第四十九話 提案
「お待たせしました。アイスコーヒーです」
「待ってました……!」
しずくは、花が咲いたような笑みを浮かべ、早速アイスコーヒーに口をつける。
ぐん、ぐん、と減っていくコーヒーに、俺も思わず笑みを浮かべていた。
「ん~! いつも通り美味しい! もうこれがないと始まらないよ!」
グラスの中身が、あっという間に半分になってしまった。この様子だと、すぐおかわりが必要になるだろう。
「今日も、閉店までゆっくりしてて大丈夫だから」
「ほんと? じゃあ、課題でもやってようかな……」
そう言って、しずくは憂鬱そうに問題集を取り出した。その様子に苦笑しながら、俺はカウンターへと戻る。
平日の喫茶メロウは、そこまで混み合わない。
客足が完全に途絶えることはないが、常に空席が並ぶ程度には、余裕がある。
一見、繁盛していないようにも見えるが、喫茶メロウにおいて、この状況は決して悪いことではない。
喫茶メロウの常連客は、歌原さんのコーヒーだけではなく、この落ち着いた空間を好んで何度も足を運んでくれる人が多い。そのため、あまり騒がしくなってしまうと、常連客たちが来店しづらくなってしまう。
いつ来ても座ることができて、ゆったりと過ごせる。そういった環境を用意し続けることが、喫茶メロウの役目だと、歌原さんが語っていた。
俺は、喫茶メロウの雰囲気が大好きだ。
ゆったりとしたテンポのBGM、温かな雰囲気のお客さんたち、香ばしいコーヒーの匂い。
ここにいると、時間がゆっくりと過ぎていく。たまに、うっかり長居してしまったお客さんが、慌ただしく出ていくところを見かける。忙しい日々の中、この空間でだけは時間を忘れられるのかもしれない。お客さんには申し訳ないが、俺はそれが嬉しかった。
そして、気づけば今日の営業が終わろうとしていた。
最後のお客さんが退店し、店内は、俺と歌原さん、そして店の端っこの席で、黙々と夏休みの課題をこなすしずくだけになった。
「お疲れ様。もう閉めちゃうから、上がっていいよ」
「ありがとうございます」
「あ、それか、ちょっと休んでく? コーヒー淹れるよ。しずくちゃんも疲れてるみたいだし」
「ぜひお願いします……!」
即答すると、歌原さんは嬉しそうに笑って、席で待っているようにと言った。
言われた通り、俺はしずくの対面に腰かける。
「おつかれ、純太郎」
「しずくもな。課題、結構進んだか?」
「うんっ! ここだと集中できることに気がついた!」
しずくはそう言って、開いたノートを胸の前に掲げる。その顔は少々疲れているものの、達成感に満ちているようだった。
「ならよかった。歌原さんが、コーヒー淹れてくれるって」
「え! もしかしてサービス……?」
「もちろん」
「やった!」
小さくガッツポーズしたしずくを見て、思わず笑みがこぼれる。まるで、給食の献立が大好物だったときの小学生みたいだ。
「……てかさ、来るたびに長居しちゃって、ほんとに迷惑してない?」
しずくは小声になって、カウンターでコーヒーを淹れている歌原さんを一瞥した。
「してないよ。しずくが来ない日は、マスターも寂しそうにしているし」
「ほんと……⁉」
俺は何度も頷く。
実際、しずくの仕事が忙しくて、数日来られなかったときは、ずいぶんと悲しそうだった。
いつも何かと気にかけてくれるし、歌原さんも、しずくのことを大事に想っているはずだ。
「よかったぁ。ここ、居心地よすぎて、つい時間を忘れちゃうんだよねぇ」
しずくが店内を見回して、幸せそうな顔をする。それにつられて、俺も自然と笑顔になっていた。
好きな人が、自分と同じものを好きになってくれた。それが何よりも嬉しかった。
「あ、そういえば、新メニューのこと話したの?」
「……あ」
――――すっかり忘れていた。
「え、新メニュー⁉」
コーヒーを持ってきてくれた歌原さんが、興奮した様子で詰め寄ってきた。
「そ、その、提案しようと思ってたものがあって……」
俺は歌原さんを手で制しながら、そう言った。
鞄からマキネッタを取り出し、彼女に見せる。
「あ、マキネッタだ! 可愛いよねぇ、これ」
「今日、学校でアフォガートを作ってみたんです」
「え〜⁉ 美味しそう! 私にも食べさせて⁉」
思ったよりも乗り気な歌原さんに驚きつつも、ひとつ頷く。
確かに、実際に食べてもらったほうが早い。
しずくに食べてもらったときと同じやり方で、アフォガートを用意した。ひと口食べた歌原さんは、頬を押さえながら、くねくねと身を捩る。
「ん~! 美味しい~!」
「よかった……これ、新メニューとしてどうですか?」
「いいと思う! うん、採用!」
歌原さんが、親指を立てた。
自分のメニューが採用されたことは嬉しいのだが、なんだろう、この拍子抜け感は。
「コストがほとんどかからないし、何より、夏にぴったりだしね。きっと売れると思うなぁ。あ、でも……」
でも、という言葉に、思わずどきっとする。
「せっかくなら、本格的なエスプレッソマシンとか買ってみる?」
「え⁉」
今度は、俺が歌原さんに詰め寄ることになった。
エスプレッソマシンを買おうと思ったら、どんなに安くても数万円はかかる。正直言って、高校生の稼ぎでは、簡単に手に入る代物じゃない。
「今まで置いてなかったのも、おかしな話だしね。せっかくだし、純くんに選んでもらおうかなぁ〜」
「お、俺でいいんですか? ちょっとさすがに、責任重大というか……」
「ふふ、まあそう気負わないで? 今の純くんなら、きっといいマシンを見繕ってくれるだろうなぁって思ったの。私と相談したうえで買うってことにはなっちゃうけど」
「それはもちろん、というか、そうじゃないと困ります……!」
俺が慌ててそう言うと、歌原さんはふふふ、と朗らかに笑った。
信頼してくれるのは嬉しいのだが、あまりにも急な話だったから、心の準備がまだできていない。それほどまでに、エスプレッソマシンとは高価なものなのだ。それが、喫茶メロウに導入するような、業務用のものとなると尚更。
「あ、あのぉ……ちょっといいですか?」
しずくが、恐る恐る手を挙げた。




