3-1 -フラッグ-
登場人物たちがある揃ってから、ゆっくりじっくりと展開
ただようやくフェリルがベルグラーヴに着任
その行列を村の民の視点から
先ず馬車の多さに驚いた。そして、馬上の従者と徒歩の従者の数名が馬車を守るように歩いている。フラッグは畦道に立ち尽くして、長く続く馬車の列を見送った。フェリル・カーライルがいよいよ屋敷に入るのかと気がついた。黒いキャリッジの中で若い娘が三人、そして老齢の男が一人だけが乗っていたのが見えた。フェリルが乗っているキャリッジなのだろう。しかし、どの顔が彼女なのか、フラッグには判らなかった。
キャリッジの中の娘らよりも目を奪われたのは従者たちかもしれない。褐色肌の男女が居た。手や足がない者もいた。褐色肌の男の手には蛮刀を握り、頬や首元に青い文様を刻んでいる。女の方も弓を持ち、矢を背負っている。腰には短刀が提げられている。薄く積もった雪の上に、それぞれ跡を残して歩き続けていく。
――戦争でもするつもりなのか。
フラッグは訝し気な眼差しを向けて、馬車を見続けていた。彼らは正面のみを見つめている。畦道のフラッグを気にかけるような雰囲気はなかった。
親からも、隣人たちからも、新たな領主であるカーライル家の話は、良いものではなかった。本島から来た商人貴族というだけで、眉をひそめさせて身を引かせるには十分だった。そして、前領主と同じように、租税をきちんと納める代わりに無関与であって欲しいと願っていた。
乾いた風が吹きつけてきた。おろしたばかりの毛皮のベストをもってしても、フラッグは身を窄めてこれを耐えた。ベルグラーヴは冬となっていた。白茶けた小丘に葉の落ちた樹々。遥かそびえる山脈は、雪で白く、陽光を鋭く反射し、きらめていている。
フラッグは半年間の静養の後、ベルグラーヴの保安駐在所に戻ってきていた。襲撃事件の際の疲れはすぐにとれていた。しかしながら、ドンと物を叩けつける音に過敏に反応するようになっていた。火薬の匂いを思い出して、視界が白ばんでいってしまう。時としては震えて叫んでいた。
診療所ではなく、ロシュの教会でも教司に診てもらっていた。白い粉剤やべったりと甘い飲み薬を処方して貰っている。身体の拘束感や胸の締め付けといった苦しみから解放されて、しばらくはふわふわと柔らかく浮いた心地となり、身体も軽くなり楽になった。音への過剰な反応はせず居られたのだが、一日もしない内に効能が切れてしまう。切れたとたんに、立つことも堪らないほどの不安が決まって訪れる。
――実家でゆっくりと養生するのが一番かもしれませんね。
結局、診療所の所長もロシュの教司も同じことをフラッグに告げてきた。この二人にそう言われた以上、荷物をまとめてとぼとぼと歩いて帰るしかなかった。乗り駆けた馬はすでにベルグラーヴの保安駐在所に連れ戻されていた。
「どうだ、フラッグ。そろそろ戻ってメシにするか?」
フェリルの馬車隊がちょうど通り過ぎた頃に、顎に髭を蓄えた大男がフラッグに近寄ってきた。隣人のトーマスである。手には二羽のウサギをぶら下げて、もう片方の手には狩りに用いただろう罠が提げられていた。トーマスは猟師だった。フラッグは陽光の位置を一瞥で確認してから、「そうだな。そうしよう」と言って、最寄りの小屋へとトーマスと並んで歩いて行った。
本来は鹿狩りの予定だった。前日に本日の火器の持ち歩きを禁止する触書が出た。
狩りの道具をフラッグは背負っていた。しかしトーマスとともに葉の落ちた森に入ることはなかった。仕掛けた罠の具合を見に行くとフラッグに告げて、トーマスのみが入っていった。
「今日は運が良い。でも調子に乗って深入りすると熊に遭うからな」
「冬でも熊は出ますか」
「さあな。遭ったヤツはもっぱら死んで口が効けないから、実際は判らねえけど」
噂では出るとフラッグも聞いている。年に数度、狩りのために冬の森の入った猟師が、翌春に遺体となって発見されることがあった。そのほとんどが骨となっているため、死因の特定はできていない。しかし、骨にまで掻かれたような傷跡や、噛まれたような穴があると聞いている。
トーマスはまだ冬に熊を観たことはないと言葉を繋げた。太い身体でのっそりと歩くトーマスの姿こそが、フラッグには熊のように思えた。
フラッグは保安駐在所を辞めていた。そして実家で、畑に入り収穫などの手伝いをして暮らしていた。
