魔獣襲来③
突然現れた魔獣によって、神殿は大混乱に陥っていた。
「きゃあああっ!」
「魔獣だ! 魔獣が現れたぞ!」
人々の悲鳴が響き渡り、逃げ惑う貴族たちで広間は騒然となった。
私は腰に下げていた剣を抜いた。
そして、迫り来る魔獣に向かって駆け出した。
神殿には、国王陛下をはじめとする王族や高位貴族を警護するため、多数の騎士が配置されていた。
彼らも次々と剣を抜き、魔獣に立ち向かっていく。
しかし――。
「ぐあっ!」
「くそっ! なんて硬い皮膚だ!」
騎士たちは苦戦を強いられていた。
それもそのはずだった。
彼らは王族や貴族を守るために選ばれた、要人警護を専門とする騎士たちだったからだ。
要人警護では、襲撃者を可能な限り生け捕りにすることが求められる。
後で動機や依頼した者を吐かせる為だ。
そのため、相手の足や腕など、致命傷になりにくい場所を狙い、動きを封じる技術が重視されていた。
だが、魔獣との戦闘はまったく違う。
魔獣は人間のように痛みで怯むとは限らない。
手足を傷つけた程度では動きを止めず、傷を負ってもなお襲いかかってくる。
そして、一瞬の隙が命取りになる。
魔獣と戦う騎士には、相手を一撃で仕留める技術と判断力が求められるのだ。
しかし、神殿を警護していた騎士たちの多くは、魔獣との実戦経験がなかった。
そのため、普段の訓練通りに魔獣の足を狙い、動きを封じようとしていた。
「よし! 足を斬ったぞ!」
一人の騎士が叫んだ。
だが、次の瞬間。
「なっ!?」
足を斬られた魔獣は、怯むどころか凄まじい勢いで騎士に飛びかかった。
「危ない!」
その時、横から飛び込んできた魔獣に剣を振るった。
鋭い一閃。
魔獣の首が宙を舞い、その巨体が床へと崩れ落ちた。
「何をしている!」
「相手は人間ではない! 足を斬った程度で動きを止めると思うな!」
「も、申し訳ありません!」
騎士は慌てて頭を下げた。
だが、私にそれを聞いている余裕はなかった。
次々と魔獣が現れ、逃げ遅れた人々に襲いかかっていたからだ。
「魔獣の首を刎ねろ! どんな魔獣でも、首を落とせばすぐに死ぬ!」
私は苛立ちを隠さず、騎士たちに命じた。
「生け捕りにする必要はない! 一撃で仕留めろ!」
「はっ!」
騎士たちは慌てて剣を構え直した。
しかし、頭では理解できても、長年の訓練で身についた戦い方をすぐに変えることは難しい。
ましてや、相手は人間とは比べものにならないほどの力を持つ魔獣だ。
恐怖から剣を振るうことさえためらう騎士もいた。
私はは歯噛みした。
騎士たちが決して弱いわけではない。
ただ、戦う相手が違いすぎるのだ。
要人警護に優れた騎士が、必ずしも魔獣との戦闘に優れているとは限らない。
その逆もまた然りだった。
だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「動ける者は避難誘導に回れ! 魔獣の相手は、実戦経験のある者を中心に行え!」
私は次々と指示を飛ばした。
そして、再び剣を構える。
目の前には、まだ何体もの魔獣がいた。
「まったく……。よりによって、こんな場所に現れるとは!」
そう吐き捨てると、私は再び魔獣の群れへと斬り込んでいった。
◇
殿下は強い。
けれど、いくら殿下でも、これだけの数の魔獣を一人で相手にするのは無理がある。
それに、神殿にはまだ逃げ遅れた人々が大勢いる。
私は両手を胸の前で強く握りしめた。
そして、自分の中にある神聖力へと意識を集中させひたすら結界を維持していた。
光魔魔術によって作り出した結界は、沢山の人々を魔獣から守っている。
けれど、それが精一杯だった。
「きゃあああっ!」
「助けてくれ!」
逃げた遅れた人々が結界の外で、今も魔獣たちに襲われている。
セインフォード殿下や騎士たちが必死に応戦していたが、魔獣の数は一向に減る気配がなかった。
それどころか、どこからともなく新たな魔獣が現れているようにさえ見える。
「つっ……!」
そして結界に魔獣が体当たりするたびに、激しい衝撃が伝わってくる。
私は歯を食いしばり、結界に神聖力を注ぎ続けた。
額から汗が流れ落ちてくる。
手足が震え、呼吸も苦しくなってきた。
このままでは、いずれ私の神聖力が尽きてしまう。
そうなれば、結界の中に避難している人々まで魔獣に襲われてしまう。
(どうしよう……何か方法はないかしら?)
