やっぱり狙われる女
「ちっ、ついてねぇな」
後ろ手に扉を閉めながら悪態交じりに顔をしかめる。
「どうしたの?」
おとなしく表の通りでサイドカーに収まっているラシルが見かねて口を開いた。さすがにここまで露骨に不機嫌になられては、理由の一つも聞いてやらなければ、とでも思ったのかもしれない。
「コンボイが通った後だってんだよ。タイミング悪いったらねぇな」
「そうなんですか」
この砂漠と荒れ地が大半を占める世界で都市間の物資輸送をする手段というのは限られている。鉄道が敷かれて人も物資も安全かつ高速での移動が可能になってはいる場所もあるにはあるが、そんなものはごくごく限られた一部地域だけの話だ。
いまだに物資の輸送の主役は個人による配達業と『コンボイ』と呼ばれる大規模輸送陸船団だ。とりわけ、大量の物資を比較的安全に運ぶ手段としては、少々値が張るものの定期的に街を回る護衛付きのコンボイというのが常識だ。個人の宅配に頼むのはよほど急ぎか安くあげたいかというわけだ。
「くそっ、たった二日の差でコンボイが来てやがるとは、予想外だった」
定期ルートは頭に入っている。さすがにコンボイを相手に競争をしたって値段以外のありとあらゆる面で勝ち目はない。いくらリバーが安全性に自信を持っているとはいえ、世間の認識というのはあくまでも「個人」対「コンボイ」だ。よほどの得意先でもない限り、この常識は覆せない。
「コンボイって、そんな不定期なもの何ですか?」
「いや、普通は決まったルートを定期的に回るだけで、ほとんど例外はないはずなんだ。それが今回に限って、この街の世界樹管理をしてる偉いさんがどうしてもって呼びこんだんだとよ。ったく、余計なことしやがって。今日はあきらめなきゃ仕方ねぇか」
職人たちの多いこの街ではそれぞれの商工会が順当に世界樹の利益にあずかれるようにと、各商会の代表が世界樹の管理を任されているらしい。しかし、それでも抜け駆けをしようとする輩が後を絶たなかったため、当時最も有力でどの商会ともつながりのなかった没落貴族が世襲でそれぞれの代表に対しての権限を有するようになり、相互管理という形で利潤の独占を防ぎ、今でもその形が踏襲されているということだ。
「けど、今では実質の最高権力者は世襲でその権力を引き継いでいく貴族様ってことになっちまったんだけどな。それでもこの街が正常に機能しているのは貴族様の、アヴァルタってのが今の当主らしいんだけどな、そこの健全な管理のおかげなんだとさ」
さすがにもう空には二つの月が真っ白に輝いており、先ほどまで微かに紫色をしていた西の空も黒一色に染め抜かれていた。いくら得意先でもこの時間から回るわけにはいかず、聞きかじってきたばかりの話をラシルに聞かせながら宿へと足を向けた。
興味深そうにラシルが頷く。
「本当に、街が違えば世界樹の管理方法も全く違うんですね」
「ああ。中にはいまだに利益を争って街が戦争まがいの抗争をやってるとこもあるらしいからな。それでも、俺は荷物さえ見つかれば何でもいいんだけどな」
「荷物、見つかるといいですね」
「死活問題だからな。ああ、あとそれと、別に「です」とか「ます」とかつけなくてもいいぞ。なんかそういう喋り方って息が詰まるだろ?」
「え、でも」
「無理強いするつもりはないけどな、肩ひじ張ってても疲れるだけだからな。俺にとっちゃあんたはただの荷物だ」
からかうように笑いながらバイクのエンジンをかけ、ゆっくりと通りに滑り出す。
しかし、とラシルは思う。なぜこの男はこうも抵抗なく自分を受け入れるのだろうか。依頼したのは確かに自分だが、それもただの配達屋として受けてくれたものと思っていた。なのに、先ほどのような態度をとったかと思えば食事も自分の分を用意してくれる。
「あの」
