#051 馬蔵と牛吉のとある一日
今回もよろしくお願い致します。
二人の侍が、門の軒下で雨やみを待っていた。
しかしここは朱雀大路の南端ではなく、相模は小田原城の、大手門から本丸に至る経路の途上に建つ瓦葺きの門である。
二人の侍も、主人に暇を出された訳ではない。門の左右に立ち、不審者が出入りせぬよう警備する事が、彼らの役目である。
「なかなか止まねえな、馬蔵。」
両目の間隔が空いた、どこか牛を思わせる顔立ちの侍が、正面を向いたまま隣の同僚に言った。
「今日はそいつを十遍は聞いたぜ、牛吉。」
呼びかけられた同僚――面長の、どこか馬を思わせる顔立ちの侍が、やはり正面を向いたまま返した。
「足軽長屋の雨漏りは直ったかのう。」
「気にすんな。俺達にはもう関わりのねえ話だ。」
どこか垢抜けない雰囲気の牛吉と、若干粗野な印象を見た者に与える馬蔵。
二人が城内の警備という役目を与えられたのは、数年前の事だ。
馬蔵は元々侍ではなく、足軽だった。より正確に言えば、武家の出身でありながら足軽衆の一員だった。
かつての主家の没落に巻き込まれて実家が窮乏し、日銭を稼ぐために北条の足軽衆に身を投じた彼は、幼少期から受けてきた教育と足軽衆での生活とのあまりの違いに苦しむ日々を送った。
武士のように立派な武具を揃えられない足軽は、数を揃えて、呼吸を合わせなければ戦で生き残れない。そんな中にあって、乱取りや乱暴狼藉に消極的な馬蔵は爪弾きにされ、足軽長屋では常に孤立していた。
状況に変化をもたらしたのは、同じ組に配属された百姓出の新入り、牛吉だった。
生まれつきの怪力で喧嘩に負けた事は無かったものの、あまりの不器用さに農作業の妨げとなり、穀潰し呼ばわりされて村を追い出された彼と、馬蔵は何かと二人一組で扱われるようになった。当人達も、元は武士、元は農民と正反対の出自でありながら不思議と反りが合い、盟友と言って差し支えない間柄になっていった。
二人の運が開けたのは数年前、山裾の寺院を中心に北条軍が陣を構えていた折。今日と同様に強い雨が降りしきる日の事だった。
物見(偵察)を命ぜられた組頭が志願者を募った所、濡れる事を嫌った同僚達に半ば追い出されるように寺を出た二人は、山道の途中で休息を取る敵方の小荷駄隊と、それを護送する小荷駄奉行――即ち、大将格の武士を発見したのだ。
急いで報告に戻ろうとする馬蔵を引き留めて、牛吉は言った。
この辺りは土地勘がある。上手く立ち回れば、小荷駄奉行の背後に回って首を取れる――と。
一瞬迷った後、馬蔵は牛吉の提案に乗った。空きっ腹を抱えながら眠れぬ夜を過ごす日々に、ほとほと嫌気が差していた事が大きかった。
足音をかき消す豪雨も手伝って、奇襲は予想以上に上手くいった。小荷駄奉行が一人木陰で雨宿りしている所に、草木に紛れながら背後から接近。牛吉が背後から引き倒して取り押さえ、口を塞いでいる間に、馬蔵が刀を抜き、首を取った。
首を布にくるんで抱きかかえ、味方の陣に戻るまで、馬蔵は生きた心地がしなかった。今にも護送の兵が小荷駄奉行の死に気付き、追ってくるのではないかと気が気でなかった。
寺に戻った二人は組頭に報告――する事無く、本陣が置かれた一室に駆け込んだ。不敬を咎められる恐れよりも、同じ組の連中に手柄を横取りされる心配が先に立ったからだ。
なんとか総大将への目通りを許された二人は、そこで討ち取った首を披露した。幸い列席者の中に顔見知りの者がいたため、首実検はあっさり完了したが、馬蔵と牛吉への評価は厳しかった。
曰く、背後から名乗りを上げずに首を取るなど、士道に反するのではないか――。
必死で上げた戦功が無に帰すのかと二人が青ざめた、その時。上座の床几に腰掛けていた総大将が、扇子で膝を打った。
「詰まらねぇ事ぬかしてんじゃねえ!足軽がたった二人で知恵を巡らせて、大将首を討ち取ったってえのに、喜ばねえ道理がどこにある!それとも何か、俺が戦場で斬りかかられてる時も、てめえらはそいつに一声かけてから刀を抜くってのか。向こうは小荷駄奉行がくたばってガタガタだ、寝言をこいてるヒマがあったら、攻めかかれ!」