ロシュから戻ってすぐは、保安駐在所で勤めていた。新しく所長となったルパートから直々に復職を求められた。マーク・トンプソンによって数名が殺されており、未だ大怪我から癒えていない者もいる。新規に公募をかけても、手を挙げる者がいない。居たとしても不適正な者ばかりであり、人員の補充が遅々として進んでいなかった。正規の警吏となれるよう口添えもすると、ルパートは言っていた。
待っていたのは、陰口だった。――馬に乗って逃げた男。フラッグに用意されていた評はそれだけだった。そして、悪戯として、バンと机を叩く者がいた。フラッグが震えて立ち上がり、辺りを見回す様をにやにやと嗤っている――ように彼には見受けられた。
晩夏に戻り、中秋には辞めていた。ルパートは引き止めなかった。――申し訳ない、とだけ独り言のような小さな声で言っていた。フラッグは返事をせずに、辞表を出した机から背を向けて、保安駐在所から出ていった。
人がいるのに越したことはない。特に保安駐在所で勤務していた成年男子である。体力は申し分ないと、畑に入れば歓迎すら受けた。収穫の時期は重宝された。保安駐在所を逃げるように辞めた男と、チラチラとフラッグの耳に入ってきたが、発信元が不明であったため、気に留めないようひたすら心掛けた。受けた指示に従って、黙々とフラッグは働いていた。
――猟に出よう。
冬に入り、畑仕事で手伝えることがなくなったフラッグに、トーマスはそう声をかけた。
――猟銃の音に反応する? こういうのは何度も耳にして、慣れで何とかなるモンだ。それに、猟銃を持っ
て狩りをするだけが、仕事じゃあないからな。
トーマスは森や山に入り、獣を狩るとともに、植物の採取もしていた。とりわけ、山の標高高くに生える草花や、森の奥深くに辛うじて生えているキノコなどは、教会で高値で引き取られていた。
――そっちの手伝いとして、着いて来ればいい。
フラッグは誘いに応じて着いていくことにした。森や山の中ではトーマスの言葉が絶対である。とりわけ、山や森の奥を踏み込むにつれてルールが厳しくなる。誤れば命に係わる。神経をとがらせる必要があった。
不注意によりトーマスの怒鳴り声が響く時もあった。銃声が鳴り時もある。途端に身体が硬直して、心拍が激しくなった。その際はロシュの教司より処方された薬を飲んでやり過ごしていた。
――俺も昔はそうだった。その内、おいおいと慣れるだろうよ。
トーマスは常々そういって、フラッグの方を叩いて励ましていた。
小屋に入り、トーマスは狩った二羽の兎の毛皮をはぎ取り、下準備を進める。毛皮はロシュの業者の処へ持っていけば、それなりの額で引き取ってもらえる。フラッグも、暖炉に火を点ける他に、調理の準備をした。こねた小麦粉を小粒にしたリゾニをお湯で茹で、兎の腹に共に詰める香草をザク切りに整える。塩と香辛料を軽くまぶしてから火にかける。二羽とも同じように調理した。
「さっきの馬車はアレか。カーライル家の領主様か」
「その筈」
「随分と若い娘が治めるんだな」
揺らめく火に視線を向けながら、トーマスはぼそりと言った。不安を覚えたのだろうか。フラッグも新しい領主には不安があった。
若い娘であることに加えて、本島から来たことも因の一つである。大陸の、それもベルグラーヴのような山内の奥に踏み入れた経験も、彼女にはないだろうと推察している。
――そんな小娘に、何が判るんだ。
村人からそんな言葉が出てくるのは時間の問題であると、フラッグは踏んでいる。おまけに、貿易商で成り上がってきた家系である。戦の前線に出て勇猛果敢に戦ってきた、あるいは国の勢力を伸ばすため、尽くしてきた家系ではない。交易の商品に対しても、あまりいい話を聞かない。
その上、従者として連れてきている者たちも気になった。褐色肌の男女や、手や足のない者。交易先の者たちだろうか。その上、それなりに武装をしているのも目に付いた。フラッグの表情は自然と険しくなってくる。
「どうなるのでしょうね」
「まあ、こっちは猟が続けられれば、それでいいんだけどな」
「そうですね」
「だれが領主になろうとさ、どの道、俺たちの生活はそう変わらないだろうよ」
「――そうだといいのですけど、ね」
ロシュでの研修時代に、各地から寄せ集められた仲間がいた。食事や就寝前の時間に話を交わした限りでは、――領主によって、租税の税率が違うことが判明した。また、領主の定める条例や施策によって、生活が左右されることみ耳にしている。家を強制的に移転させられた。田畑を買い上げられたなどといった話を聞いてきていた。フラッグの顔は曇っていく。
