第36話 偉大なる命の実
──────寒い。
氷に揉まれているかのようだ。
燻って混ざる汚泥が胃もたれするくらい沈殿しているのに、やけに気持ちがいい。
不可能などないという万能感。
「ギヒヒ……」
「フーッ、フーッ……」
視界が切り替わるようにぼやけが綺麗さっぱり消えて……白い息を吐き出して肩で呼吸するガルタを眺める。
切れたところからは血がボタボタと垂れ、軽く血溜まりができている。
ガルタは取れた右腕を横目に、肩口を抑えながら……俺にニコッと笑いかける。
やめてくれ。
「ウサミ……大丈夫だから、落ち着いて……げほっ……ほら、ゆっくり、しんこ、きゅう……はぁ……」
お願いだから……やめて…………痛い……痛い……。
見ているだけで、キュッと心臓が小さくなる。
息が詰まる、苦しんでいるのはガルタなのに、俺が泣いてしまう、なんの苦労もしてない俺が泣いていいわけが無いのに。
今だって、痛くて怖くて堪らないはずなのに暴走しかけの俺を落ち着かせようと声をかけてくれる。
笑顔で。
「ガルタ……ごめん」
俺は気づけば地面を蹴り出し、鬼に正面から突っ込んでいた。
気持ち悪い身体の感触は全部消えて、今は気持ち良くて堪らない。
全身が軽く痺れているような快感。
前から吹き付ける風を受けると、気持ちいい感覚がピリピリと転がって、俺の頭に冷たさを与えてくれる。
「死ね」
喉に血が絡んで、ヤニカスのおっさんみたいな声が出る。
歪に捻れた額の一本角を、鬼の目目掛けて突き刺す。
角は般若の仮面をぶち破り、鬼の瞳を貫いた。
そして肉を抉りとるように角を引っこ抜く。
赤色の血が放射状に吹き出し、顔面からたっぷり浴びる。
視界が真っ赤に染まり、瞼がピクピクと痙攣。鉄臭い香りが敏感になった鼻を突き、軽く嗚咽する。
「ギギ……」
鬼は断末魔をあげるでもなく、静かに唸るだけ。
致命傷ではないにしろ、大ダメージのはずなのに……痛覚がないのかと疑いたくなるほど、反応が薄い。
そもそも血でよく見えないが、鬼の顔は闇に包まれているようで輪郭が読み取れない。
身体中からバチバチと弾ける音が鳴り響き、紫電を放電する。
殺さないと。こいつを。
「ウサ、ミ……止まって、ぐふっ……」
「はぁ?」
俺は思わずそう聞き返して、ガルタに振り向いていた。
「今止まって、誰がこいつに勝てるんだよ。考えなしに喋りやがって」
「ウサミ……!」
「スキル発動」
……俺、最低だ。
これじゃあ、ただの──────
「サンダーホーン」
──────自己満足。
前も見えないくらい、全身から激しく紫電が迸る。
それと同時に、ガラス片が体内を駆け回ってズタズタにされているような痛みで満ちていく。
それでも俺の足は止まらなかった。
地面を大きく砕いて跳び上がり、鬼の中心に狙いをつける。
頭がクラクラするような轟音と振動が響き、俺の身体は瞬間移動と錯覚するかの速さで地面に着地した。
「……ッギ」
遅れて唸る声が聞こえ、ドサッという音がした。
振り向くと、真っ黒焦げになった鬼が倒れている。
次第に鬼の身体から黒の粒子が浮かび上がり……俺たち四人に吸い込まれていった。
これで……終わり……
「ごぼっ……げほげほっ……!」
ホッとした瞬間、喉の奥から血がせり上がって口がハムスターみたいに膨らむ。
口が決壊するように弾け、滝のように血が流れ出る。
血の臭いで満たされた口内と鼻腔が粘っこくて気持ち悪い。
眼球が破裂するくらい圧迫され、心臓の鼓動が速すぎて呼吸が掴めない。
「ウサミ!!」
視界が揺れて、寄ってきてくれるガルタが分身して見える。
耳鳴りが酷すぎて何も聞こえず、血管にウニが詰まっているような、内部から刺されて無理やり詰め込まれる痛み。
痛みでさらに鼓動が早まり、呼吸も忘れ、耳鳴りが世界を支配する。
俺はうずくまって頭を抱えることしかできない。
意識……また飛びそう……苦しい、苦しい痛いよ……誰か……助け、て…………
『先輩……これで、最後っすよ……もうこの力を使うのはやめてくださいっす……さよなら』
サクラ……?
なんで、声が聞こえて……今お前は目の前に…………いや……待て、そういえば俺は真っ暗な世界で……
頭に駆け巡る忘却していた記憶に、俺は前足を伸ばした。けど、それは空を切るだけだった。
俺の身体からピンク色の光の粒が浮かび上がり、桃の香りが鉄の臭いを連れ去っていく。
それと同時、全身痣に侵された痣が剥がれるように消えていき、ふわふわで白い毛が生えてくる。
今まで通り、顔の痣だけ残ってそれ以外は全部……全部全部……消えていった。
俺の中にいた、彼を含めて。




