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Ep.46 記憶の迷宮 [前編]

 『姉上が消えてしまいました!!』


 青ざめた顔のソレイユからの報告に、ほとんど反射的に外へ飛び出した。


「ちょっとガイアさんどこに行くつもりで……「出てくるな!窓も開けるんじゃないぞ!!」ーっ!」


 追いかけて来ようとしたソレイユとスピカに叫ぶと、二人がピタリと足を止める。自分もすぐに袖口で口を塞いだ。


(魔力製の催眠ガスか……!一体誰がこんな物を)



 中庭全体を覆うように黒い粒子状の靄が辺りを覆っているのが見える。これは昔祖父が死んだあの日、屋敷を襲った強盗団がばらまいた物と同じだ。確か、あの時は忌み子や魔物について研究をしていた学者の部下が、金目的で闇市に売りさばいたガスをその強盗団が買い取って使用したのではなかったか。いや、そんな事は今はどうでも良い。


 丁寧に手入れされた庭に落ちていた、刺繍入りのハンカチーフを握りしめた。


(彼女もこのガスにやられたのか?一体何処に行ったんだ……!)


 視界を凝らしてあたりを見回す。門のすぐ脇で、二人の兵が意識を失い重なりあうように倒れているのが見えた。


(魔力を媒体にしたこのガスは、普通の人間には目視出来ない。敵襲に気づかず眠らされてしまったか……!)


 とにかく、このままガスが漂うままでは捜索も儘ならない。かといって、魔力を帯びているこのガスは重たく、普通の環境では消えるまでに10日以上はかかる厄介な代物だ。だから……。


(すぐにどうにかしたいなら、魔術で吹き飛ばすしかない)


 普段は任務時にしか使わないが仕方がない。掌に意識を集中させ、辺りの空気を集めて小さな旋風を作り出す。あとはこれを霧散させるイメージで放てば良い……だけなのだが。


『魔術なんて人間が扱うべきじゃないわ、おぞましい!近づかないでこの化け物!!』


「……っ!」


 もう顔すら思い出せない産みの母にぶつけられた拒絶の声が唐突に脳裏を過った。集中が途切れたせいで旋風は形を保てず、ただのそよ風になって消えていく。

 激しい目眩に襲われて、その場にしゃがみこんでしまった。


『坊っちゃんが暴走させた魔術で侍女が大怪我を負ったそうよ、恐ろしくてお世話なんてとても出来ないわ』


『何が史上最年少の最強騎士だ、その忌まわしい黒髪と魔力を使って上を脅して贔屓させただけに決まってる!』


『エトワール侯爵家が滅んだのも忌み子を引き取ったからだそうな。やはり、魔と人は相入れるべきではないのじゃろうて』


「ぐっ……!」


 普段の任務時ならば命がけの場である為気にならなかったが、日常の場所で使おうとしたせいだろうか。目まぐるしく甦る他者からの“言葉の呪い”に目眩がする。頭が痛い、吐きそうだ。


(倒れている、場合ではないだろう。動いてくれ……!)


 腕にも、足にも、上手く力が入らない。ガラス越しのスチュアート家の中では、子供達が不安げに狼狽えている姿も見える。あぁなんて、情けない。


 あんなにも思ってくれる大切な人たちの事は何も思い出せない癖に、心無い言葉の刃ばかり自分の中に蓄積させて、乗り越えることも出来ないで。


 ……せっかく人と違う強大な力があっても、肝心な時に使いこなせないのでは、護りたい女一人、救えない。


「何をうずくまって居るんです、立ちなさい!情けない!!!」


「ーっ!!?」


 鋭い一声と共に、激しい風が辺りを包んだ。視界を塞いでいた黒い靄が、数秒とかからずに晴れていく。


(風の、魔力……。一体誰が……?)