「ベルグラーヴで何ができるんだってヤツだよ。だからそんな顔をするな」
トーマスは子供の頃から知っている。彼は親について森や山に入っており、フラッグの知る限りでは、ベルグラーヴから離れたことはない。せいぜい、ロシュへ出て狩りの成果を換金するか、女を買いに行くぐらいである。家を一週間以上も離れることはない。
「褐色肌のヤツとか居たな。あいつらもカーライル家の従者だろう」
「まあ、そうだろうな」
「あいつ等に頭を下げるのは、ちょっとアレだな」
咄嗟にキャリッジに乗っている三人の娘を思い出した。一人だけ黒髪の娘がいた。わずかな時間であったが、フラッグには彼女が大陸や本島の育ちではないと睨んだ。
――護衛の一人だろう。
フラッグはそれ以上、彼女についての推測を進めなかったが、心の奥底に澱が落ちていくような気がした。
兎が焼き上がった。肉の脂と香草の甘い匂いが鼻腔を撫でてくる。一人一羽ずつとして皿に取り分けたが、フラッグは一部を切り取り、トーマスの更に置いた。
「いつもいいのか?」
「こんなに食べられないからな」
「兎一羽ぐらい、軽いもんだろう」
腹の当たりにナイフを入れると、肉汁を吸ったリゾニが出てきた。
「これで晩まで大丈夫だな」
「明日のために、罠を仕掛け直さないといけないしな」
トーマスは口周りを脂でべったりを塗りつぶすように、齧り付いて食を進めていた。
「そういえば、そろそろ教司様も新たに来られるんだろう?」
「来週あたりになると聞いているけれど」
「薬草採りはこれからいよいよだな」
――狩猟より薬草採りの方が稼げる時がある。
トーマスは森の奥で薬草を摘む時にしばしばそんな言葉を漏らす。教会に持っていけば、一株で鹿皮よりも高値で売れるとも。
「そうなるとますます、奥に入れるようにしないと」
「そうだな。お前にはまだ厳しいよな」
山奥の川清く流れる辺の苔や、サルノコシカケのようにせり出た岩場に生える草が特に言い値だそうだ。トーマスに連れられて山や森に入るようになったが、まだそのような現場には連れて行ってもらえていない。
「ランベール教司はシビアだったから、ちょっと甘めの教司がいいな」
にやりと笑みを浮かべてトーマスは言った。フラッグは面長の鋭く細い眼をしたランベールの顔を思い出した。固く生真面目であり、公平な人物であったとフラッグは評価している。
「新しく来られる教司様は女性だそうだ」
「本当かい。そいつは良いな」
トーマスはさらに相好を崩した。唇のゆがみに嫌らしさが含まれているようにフラッグには見えた。
「美人だと猶更いいな」
「期待はしない方がいいと思うけどね」
「診断も薬の処方も、どうせなら美人の方がいいだろう」
「――そうだな」
トーマスの言葉には苦笑いで応えるしかなった。
ロシュの教会で処方された薬をフラッグはポケットに納めるなりして常備している。不意な音が最も神経に応える。身体が硬直し、心臓が捕まれ握られるような心地を覚えることがある。収穫の手伝いをしている際には、穿った見方をされることもあったが、トーマスは理解を示してくれた。
「ロシュの教会で処方薬を記して貰って、来月からはベルグラーヴの教会に通うのが理想的かな」
「違いない」
脂のついた指をぺろぺろと舐め拭きながら、トーマスは言った。武将に蓄えている顎髭にまで兎の脂が着き、てらてらと火の揺らめきに合わせて光っていた。
兎の香草焼きを食べ終わり、使い終えた皿の片づけを済ます。支度を整えてから外に出ると、すでに日が傾きかけていた。
「夜になるとさすがに拙いからな。さっさと行くぞ」
サックを背負ってトーマスが先頭となって、森の中へと入っていく。トーマスの手には猟銃があった。――万が一の時しか使わない。彼はそう約束している。そして、フラッグの前ではこれまで一度も使っていない。
「明日からはもう少し奥まで入って、薬草のある処に行くか」
「お願いします」
「何、いずれは一人で入れるようになってもらわないといけないからな」
「――そうですね」
「それに、俺だっていつ熊に襲われるか、判らないしな」
「そういうことは言わないでくださいよ」
微苦笑を浮かべてフラッグはトーマスの言葉に応えていた。
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