#049 知らない事と、知っていると思っていた事
今回もよろしくお願い致します。
お梅に母上の昔話を聞かせてもらって以降、私は父上の呼び出しに怯えながら、午前中は「お勉強」、午後は護身術の稽古と、忙しい毎日を送っていた。
なぜ父上の呼び出しを警戒するかと言えば、珠算がちょおっと上手く出来ただけで調子ぶっこいて迂闊な事を口走った末娘に、父上がキレ散らかすのではないかと思ったからだ。
幸い今日に至るまでそのような事態は発生していない。その場で勘定方の家臣がビシッと注意したから、という可能性もないではないが、大手門を頻繫に兵が出入りしている所を見るに、戦が忙しくて私に構っている暇がない、というのが本音だろう。
「そう言えば、北条の兵は畑仕事の心配をしなくても良いのかしら。」
私がふと呟くと、向かいの下座で短刀の手入れをしていた百ちゃんが、キョトンとした表情でこちらを見た。
今日は日課のウォーキングと素振りはお休みだ。何せ昼頃から雨が振り出し、全く止む気配を見せない。一緒に稽古をする予定だった侍女達は詰所に引っ込み、部屋にいるのは私と百ちゃんだけだ。
百ちゃんがこの機に短刀の手入れについても教えてくれるとの事で、私が稽古で使っている短刀を例に一通り解説してもらった所だ。
刀は柔らかい物に斬りつければ綺麗に斬れるが、ちょっと硬い物――鎧やら人間の骨やら――にぶつかるとすぐ欠けてしまう。いざという時に使えるようにしておかなければならない――という事で、手入れが必要になる訳だ。
と言っても、一から十まで私が手入れをする訳ではない。
何しろ私は、刀が単一のパーツで構成されているかのようなイメージでいたのだが、実際には鞘と抜き身、さらに刀身と束を組み合わせるために幾つもの部品があり…つまるところ覚え切れなかった。
最低限覚えるよう言われたのは、刀身に欠けている部分が無いかのチェックだ。あとの細かい調整は百ちゃんがやってくれる。
ただ、百ちゃんが休みの時や所用で不在の場合に備えて、ゆくゆくは側付きの中から手先が器用な人を見繕って、武具の手入れ技能を身に着けてもらわないといけないかも知れない。
それはさておき。
「畑仕事の心配、とは…恐れながら、何故にございましょう。」
むき出しになった刀身をそっと床に置きながら、百ちゃんが聞き返した。
どうも質問の意図が伝わっていないようだが、百ちゃんならばっちり回答を返してくれるだろう。
「百姓は普段畑仕事をして、手の空いた頃に足軽として戦に出るものよね?北条が春先でも刈り入れ時でも兵を出しているものだから、百姓が田畑の面倒を見られないのではないかと気になってしまって。」
さすがの私もこれは知っている。兵農未分離、という状態だ。農村から安く兵力を調達する事は出来るが、軍を動かせるのは農閑期に限定されてしまう。
そこで織田信長は専業兵士と農民を完全に分け、大軍を常に動かせる体制を構築。信長、そしてその跡を継いだ秀吉は、農業のスケジュールを気にする事無く戦が出来るようになった。
これが兵農分離――のはずなんだけど、よくよく思い返してみると北条も田植えを始める春先とか、稲刈りをする秋とかにも兵を出しているのを見た事がある。
やっぱりあれか。パラレル戦国時代のチート戦国大名だから、もう兵農分離を成功させちゃっているのか。
だとしたら凄いな、北条。検地に兵農分離とか、信長や秀吉の良い所全部取りじゃん。
「姫様、どなたからそのようなお話を?」
「えっ、ええと、珠算の講義を受けていた折に、勘定方の…名前は忘れてしまったけれど、どなたかが仰っていたわ。」
百ちゃんの追求に、架空の人物をでっち上げて身代わりにする。
すると百ちゃんは眉間にシワを寄せ、首を傾げた。
「それは奇妙にございますね。初代早雲様の折より、当家は春夏秋冬の別なく兵を催していたと伺っておりますが…。」
ああーはいはいなるほどね。
完全に理解した。
私の歴史知識が全否定されるパターンだ、これ。
お読みいただきありがとうございました。