「んあ?」
世界樹の街らしく、通り沿いに街灯のある街並みをのんびりと駆け抜けながらリバーが少し間の抜けたような返事をする。
これも不思議な話だが、賞金首に相対した時にうすら寒くなるような恐ろしさを垣間見せるかと思えば、こうした力の限り油断しきった表情も見せる。
「どうして、私にこんな風にしてくれるんですか?」
「こんな風に、とは?」
相変わらずスピードを落とすでもなく、ぼんやりと運転しながらリバーが首をかしげている。さも、自分が特別なことはしていないとでも言うかのような風だ。
「確かに、どこかに連れて行ってくれるように頼みましたし、利害関係もあるとは思うんですけど」
「ほらー!」
アクセルと握っている右手を離してまで指さしたものだから、ゆっくりとした減速Gが体をすりぬけてゆく。
「言っただろ、ですはいらない、って」
鼻の頭にしわを寄せて、独特の表情を作る。たぶん笑っているのだろうが、お世辞にも上手な笑顔とはいえない。
「えと…利害関係とかもあるとは思う、けど」
うっかり「思います」と言いかけたところを少々強引に修正すると満足そうに頷いてリバーは再び運転に戻る。
「どうして親切にしてくれるのかとか、今みたいに気さくに接してくれるのかとか、私にはわからないことばかりで」
「理由なんかないんじゃないか?」
即答だった。
きょとんとするラシルをしり目に、リバーはぼんやりと前を見ながら続ける。
「そりゃさ、利害関係もあれ、とりあえず隣にいる。それじゃ、だめか?」
ああ、そうなのか。うまくは言えないが、ラシルの感じたのはそれだった。
きっとこの男にはこれ以上の理屈はないのだろう。そもそも、理屈ですらないのかもしれない。
手の届くものにただ手を伸ばす。そうすることに理由が必要かと問われて、ときには理由があってさえ手を差し出せせない人間ばかりがとかく幅を利かせる世界に生きていることは痛いほどに感じていた。自分がそうでないかと問われれば答えに困るだろう。理想と現実の格差に、へこんでしまうかもしれない。
それがこの男にとっては当たり前なのだろう。
「変な人」
「今日二回目だな」
「何度でも言うよ」
「あははは、その調子だ」
残念なのは、笑うのがへたくそなこと。これでもっといい笑顔を作れたなら、きっと、いや、言うまい。そう思ってラシルも、決して人のことは言えないへたくそな笑みを浮かべる。
「笑うのへたくそだな」
「もう」
振り上げた左手が少しだけ握られていた。
わざと蛇行させてサイドカーを揺らされたせいでバランスを崩してしまって不発に終わったが、次に同じことを言われたら絶対にグーで仕返しをしてやろう。そう思うとなぜか、次が楽しみになってしまう自分がいて、そのことにまたラシルは可笑しくなってしまう。
二つのへたくそな笑顔を乗せたサイドカーが夜の帳の中を実に楽しげにテールライトを光らせている。
「なんで…なんで、生きてるんだ!?」
月を背負ったリバーの姿は男にはきっとシルエットにしか見えていないだろう。それでもそれがリバーだとわかったのは特徴的な逆立てた髪と、人間らしい凹凸をすっぽりかくしてしまっている、夜と同じ色の外套があったからだ。
そうでなければ絶対にリバーであるとはわからなかった。いや、間違ってもそう思うはずはなかった。
だってそうだ、今さっき、ほんの数分前に間違いなく、
「殺したのに!」
リバーの顔に亀裂が入る。三日月形の裂け目というほうが似つかわしいほどにゆがめられた口が不思議なほどにシルエットの中に映えた。
「返してもらうぞ、そりゃおれの荷物だ」
真夜中の通りはさすがにもう街灯も消され、月明かり以外にシルエットを切り取るものはない。
そんなモノトーンな街並みの真ん中で男の脇に抱えられ、猿轡をされながらむーむー唸っているラシルを指さして、リバーが笑う。
