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第五十二話 新幹線

 彼女の唇が触れた部分が、ほんのりと温かい。一瞬の羞恥のあと、幸せが一気に込み上げてきて、破顔しそうになる。しかし、人前でだらしない顔なんて見せられない。

 俺は気を引き締めるため、コーヒーを一気に飲み干した。


「あー! 私のやつ!」

「あ……」

「もう! じゃあこっち全部もらうからね!」


 俺はこくこくと何度も頷いた。

 頬を膨らませるしずくだったが、その様子は、どこか楽しそうだった。

 それから、新幹線のホームに着く頃には、しずくのカップも空になっていた。

 しばらくして、俺たちが乗る新幹線がやってくる。ちなみに、往復の新幹線は、歌原さんが取ってくれた。交通費まで持ってくれるなんて、もう頭が上がらない。


「えっと……席は――――あれ?」


 乗り込んだあと、座席表を確認していると、俺はあることに気づいた。


「ここ、グリーン車じゃないか……?」

「え? あ、ほんとじゃん」


 ちゃんと券面を見ていなかったせいで、今の今まで気がつかなかった。


「結構高いのに……マスター、ちょっと太っ腹すぎない?」

「帰ったら、めちゃくちゃお礼言おう」

「うん、お土産もたくさん買っていこうね」


 指定された席にたどり着いた俺たちは、顔を見合わせ、深く頷いた。

 間もなく、新幹線が出発する。


「ふー……さて、お弁当食べよ!」


 新幹線が猛スピードで走る中、しずくは備え付けのテーブルの上に、牛タン弁当を広げた。

 肉の香りがふわっと広がり、食欲をそそられる。


「ほら、純太郎も」

「ああ」


 言われるがまま、カツサンドの包みを開く。並んでいた見本の通り、かなり分厚い。それに、サンドウィッチにしては、ずっしりとした重量がある。


「「いただきます」」


 幸せの重みを感じながら、目一杯に口を開けて、カツサンドを頬張った。

 ふっくらとしたパンのすぐあとに、サクサクのとんかつに到達した。脂身はとてもジューシーで甘い。濃厚なソースは、とんかつによく合うスパイシーでパンチのある味だ。

 とんかつばかりに目がいきがちだったが、パンもほんのり甘く、優しい味でとんかつを邪魔しないようになっていた。そして全体を引き締めるからしマヨネーズが、いいアクセントになっている。食べ進めているはずなのに、不思議とお腹が空いてくる。


「牛タンぷりっぷりだよ⁉︎ ねぇ、純太郎も食べてみて!」

「おお……! じゃあ、お言葉に甘えて」


 爽やかな柚子塩と、噛めば噛むほど広がる肉の旨味が合わさり、多幸感が押し寄せてくる。そして、硬すぎない程よい噛み応えが、なんとも癖になる。しずくの言う通り、ぷりっぷりという擬音が相応しい。


