(第三話) 覚悟の高館
桜が乱れる春の平泉は、泰衡の裏切りにより壮絶な戦場と化しているようであった。
ここに、当代随一の英雄である義経は、危急存亡のときを迎え、はるか遠い奥羽の地で、まさかの最後の場所を迎えようとしていた。
判官義経の居舘である高舘では、怒涛の如く荒武者が入り乱れて、その場は騒然としている。その様子は絵巻物のような凄まじさが浮き出てくる雰囲気を作り上げていたのである。
そして、攻めよせる泰衡の手勢を、その眼差しで睨みつける弁慶は、舞を終えると敵が怯むような怒りに満ちた大きな声で叫んだのである。
「東の方の奴等に、お手並みの程を見せてくれようぞ。貴様らを、死出の旅路に道連れにしてくれるわ!」
そう言って大長刀を振るい、群がる敵に、最後の獅子奮迅の見せ場を作ろうとしていた。
その横に構えるは、鈴木三郎と亀井六郎の兄弟である。両名は太刀を冑の真っ向に構えて、弁慶共々の三名が、轡をならべて敵方に覚悟を決めて突進してゆくことになる。
弁慶らの攻撃は凄まじく、一瞬、敵勢はさっと散って、寄せ手がその猛攻に臆して退いたのである。
ここ一番、真剣なる弁慶は、血相を変え大長刀をこれでもかと振り回している。その他の郎党も死に物狂いで、並みいる敵に反撃している有様であった。
「ええい、義経様には、一太刀も触れさせぬわ!」
郎党たちは、少数でありながら、必死に最後の抵抗を試みていた。
鈴木三郎は、腕を切られて反撃が苦しくなるところを、弟の亀井六郎が必死で防戦し、危うい兄をその危機から救っていた。
その時、数本の射られた矢が、弁慶の身体を射ぬくと、その巨大な身体は鬼のように赤く硬直して立っていた。
「うおおっ!」
怒声を浴びせながら、大長刀を振りまわすその姿はまさに鬼神である。獅子奮迅の弁慶は矢傷を数本のこと受けても、がむしゃらに防戦を試みている状態であった。
その他の連中も傷を負いながら、必死で抵抗している。義経の屋敷は、敵方のおびただしい死体で埋め尽くされていく。
そうしているうちに、喜三太が矢を受けて深手を負い、屋根の上から転げ落ちたのである。
打ち取られそうになるところを、鷲尾三郎に助けられ、屋敷の奥につれて行かれた。
「すまぬ…」
喜三太は、そう言うと気を失いかけた。
そんななか義経も、途中まで反撃を試みていたが、「もはやこれまで」と覚悟を決めたかと思うと、姿をその場から消し去り、運命の持仏堂なる場所へ向かっていった。
そして、義経は持仏堂に入ると、静かに般若心経を唱えだした。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色……」
まさに義経は、その身に危険の迫る中、哀愁に満ちた生涯の幕を閉じるべく、自害の覚悟を決めている瞬間であった。
(もはや、これまで!)
(この義経も、最後を迎える時が迫っている)
(無念なり!)
思い起こせば、鞍馬に預けられた時より平家を滅ぼした時まで、そしてこの平泉までの逃避行の連続のこと。その記憶の中にある思い出の情景が走馬灯のように思いだされてくる。
悲壮感にくれる義経は覚悟を決めると、増尾十郎兼房を持仏堂に呼んだ。
「十郎、そちに介錯を任せる。義経の首、決して泰衡には渡すな!」
扉を閉めると、従えてきた増尾十郎に、介錯を一存しようとしていた。
「殿、御労しや。この十郎が介錯をすることになるとは、あまりにも無念でございます…」
十郎は涙を流して、義経の側に寄ってきて、その老齢の瞼からは流れる光るものが見えたのである。
「十郎、うぬには、苦労をかけた…」
「わしが北の方をめとった時より、その身の周りの世話、それと、この義経に対する奉公…」
「決して、忘れることはない!」
義経と増尾十郎兼房の出会いは、義経の都落ちに北の方と共に付き従った時からはじまる。
兼房は源義経の北の方(正室)である久我大臣の姫の守り役で、元は久我大臣に仕えた六十三歳の武士である。
義経は涙ぐみながら、しわの増えた老齢を感じさせる兼房の手をとる。
「かたじけなく存じます…」
「この十郎、悔しくて堪りませぬ!」
義経と兼房の最後の会話が、涙を誘うように物語っている。
「殿!」
十郎は、義経を強く抱きしめると、天井を見つめて泣いている。
「もうよい、十郎。覚悟は決まっておる!」
悲しみに満ちた瞳が、生涯の英雄なる風格を醸し出していた。
「さらばだ、十郎!」
義経は小刀を抜き、北の方と四歳になる娘を殺めようとした。僅かながらの抵抗は試みたが、あまりにも屈辱的なる仕打ちは、義経の最後としては悲しい限りである。
北の方は、武蔵国の豪族である河越重頼の娘である。その母は源頼朝の乳母である比企尼の次女(河越尼)といわれる。
源義経の正室。頼朝の命により義経に嫁ぎ、頼朝と義経が対立したのちも義経の逃避行に従い、最期を共にした女性とされる。
義経は悲しい決断に、身も心も夜叉のようになっていた。
あえて、持仏堂での自害を決めたのは、家族を敵の手にはかけたくないと思う義経の心なる想いが伝わってくる。
「死んで、あの世で再び、家族として会おうぞ!」
「父上、もうお終いなのですか?」
涙ぐむ四歳の亀鶴姫の涙は、義経の心の情に悲しき運命を投げかけている。
「一想いに殺して下さいまし…」
妻の郷が、義経にしがみつくように哀願した。
「このような、不憫な想いをさせる私を許してくれ!」
源平合戦の英雄、義経は覚悟を決め、己の短い生涯を終えようとしている。
意を決し、突き刺そうとしたその瞬間である。
「御待ちを!」
事態を急変させる出来事が、英雄の義経の運命を変えようとしていた。天はこの時、まさに非業の死を遂げようとしている義経に、起死回生の再起なる出来事を演出しようとしていた。