いつものような不器用な笑みではない。どこまでも壮絶で凄惨で、見る者の恐怖心を掻き立てずにはいられない、笑み。
恐ろしいまでに美しい、氷の笑み。
「あと、死んでけ」
今回は予算の都合と先々を見越した緊縮財政との兼ね合いで宿のランクを落とさざるを得なかった。というよりも、食事のランクを落とすことを拒んだ結果、予算がある以上は宿代が占める割合は当然下がる、というだけだ。
それでもリバーにしては奮発したほうだ。なにせベッドにかけられたシーツはきちんと洗濯してアイロンが掛けてあったし、ドアには鍵もかかる。理由はただ一つ。
「ベッド、私が使っても?」
備え付けのシャワーを先に使ったラシルが湯上りの髪を乾かしながら、ベッドとソファの間に突っ立っている。ここで、なんとも中途半端な言葉になってしまうのは、さすがに遠慮から「いいんですか?」と続けてしまいそうになったからなのだが、涙ぐましい努力が何ともラシルらしい。
「ああ、どうやったって俺の予算じゃベッド二つの部屋は借りられないし二部屋なんてもってのほか、かといってこれ以上にランクを落とすとそれもまたまずい」
というのも、ここ以下となるとさすがに女連れで止まるには不都合が生じるクラスになってしまうからだ。不潔であったり物騒であったり、最悪の場合は個室ではなかったりする。自分一人なら躊躇うことはないのだが、というのがリバーの判断だった。
「じゃあ、私がソファに」
「ああ、俺はどこでも寝られるから、気にすんな。それより、明日は朝一から知り合いの職人のとこに行ってみる。そこならもしかしたら仕事があるかもしれん」
そう言って手入のためにずらしていた拳銃のシリンダーを戻し、木製のテーブルの上に無造作に置く。ゴトリという金属音が大きさの割に重量感を感じさせる。
「そうなればあんたを送ってやれるのもこの街までだ。しっかり寝て体力つけとかないと、次の移動手段探すにしてもきついぞ」
そう言われてラシルの表情が急速にこわばる。
「ん? どした?」
「いえ…そういえばそうだったな、と思って」
忘れていたわけではないのだが、あまりにもこの三日ほどの旅が心地よかったのだとラシルは改めて気付く。もちろん、本来の目的を見失ったわけでもないのだが、たった三日という時間が与えたものにしては深く自分を動かしているように思えた。
「さすがにそろそろ俺も仕事しなきゃやばいしな。料金はふんだくり損ねたけど、そのうち返してくれりゃいいってことにしとくわ」
ただ、実を語れば同じことをリバーも感じていいる。
最初こそ料金の話も本気で徴収するつもりだったし、サッサと次の荷物を探し出して本来の仕事に戻ることを考えていた。それが今ではどうだ、ラシルとのとぼけたようなやり取りもさることながら、隣に誰かがいる旅に安堵を覚え始めてさえいる。それが絶対に許されない旅であることは自分が一番よく知っているはずなのに、その思いが言葉を選ばせた。
「ま、そこじゃなくても荷物は見つかるさ。安心して寝てくれ」
ラシルがどんな顔をしているのかは見ないようにした。
見ればなにがしかのラシルの感情がそこにはあるかもしれない。そうなれば、自分は次にひねり出す言葉を選べないかもしれない。
何故自分が一人の旅を選んでいるのか、独りで居続けなければならないのか、それを自分自身に言い聞かせるようにリバーは乱暴にソファに横になり、安物の割にはきちんと日に干してあるらしい毛布を頭からかぶる。
毛布を通して見えていたランプの明かりが消え、どうやらベッドにもぐりこんでいるらしいシーツのすれる音がくぐもって聞こえる。
