第五十四話 たこ焼き
ホテルに到着した俺たちは、早速客室に案内された。
「わぁ……! すっごくいい部屋!」
大きな窓の外には、広大な大阪の街が広がっている。
客室は豪華でありながら品がある。クラシックな雰囲気と共に、格式の高さが演出されている。一言で言えば、ここは高級ホテルである。
何故、こんな良いところに宿泊しているのかというと、またしても歌原さんのおかげである。さらに正確に言うなら、イベントへの招待状を送ってくれた、歌原さんの友人のおかげだ。
招待状には、ホテルの優待券が同封されていたのだ。至れり尽くせりすぎて、どう恩を返していいのやら。
「ベッドも広すぎー!」
しずくは、早速ベッドにダイブする。大の字に寝そべり、泳ぐように手足をばたつかせていた。それに倣って俺もベッドに腰かける。程よく沈み込むマットレスは、快適な睡眠を保証してくれるだろう。
ベッドは、セミダブルのものが二つ。その間は、少し開いている。
左右のベッドを交互に見ていると、しずくが突然、瞳を覗き込んできた。そして、悪戯っぽく目を細め、口を開く。
「――――もしかして、ベッドはひとつのほうがよかった?」
「なっ……⁉」
「ふふっ、冗談だって。そんな分かりやすく動揺しなくたっていいじゃん」
しずくは、ベッドから飛び降りると、にやにやしながらにじり寄ってきた。彼女が近づいてくるたびに、頬が少しずつ熱を帯びていく。
ベッドが二つあることは、来る前から分かっていた。
しかし、とはいえ、だからと言って、同じ部屋で寝泊まりする以上、寝床の距離感は気になってしまうではないか。
「純太郎って、意外とすけべなんだよなぁ」
「うっ……」
「ああ、責めてるわけじゃないから! むしろ、彼女としてはそっちのほうが安心するっていうか――――なんだろ……ああもう、私のほうまで恥ずかしくなってきちゃったじゃん……」
二人して俯く。
顔を赤くしながら、二人揃って棒立ちになっている図は、なんとも滑稽だった。
「ま、まあ、ベッドのことはあとで考えよ⁉ 今は荷物を置きにきただけだし!」
「そ、そうだな!」
互いに背中を向け合いながら、別に今やる必要もないのに、荷解きを始める。
この動揺を抑えるには、しばらく時間が必要だった。
しかし、荷解きなんて、すぐ終わってしまって――――。
「じゃあ! 道頓堀行こっか!」
外出の準備を整えたしずくは、どこかぎこちない態度で言った。
対する俺も、いつも以上に言葉が出てこなくなり、ただ頷くことしかできなかった。
少しの沈黙のあと、俺たちは揃って噴き出すように笑う。
「あはは! なんで二人ともこんなに緊張してんだろ?」
「焦る必要もないのにな……」
「そうそう! 私たちは、私たちのペースで行こ?」
しずくが、俺の腕に抱き着いてくる。
恋人になった以上〝この先〟を意識してしまうのは、避けられない欲望だ。
しかし、焦ることに意味はない。自分たちのペースで、ゆっくり進むべきだ。
いつの間にか冷静になっていた俺たちは、そのままホテルを出た。
そして、まだ日も高いうちに、道頓堀に到着できた。
「おぉ~! 道頓堀だぁ!」
橋の上から、真っ直ぐ伸びた川を進む船が見えた。見上げれば、そこには有名なグリコの看板が。
「ねぇねぇ、写真撮ろ?」
しずくは、俺にぎゅっと身を寄せると、グリコの看板がバックに映るよう角度を調節して、スマホのシャッターを押した。
以前までの俺は、写真があまり好きではなかった。しかし、しずくと付き合い始めてからは、写真を見返しながら、思い出を振り返る楽しさを知った。今では、しずくと一緒に撮るのが、楽しみになっている自分がいた。
「いい感じ! 共有しとくね?」
「ありがとう」
ただの連絡ツールでしかなかった俺のスマホに、またしずくとの思い出が増えた。
「写真送っただけなのに、なんでそんなに嬉しそうなの?」
「え、顔に出てたか?」
「うん、めっちゃにやけてた」
しずくは、からかうような表情を浮かべながら、そう言った。
俺は、両手で頬を押さえ、ぐにぐにと動かす。何故、こんなにも感情が顔に出てしまうのだろうか。自覚がないのが、なんとも恐ろしい。
「あはは! 何やってんの?」
今度は、けらけらと笑われてしまった。
「私との写真が増えてくの、そんなに嬉しい?」
「……嬉しいよ、そりゃ」
「えへへ、私も~」
しずくは目尻を下げて、甘えるような顔をする。そして、再び俺と腕を絡めた。
これが、幸せというものか。一生忘れないよう、俺はそれをぐっと噛みしめた。
「よーし、じゃあ探検しよっか!」
「ああ、そうしよう」
腕を組みながら、俺たちは道頓堀を歩く。
それにしても、なんとも賑やかな場所だ。見たこともない看板や、面白そうな店が溢れていて、思わず何度も足を止めてしまう。
「あ! たこ焼き!」
しずくが指した先には、たこ焼きの店があった。
この暑い中、頭にタオルを巻いた男性が、真剣な表情でピックを動かしている。
「早速食べない?」
「大賛成」
「やった!」
しずくは、小さくガッツポーズして、俺をたこ焼き屋の前まで引っ張っていく。
散歩している犬の気持ちが、少し分かった気がした。
「いらっしゃい! 買ってくかい⁉」
「はい! ひとつください!」
「はいよー!」
気のいい店員さんが、慣れた手つきで、舟にたこ焼きを詰めていく。それを受け取ると、八個入りと書いてあったはずなのに、何故か十個入っていた。
「あの、これ――――」
「サービスだよ! お嬢ちゃん可愛いからね!」
「え~! ありがとう!」
眩しいほどの笑顔を見せるしずくに、店員さんは分かりやすく鼻の下を伸ばす。
そして、突然俺のほうに身を乗り出してきた。
「彼女のこと、大事にしな! こんな可愛い子、なかなかお目にかかれないんだから!」
「は、はい……ありがとうございます」
店員さんは、にっと笑って、俺たちを送り出してくれた。
近くにベンチを見つけ、腰かけた。たこ焼きに竹串を刺すと、食べる前からとろっとろなことがよく分かった。このまま口に入れたら火傷をする、なんてことは頭では分かっているのだが――――。
「はふっ……あつ、あふ、うまっ!」
忙しいリアクションと共に、しずくの目がきらきらと輝き出す。
たまらず、俺もたこ焼きを口に運ぶ。マグマを口に含んだかと思うほどの熱さのあと、がつんとインパクトのあるソースとマヨの味が、口いっぱいに広がる。たっぷりとかけられた青のりとかつお節も、ソースとマヨによく合う。そして何より、たこが大きい。ここまでたこの主張が強いたこ焼きは初めて食べた。
普段よく食べるたこ焼きよりも、非常に柔らかく、中はとろとろだ。この絶妙な火入れは、長年の経験が成せる職人技なのだろうか。そういえば、大阪の家庭には、一家に一台たこ焼き器がある、だなんてことも聞いたことがある。ここを往来している人たちも、普段からたこ焼きを作ったりしているのだろうか。
まだ見ぬたこ焼き職人を見つけるかのように、俺はきょろきょろと辺りを見回しながら、黙々とたこ焼きを食べ続けた。




