教司を呼びにエレーナを遣いに出した。二刻ほど経って、リディアがカーライル邸に現れた。
――疲労である、と診断された。目が覚めても、しばらく、安静にして過ごすようにと告げて、帰っていった。
「決裁が溜まっているだろう。すぐに処理しなければ」
顔を押さえながら、表情を歪ませて、そう漏らした。ぎりぎりと歯を軋ませる不快音すら聞こえてきた。
布団を捲り上げて、フェリルの足が床に降りる。しかし、立ち上がろうにも、ぐらりと崩れた。ルシアナはすぐさま回り込んで、フェリルを抱きとめる。胸にフェリルの顔を埋めさせて、両腕を背に回して、しかと抱きしめた。
「休んでいてください」
噛み締めるように、ルシアナは言った。
「他が働いているので、休んでもいられまい」
「倒れられては、困ります」
声が震えていた。言葉を発する度に、抱きしめる力も籠ってくる。
「なんでもしますから、どうかお身体を大切になさってください」
涙の滲んだ声をしていたとは、後で気がついた。
小さな身体だった。ルシアナの身体にすっぽりと納まるほどである。その上に、線も細い。狩りや遠乗りに付き合わされていたが、身体を崩して横になる日も、幼少の頃から多かった。
「――ごめん、ルシアナ。締め過ぎよ。ちょっと苦しい」
ぽんぽんと腕を叩かれた。我に返り、驚いたように、フェリルを離した。フェリルはそのまま、ベッドの上に腰をかけて座した。そして、大きなため息を吐いた。
「無理はしない。判った。明日まではベッドに横になっているよ。ただ、緊急の書類だけは持ってきてくれないか?」
頭を抑えながら、フェリルはそう言う。ルシアナは眉間の皺を深く刻みながらも、従うしかなかった。
フェリルはベッドに戻る。横たわるのではなく、枕を背にして、頭を起こした姿勢をとった。すぐそばに椅子と小机を用意して、そこに書類を置いた。ルシアナが、文書の題を読み上げていく。ルシアナが取捨選択をしようとしたのだが、フェリルがこの方法を提案した。水とポタージュをちびちびとやりながら、要不要の返事をしていく。
そして、日が暮れるとともに横になった。ルシアナは安堵の息を吐くとともに、部屋に設けられている応接用のソファに横になった。眠りにつくわけではない。耳を凝らし、気配を嗅ぐ。フェリルの護衛としての勤めを果たしながらも、身体を休めさせるのである。
翌日、リディアがのこのこと現れた。守護士のクレアに大きなカバンを持たせて、腰を起こして、書類に目を通しているフェリルの側まで来た。
雪のような白い肌で、糸のような細い腕。黒の修道服で、ヴェールを被った姿で静々と身体を配り、整った所作をするリディアには、尊敬を覚える。しかし、その背後にぴたりと控えるクレアの、尖った眼差しと、緊の張った雰囲気に、ルシアナも力を籠らせて、迎えるしかない。この女には、どうにも好感を抱けない。青い肌をしたハンネスの方が、男ではあるが、未だ相対し易いと、ルシアナは感想を持っている。現に、診察を受けている最中であっても、フェリルに対して、疑義の瞳を向けているようであった。不信を嗅げばいつでも討ち果たせるという気構えが、ルシアナにまで届いている。
ルシアナは、そんなクレアに対しても視線を送りながらも、口を噤みながら、診察の様子を見ていた。
熱を測り、脈をとり、眼球、虹彩の具合を確認して、胸に手を当てる。これで心拍を読むそうだ。
その後、問診を適当に済ませる。
「眠りの時間を削っての、無理のし過ぎです。それがために身体が保てずに、崩された。安静にお過ごしください。またお倒れになられてしまいます」
リディアがそう告げる。不服とフェリルは表情を曇らせた。
「仕事の流れを、私が堰止めるわけにもいきまい。上に立つ者の責務だ」
「しかし倒れられて、結局、停滞させてしまっているのでしょう。今度からはそこも見据えてください」
痛い言葉を吐かれて、フェリルの表情が強張った。
「頼んでいたホスピンはどうなった? あれで疲労が抜けるはずだ」
「アピエンやホスピンなどでは疲労は抜けません。これらは、一時だけ疲労を忘れる薬です。忘れるだけで、残り続けるのです。そして、積もり蓄されるだけなのです。この度お倒れになったのは、それのためでしょうに。処方はできません」
リディアがきっぱりと言い切った。
「領主のいうことが聞けないのか!」
言葉を尖らせて、フェリルが言うも、リディアは首を横に振った。
「そもそも、ホスピンは疲労回復のための薬ではありません」
「晩に服すれば、夜が明けるまで仕事ができる。溜めてはならぬ仕事が溜まっている。ベルグラーヴのためと、判らないのか」
「いけません。それに、すぐ側の従者様の顔をご覧になってください。ベルグラーヴを抗弁の材にしないでください」