「うっま……。まさか、これが弁当で食べられるなんて」

「ね、すごいよね!」

「カツサンドも食べるか?」

「うんっ!」


 しずくが口を開ける。これは、食べさせろということだろうか。

 どきどきしながら、カツサンドをしずくの口に運んだ。すると、彼女はそれに豪快に齧りついた。なんだか犬に餌付けしているようで、ちょっぴり楽しい。


「ん〜〜! 美味しい! ソースが濃くて最高! これ、外撮影のあとにも食べたいなぁ」

「ああ、この時期は汗もいっぱいかくしな」


 ふと、幼少期に家族と行った海で、たくさん泳いだあとに食べた焼きそばを思い出した。体をたくさん動かしたあとに食べるソース味のものは、いつも以上に美味しく感じる。

 そしてさっきから、しずくの視線がカツサンドに釘付けになっている。どうやら、相当お気に召したようだ。


「よかったら、もうひと口どうだ?」

「いいの? じゃあこっちもあげる!」


 そうして俺たちは、お互いのお弁当を交換し合いながら、昼食を終えた。


「はぁ、お腹いっぱい」

「ああ、正直足りないかもって思ったけど、意外と満腹になったな」

「分かる、お腹空いてるときって、いくらでも食べられるって思っちゃうよね」


 しずくは、腹をさすりながら恥ずかしそうに笑った。


「大阪まで、あと二時間くらいか……。あ、そうだ。しずく、移動中は課題やるって言ってなかったか?」

「うっ」


 しずくの眉間に皺が寄る。

 彼女は、多忙を極める大人気モデル。課題のための時間を捻出することすら、容易ではない。それこそ、こういう隙間の時間を、上手く利用する必要がある。

 ちなみに、俺の課題は、すでに終わっている。課題は、夏休み初日にほとんど終わらせるのが、俺のスタイルだった。


「分かってますって。ちゃんとやりますよー」


 しずくは、唇を尖らせながら、問題集を膝に載せ、テーブルにノートを広げた。


「分からないところがあったら、俺も手伝うよ」

「ありがと、マジ助かる」


 しずくが、懇願するような視線を向けてきた。その様子が、あまりにも必死すぎて、思わず笑いそうになった。しかし、ここで笑ったら彼女のやる気を削いでしまいそうで、懸命に堪える。


「……こら、今笑いそうになったでしょ」

「な、なんのことだ?」

「こっちは真剣なんだからね……!」


 腕を掴まれ、がくがくと揺らされる。


「罰として、数学の課題やってくれない?」

「それはダメだ。課題は自分でやらないと」

「くっ……真面目だ……! まあ、そんなところも好きだけど!」


 しずくは、いーっと歯を見せつけてから、黙々と課題に取り組み始めた。

 時折、俺の助けを借りながら、彼女はひとつずつ、着実に課題を片付けていく。以前、集中して進めていた分も含めて、一時間ほどでほとんどの課題が終わった。


「くぅ……疲れた」


 頭から煙を上げながら、しずくが力無く座席に寄りかかる。


「お疲れ様。頑張ったな」

「純太郎のおかげだよぉ……ひとりじゃ絶対心折れてた」


 そう言って、しずくは照れ臭そうに笑った。


「はぁ、甘いもの食べたくなっちゃった」

「たくさん頭使ったもんな」

「そうだ、車内販売があったはず……!」


 座席の物入れに、モバイルオーダー用のメニューがあった。

 飲み物やお菓子の他に、アイスも何種類かある。


「え~どうしよっかなぁ……アイス食べちゃおっかなぁ……」

「いいな、俺も食べようかな」

「じゃあさ、二種類買って、またシェアしようよ!」


 二人でいると、これができるからありがたい。

 しずくはピスタチオアイス、俺はバニラアイスを頼んだ。


「ピスタチオのアイスって初めて食べたかも。さっぱりしてるけど、結構しっかりピスタチオの味して美味しい!」

「ああ、ベリーとかチョコとも合いそうだな」

「それ、絶対美味しいやつじゃん。今度試してみようよ」

「いいね。そのときは、コーヒーも淹れるよ」

「やった!」


 足をぱたぱたと動かしながら、しずくは再びアイスを口に運び、きゅっと目をつむった。


「はあ、疲れた脳に沁みるぅ……」

「こっちもどうだ?」

「ちょうだい!」


 カツサンドのときと同じで、しずくは俺のほうを見て、早くちょうだい! と言わんばかりに口を開けた。

 しずくにバニラアイスをやると、その大きな瞳がきらきらと輝く。


「濃厚でうまっ! バニラビーンズ入ってるアイスって、なんかめっちゃ美味しいよね」

「分かる。カスタードとかも美味いよな」

「そうそう! あー……なんか、シュークリームも食べたくなってきたかも」


 空になった容器を眺めながら、しずくは物足りなさそうに言った。


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