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天国の嘘・ゼロ 深流の仮面  作者: やまざかたかす
エピローグ

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エピローグ 地獄の救済


 熱い。


 目を開けると、そこは果てしなく続く灼熱の暗闇だった。

 足元からはドロドロとした溶岩のような炎が這い回り、吹き荒れる熱風が、肉体を持たないはずの魂の皮膚を容赦なく焼き焦がしていく。見えない無数の亡者たちの、呪詛と怨嗟の声が地鳴りのように響き渡り、空間全体が激しく震えていた。ここがどこなのか、理解するのに時間はかからなかった。


 地獄。


 何億という人間を欺き、特権階級の豚どもを業火で焼き尽くし、世界を丸ごと破滅へと導いた最悪の大罪人、柿枝悠一にふさわしい、永遠の罰と拷問の場所。


『――よくぞ己の覇道を貫き、我がもとへ辿り着いた』


 ふと、背後の深淵から、すべてを拒絶するような冷徹な『闇』の声が響いた。世界の終わりを司るシステムそのものの声のようだった。


 悠一は、向き直ることもせず、ただ静かに目を閉じ、これから我が身に降り注ぐであろう永遠の業火の罰を受け入れようとした。後悔はなかった。あの豚どもを道連れにし、自分のプログラムをすべて実行し終えたのだから、どのような地獄の責め苦であっても甘んじて受ける覚悟だった。


 その時だった。


 悠一の目の前を覆っていた、赤黒く燃え盛る巨大な炎の壁が、まるで意志を持っているかのようにスッと左右に割れた。肌を刺すような熱風がピタリと止み、地鳴りのような怨嗟の声も遠のいていく。そこだけがぽっかりと、奇跡のような静寂と穏やかな光に包まれた空間に、一人の男が立っていた。


「えっ」


 悠一は、自分の目を疑った。魂の記憶の網膜が、激しく揺れ動く。

 灼熱の暗闇の真ん中に立っていたのは、二十年前、政治の泥沼から悠一を、そして兄の才能を守るために、自らすべての罪を被って命を絶った、愛する弟――改二の姿だった。


「改二……!」


 悠一の震える声に気づいた弟が、ゆっくりと顔を上げた。

 その顔には、死の直前のあの苦しみも、血塗られた政治への絶望も、何一つ無かった。かつて古びた研究室の昼下がり、悠一に向けて見せてくれていたような、優しくて、少しだけ不器用な、あの懐かしい笑顔がそのまま浮かんでいた。


「兄さん……どうして来ちゃったんだよ……」


 改二は、驚愕のあまり立ち尽くす悠一の方へ向けて、ゆっくりと歩み寄ってきた。そして、ひび割れも汚れもない美しい両手で、悠一の魂の手を優しく、包み込むように握りしめた。その掌からは、現実世界では二度と触れることのできなかった、あの暖かな生命の温もりが、確かに伝わってきた。


「兄さん。僕は、復讐なんて望んでいなかったんだよ。ただ、兄さんに大好きな研究をずっと続けて欲しかった。純粋に、みんなの為になるような新しいものを、その素晴らしい指先で生み出して欲しかったんだ。……僕はただ、兄さんに、幸せになって欲しかった」


 弟の口から紡がれる、どこまでも澄み切った、光の世界の言葉。

 その響きを聞いた瞬間、悠一は息を呑み、胸の奥底が激しく引き裂かれるような衝撃に襲われた。


――なんということだ。私はこの弟の無念を晴らすためだけに、人間としての心を捨て、世界を丸ごと巻き込む屠殺場を作り上げ、地獄の業火で世界を焼き尽くしてしまった。だが、弟が本当に望んでいたのは、そんな凄惨な復讐劇などでは断じてなかった。私が一人の純粋な科学者として、何の呪いも背負わずに、ただ幸せに生きることだけだったのだ。私の二十年間の歩みは、弟にとっては、悲しみの雨を降らせるだけの、望まぬ血塗られた大罪でしかなかったのだ。


「私は……私はお前のために、こんな、取り返しのつかないバグを……」


 絶望と自責の念に打ちひしがれ、膝をついて崩れ落ちそうになる悠一の体を、改二は柔らかな両腕で、力強く、優しく抱きしめた。


「でも……でもね、兄さん。またこうして会えて、本当に嬉しいんだ。どんな形であれ、どんな場所であれ……また兄さんと一緒にいられるなら、僕にとっては……」


 改二は、周囲で燃え盛る地獄の業火に照らされながらも、涙を浮かべて、本当に幸せそうに笑った。


「まるで、ここが天国だよ!」


 その言葉が、悠一の二十年間の孤独に閉ざされていた魂の全領域を、目をあけていられないほどのまばゆい光で満たしていった。


 悠一は己の愚かさと罪の深さに涙を流しながらも、それでもこの胸の中にある至福の温もりを二度と手放すまいと、弟の体をきつく、きつく抱きしめ返した。世界を滅ぼしたゲームマスターは、地獄の底で弟の腕に抱かれながら、子どものように声を上げて泣き続けた。


 吹き荒れる業火に包まれた灼熱の深淵で、二人の亡霊の時間はようやく一つに重なり合い、本当の、永遠の救済を迎えたのだった。


(了)


お読み頂きありがとうございました。評価、ご感想を頂けましたら幸いです。

ぜひ本編『天国の嘘』もよろしくお願いします。

また、佐伯美桜視点のスピンオフ『天国の嘘 ~桜の花筏~』を公開します!


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