ちらりとフェリルの棘の含んだ視線が寄越される。ルシアナの背筋がさらに伸びた心地がした。表情がどうなっているのか、自分ではよくわからない。しかし、フェリルがため息するほど情けない色を醸し出しているのだろう。
線が細く、柳のような柔らかな面持ちのリディアであるが、フェリルのぎらつく言葉に対しても毅然と応えていた。心のどこかでルシアナは、その姿に安堵を覚えていた。リディアの背後に控えるクレアは、フェリルとルシアナを交互に視線を配っている。当然、フェリルに対する注意の方が、強かった。
「なんのための寄附であるか」
「寄附は普く世界の平常のために。健やかなるベルグラーヴの発展と未来のためです。寄付金の額で、カーライル様を贔屓になることはありません」
代わりの薬が処方された。また、仕事についても、制限がリディアから提示された。
「それと後は、明日からは、散歩程度でも、邸宅まわりを歩かれるといいですね。体力を回復とともに、慣らしていきましょう」
「そんな悠長なことはしていられない。ベルグラーヴの復興と、砦の再建。足場崩しの犯人も捕まえなければならないのに、この邸宅まわりの散歩がやっとだなんて」
「それが無理を続けたツケなのです。むしろベルグラーヴ再興を成し遂げたいのであるのならば、ご自身の身体を大切にするべきなのです」
ぴしゃりと言い放つ。フェリルに返せる言葉はなかった。リディアは席から立ち上がり、クレアを連れて、部屋から辞していった。扉後ろで控えていたエレーナが邸宅外まで案内するだろう。
フェリルはぶすと唇を尖らせて、不貞腐れていた。
「致し方ないではありませんか。実際に、お身体を崩されたのですから」
ガラスのコップに水を注いで、フェリルの手元に添える。フェリルは黙ったまま、コップを受け取り、一口だけ飲んだ。
「そんな顔をしないでよ、ルシアナ。そんなことは、重々、判っている。だからこそ苛立たしいんだ」
下唇を噛みながら、フェリルが言った。
「まったく、あなたにファン・リーの名前を与えたのに、これでは名前倒れになってしまうな」
「――申し訳ありません」
「謝るな。私を思ってのことなのだろう。感謝しているよ。いつも」
フェリルが好きな遥か東方の国ザイカの名宰相の名前であると、ルシアナは聞いている。この書を読んで、このようになって欲しいと言われているのだが、ルシアナにはその書が難しく、また仄かに恐怖心を抱いていた。フェリルからの期待の重さが具体になるような気がしていた。書を開きはする。文字も追う。しかし読んでいる心地はまるでなかった。
フェリルの隣に机を並べて勉強に励んだ。まず読み書きと計算からであった。必死になって追いかけていった。いつまで経っても、背中ばかりを眺めてばかりであった。フェリルの側に並びながらも、ルシアナはそんな忸怩たる思いは、常に抱いていた。
エレーナが運んできた食事をとり、決裁文書の読み上げを続けた。また、アーネストを入室させて、業務の振り分けの整理を打ち合わせた。
その最中であった。重いノックとともに、レヴィンが部屋に入ってきた。長いもみ上げに、厳めしい顔つきをしている。
「お客様がお越しです」
「誰だ」
「本島の軍人です」
「来たか。判った」
ずるりとフェリルの足がベッドから滑り降りる。しかし、ルシアナは睨みで牽制した。きまり悪そうに顔を曇らせた。
「レヴィン。取り敢えず、この部屋に連れて来い」
「畏まりました」
黒い制服を着た二人の男が現れた。胸元には小さな徽章が付けられていた。よほどの結果出した軍人なのだろう。ルシアナも背筋を伸ばして相対した。
「病床のため、このような見苦しい恰好、たいへん申し訳ない。早急に対応していただきたい故、なにとぞ頼む」
明瞭な口調で、二人に対して言葉をかける。
――たった二人か。
その直前には、そんな呻き声を漏らしていたのを、ルシアナは聞いていた。本島に送った文書では小隊一つを願い出ていた。砦向こうの森の捜査と、足場崩しの犯人の追跡のためである。
「ベルグラーヴが置かれている状況については、報告書を読んだ通りだ。何分、襲撃犯も捕まっていなければ、前任の教司を殺害した者も不明だ。森に潜んでいてもおかしくない」
「戦いの恐れがあるからこそ、我々が参じております。ご安心ください」
共に剣のような眼差しに盾のような身体つきをしている。硬い声で、フェリルの言葉に返事をした。
「私の方からも数人、出す。すきに使ってくれ」
フェリルはそう言葉を続けた。彼女の瞳も、覚悟の険しさを強く帯びていた。
お読みいただき、誠にありがとうございます。
ゆっくりとではありますが終盤に向けての苗を育てつつは仕掛けを入れております。
引き続きご愛顧いただければ幸いです。
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