私は必死に考えた。
その時だった。
ふと、あるものの存在を思い出した。
『聖水』
奇跡を起こすと言われている、特別な水。
私は、その小瓶を持ってきていたのだ。
もしかしたら……。
これを使えば、この状況を何とかできるかもしれない。
もちろん、確証などなかった。
けれど、今は他に方法が思いつかない。
私は結界を維持しながら、そっと衣服の内側に手を伸ばした。
そして、小さなガラス瓶を取り出す。
瓶の中には、『聖水』が入っていた。
「……お願い助けて」
私は小さく呟いた。
どうか、皆を助ける力を貸してください。
震える指で瓶の蓋を開ける。
そして――。
私は聖水を一気に飲み干した。
その瞬間だった。
「……えっ?」
身体の奥から、何かが溢れ出した。
温かい。
まるで全身を柔らかな光に包まれているような、不思議な感覚。
それは、今まで感じたことのないほど強大な神聖力だった。
「な、何……これ……!」
私の身体から、眩い光が溢れ出す。
それまで必死に維持していた結界が、まるで呼吸するかのように大きく広がっていった。
光は神殿の広間を満たし、天井にまで届く。
「何だ、この光は!?」
「ま、眩しい!」
人々が驚きの声を上げる。
セインフォード殿下も魔獣との戦いの手を止め、こちらを振り返った。
「マリア!?」
殿下の声が聞こえた。
けれど、今の私には返事をする余裕がなかった。
身体の中から、次々と神聖力が湧き上がってくる。
あまりにも膨大な力。
このままでは、自分でも制御できなくなってしまいそうだった。
私は必死に意識を集中させた。
そして、神殿で暴れ回る魔獣たちを見つめる。
――お願い。
もう、誰も傷つけないで!
私は両手を前へ突き出した。
そして、溢れ出す神聖力を魔獣たちへ向けて一気に解き放った。
次の瞬間。
眩い光が、神殿全体を包み込んだ。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
光に触れた魔獣たちは、悲鳴を上げる暇さえなく、その姿を消していった。
一体、また一体と。
いええ、違う。
ほとんど同時だった。
神殿に現れた全ての魔獣が、光に飲み込まれ、跡形もなく消滅したのだ。
そして――。
奇跡は、それだけでは終わらなかった。
「……あれ?」
一人の騎士が、自分の腕を見つめていた。
先ほど魔獣の爪で深く切り裂かれ、血を流していたはずの腕。
その傷が、完全に消えていた。
「傷が……治っている?」
「私もだ!」
「足の痛みがなくなったぞ!」
驚きの声が次々と上がる。
魔獣に襲われて倒れていた人々も、何事もなかったかのように立ち上がり始めた。
傷口は塞がり、流れていた血も止まっている。
骨折していた者さえ、自由に手足を動かしていた。
神聖な光は、魔獣を消し去っただけではなかった。
傷ついた人々をも、癒やしていたのだ。
やがて光が収まると、神殿には静寂が訪れた。
つい先ほどまで響いていた魔獣の咆哮も、人々の悲鳴も聞こえない。
ただ、呆然と立ち尽くす人々がいるだけだった。
「……これは、いったい……」
誰かが呟いた。
「奇跡だ……」
別の誰かが、震える声で答えた。
「……奇跡が起きた……」
その言葉をきっかけに、人々の視線が一斉に私へと集まった。
国王陛下も、王妃陛下も、王太子アークレイン殿下も。
そして、先ほどまで私を非難していた貴族たちまでもが、言葉を失っていた。
セインフォード殿下は剣を手にしたまま、驚いた表情で私を見つめている。
「……マリア?」
私は殿下の声に振り返った。
けれど、何と答えればいいのか分からなかった。
だって、私自身が一番驚いていたのだから。
(まさか『聖水』にこれほどの力があったなんて……)
私は空になった小瓶を見つめた。
そして、ようやく小さく息を吐いた。
「……よかった」
誰もが無事だった。
そのことが、何よりも嬉しかった。
けれど私は、まだ知らなかった。
この日、神殿で起こした奇跡が、これから自分の運命を変えることになるなんて…。