総大将の一喝に震え上がった直臣達は、各々の手勢に触れを出すべく、我先に部屋を飛び出していった。
「おめえら、名は。」
「あ、足軽衆三番組の馬蔵と申します!」
「同じく、牛吉にごぜえます!」
総大将の下問に慌てて名乗る。
「おめえら大したもんだぜ。近年稀に見る大手柄だ。褒美は後ほどくれてやる。俺が戻るまで湯漬けでも食って待ってろ。別室には小姓に案内させる。」
そう言い残して総大将――北条氏康は部屋を出て行った。
小姓に案内された別室で待つことしばし、運ばれて来た熱々の湯漬けを腹に収めると、馬蔵と牛吉はあっという間に眠りに落ちた。
小姓に叩き起こされた時には一刻(2時間)あまりが経っており、戦は北条の勝利で幕を閉じていた。
やがて再び氏康と謁見した時、二人は揃って褒美を願い出た。どうか自分達を士分に取り立てて欲しい、と。
氏康は少し悩む素振りを見せた後、小田原城の警護という小身の役目を与える事を約束してくれた。
以来、足軽衆にいた頃とは何かと勝手の違う生活に難儀しながらも、馬蔵と牛吉は北条の禄を食む日々を送っている。
「そういや牛吉。俺は家名再興ってお題目があったから大殿に士分取り立てを願い出たんだけどよ。お前は何でだっけか。」
降りしきる雨に、自身の転機となった日の事を思い返していた馬蔵は、ふと浮かび上がった疑問を投げかけた。農民出身の牛吉には、金品をもらえるだけもらって足軽衆を辞し、故郷に帰るという選択肢もあるにはあったからだ。
「…村を出る時に、懸想しとった女子に言っただ。おら、じゃねえ、拙者が手柄を立てて侍になったら嫁に来てくれ、って。」
「そりゃあ大したもんだ。祝言はいつだ?もう挙げたのか?」
初めて聞いた話に首を傾げながら馬蔵が聞くと、牛吉は大きく息を吸い、深々とため息をついた。
「…今のお役目をいただいてひと月ばかり経った頃、いっぺん里帰りしただ。…とっくに庄屋の息子のとこに嫁いどった…。」
「ぷっ、はっはっはっはっはっ。」
「笑い事でねえ。」
牛吉の憮然とした表情をよそにひとしきり笑うと、馬蔵は目尻に溜まった涙を拭った。
「まあ、そいつらは見る目が無かったってこった。おめえは見かけによらず気が利くんだ、もっと良い嫁さんが見つかるさ。」
「そうかのう。」
「そうだとも。」
一旦会話が途切れ、周囲を再び雨音が支配する。
次に口を開いたのは牛吉だった。
「今日は姫様達はおいでにならねえかのう。」
「この雨の勢いじゃ、難しいだろうな。」
二人の間で「姫様」と言えばまず思い浮かぶのは、北条家現当主の四女、結姫の事だった。
およそ一年前、大殿の長男がこの世を去った直後から、彼女は毎日のように侍女を引き連れ、城内を歩き回るようになった。馬蔵と牛吉が受け持つ門の立地上、奥の間を出て大手門へ向かう姿と、大手門から戻ってくる姿を見るのは最早日課同然だ。
足腰を鍛えるため、と人づてに聞いたが、姫様は最初の頃、帰り道に侍女の背を借りており、早晩投げ出すものと馬蔵は踏んでいた。
しかし予想に反して姫様の「散歩」は続いた。
日を追うごとに侍女の背を借りる姿は見られなくなり、大手門から戻ってくるまでにかかる時間も短くなっていった。最近は彼女に「今日もお務め、ご苦労様です。」と声をかけてもらう事が楽しみになっている。
「健気で賢いお方だよなあ。牛吉、おめえも嫁にもらうならああいう女性をもらうんだぜ。」
「いやあ、おら、じゃねえ、拙者は、しっかり飯を食う女子がええなあ。姫様の側付きにおる、でっけえのみてえな女子が好みだあ。」
「…考え直した方が良いと思うぜ。俸禄が夫婦の飯代に消えちまったら、洒落にならねえ。」
揃って図体の大きい男女が、山盛りの米びつをあっという間に空にする様子を思い描いて、馬蔵は密かに身を震わせた。
また沈黙。
「雨、止まねえなあ。」
牛吉の言葉に、今度という今度は何も返さず、馬蔵は黙って門の脇に立ち続けていた。
健気で賢い姫様は、もうすぐ箱根峠の向こうに行ってしまう、そんな変えようのない現実に思いを馳せながら。
お読みいただきありがとうございました。