 踞ったままの視界の端に、月光のような煌めく銀髪が写り込んだかと思えば、片腕を掴まれ引っ張り上げられた。


「……っ、あんた、は……?」


「私の名前など気にしている場合ですか?しっかり立ちなさい!」


 鋭い叱責と共に思い切り背中を叩かれた。素手の筈なのに、訓練時よく教官に喰らったムチ打ち並みに痛い。


(なんて馬鹿力なんだこの男……!)


 だが、それが気付け代わりになったようだ。お陰でどうにか立ち上がることが出来るようになったので、改めて男に向き直る。

 

 辞書のような分厚い黒い本を脇に抱えた、中性的な若い男だ。だが、妙に威厳と……どこか、懐かしさを感じた。白衣を着ているから研究者だろうか。


「全く、様子を見に来て正解でしたね。まだ魔力を使いこなせて居ないとは……、まぁ、私も人の事は言えませんが。ですが、いつまでも過去に縛られたままでは困るんですよ!」


「ーっ!返せ!それは俺の大切な物だ!」


 隙を付かれて、手にしていたハンカチーフを奪われた。ヒラヒラとそれを揺らしながら、男が眼鏡を押し上げる。


「えぇ、知っていますとも。ですが、なぜ貴方はこれを大切にしているのでしょうね?」


「くっ……!」


 問われて、言葉に詰まった。そういえば、どうしてだっただろうか。


 お祖父様に生まれて初めて頂いた物だったから?唯一遺された形見の品だから。それもある。でも、もっと、もっと、大切な……。




『ねぇ、どうして泣いてるの?……そっか、じゃあわたしが直してあげる!』


 空色の地に映える可愛らしい花の刺繍を見た瞬間、一瞬耳を掠めた少女の声。でも、激しい頭痛に襲われてその声は一瞬で消えてしまう。


「わからない、思い出せない……、何も……!」


「……、はぁ、やはり駄目ですかね……」


「……っでも!」


「ーーっ!」


 ため息混じりに頭を振っていた男に短剣を突き付けた。眼鏡の向こうの瞳が、意外そうにパチパチと瞬く。


「それでも、返してくれ。それだけは、決して失えない物なんだ……!」


「……おやおや、これは失礼いたしました」


 刃を突き付けられているとは思えないほど穏やかに微笑んで、男がハンカチーフを手放す。ふわりと落下するそれを、受け止めた。


「それで?これからどうするおつもりです?」


「決まってるだろう、彼女を探しに行く」


「……何も覚えてない癖に?」


 意地悪く笑いながら挑発された。それに対して笑ってやった。


「……“思い出したい”から、行くんだろ。俺にはセレンが必要なんだ」


  手懸かりはない。でも、じっとなんてしていられない。大切だと感じたものは、全て奪われてきた人生だった。だけど、彼女は、彼女の笑顔だけは。


「……絶対、失いたくない」


 だから、早く行かなければ。取り返したハンカチーフを改めて強く握りしめた。


「やれやれ……、まだまだ若く、危なっかしいばかりですが」


 『まぁ、及第点ですかね』と、男が笑って抱えていた本に手をかける。

 何がしたいのか首を捻る自分の背後の窓が乱暴に開かれる音がした。


「ガイアさん、その人姉上をつけ回してた研究者の部下です!早く逃げて!!」


 開け放した窓から素足で庭に飛び出しながらソレイユが叫ぶのと、男が本を開くのは同時だった。


「それだけの覚悟があるのなら、きちんと向き合ってきなさい。この世で一番貴方を嫌っている相手と、ね」


 『誰のことだ』とは、声にならなかった。

 開かれた本から飛び出した魔力の渦に、抗う間もなく引きずり込まれる。


 真っ暗になる視界の中、パタリと本が閉じる音だけが、微かに聞こえたような気がした。


「それを乗り越えた時、貴方は本当の意味で自由になれる。……行ってきなさい、ガイアス」



    ~Ep.46 記憶の迷宮 [前編]~




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