さすがにたったの三日ほどとはいえシュラフで寝てばかりだった体にはソファでさえ寝心地が良く、じっと闇に耳を澄ましているうちに意識が徐々にとろけるように薄れていくのがわかった。本当はシャワーを浴びてから眠りたかったが、今更ここを出る気にもなれないし、何よりラシルが眠っていれば起こしてしまうかもしれない。
そう考えた時にはもう半ば以上意識は途切れ始めていた。
外はまだ微かに喧騒を残していたが、それでも夜の声が聞こえる程度にはしっかり夜になっているようだ。そう思ったのが最後の思考だった。
嫌な汗に目が覚めたのは、もう外の喧騒も遠いものになって虫の声しか聞こえなくなった時間だった。時計を見れば正確な時間はわかったのだが、そんなことをしなくても深夜であることが分かれば十分だった。
結局あのあとは毛布の中で悶々と考え事をしているうちに眠ってしまったらしい。
ずいぶん長い時間を物思いに使った記憶があるから、もしかしたらほとんど眠れなかったのかもしれない。それにしては妙に思考もすっきりとしているのが不思議だった。
次の積荷が見つかるまででいい。そういったのは確かに自分だ。そのつもりだったしそれ以上の何かなど期待もしていなかったしそもそも考えてもいなかった。今までもそうしてきたし、旅が終わるまではこれからもずっとそれを続けるものだと思っていた。
何のことはない、繰り返しの中の一小節でしかないはずだ。それが、何故こんなにもそのことを考えるのかが、ラシルにはわからなかった。
枕に顔を押し付けるようんしひて、ラシルがつぶやく。
「荷物が、見つかってほしくないって、考えてる…?」
言葉にしてようやくそれを見つけた、とでも言うようにラシルは枕に押し付けた目を見開き、頭の中で何度もその中身を反芻する。もちろん、それが願うべくもないことだというのはわかってもいるし、そもそも何故それを願うのかはわからない。なのに、それだけは明確な形を得ている。
あとは積み木が崩れるよりも簡単に思いが姿を手に入れてゆく。
と、その思考が寸断される。
それまで少しながら窓から吹き込んでいた風がやんだ。気温が下がった、
どちらも感覚的なもので実際は風も流れているし気温は昼間の温度を残しているかのようなぬるさに変わりはない。なのに、それをそう感じさせる、いやな感覚。
音はないのに、存在だけが確実にそこにあるのが感じられる。
「リバーさん!」
毛布を跳ね飛ばして体を起こし、声をかけたのは危機を伝えようとしたのか助けを求めようとしたのか、どちらかはわからない。ただ、そのどちらもかなわないとわかった瞬間の絶望は、ラシルの意識を殺すに十分なものった。
ソファで毛布をかぶって眠るリバー。
すぐそばに立つ男の姿は影になってしまうが、それでも何をしようとしているのかがわかった。
サイレンサーをつけた銃口がプシュッという間抜けな音を続けて二発。間をあけて二発。
そのたびに糸をつけて引っ張っているように、いびつな形で痙攣するリバーの体。
悲鳴を上げることもできなかった。
「用があるのはお前だ、来い」
全く気配も何も感じなかった背後からの声は低く、腹の底を直接わしづかみにされるような不快感を催したがそれも一瞬のことで、声を上げる間もなく口元を押さえられた。
素人ではないことが、素人のラシルにもわかる。それほどの手際だった。
リバーに銃弾を撃ち込んだ男が自分を抱えたときにはすでに口には猿轡がはめられており、瞬きほどの間に部屋の窓から担ぎ出される。
「しかし、こんな女が世界樹の種持ってるって、がせねたに踊らされてんじゃないのか?」
背後から猿轡をかませた男が下卑た笑いを浮かべながら肩を震わせている。さほど大柄ではないのに猫背なせいでひどく小さく見えた。
「黙れ。その迂闊さはプロ失格だ」
それまでどこにいたのかはわからない、長身の男が突然視界に現れたかと思うと猫背の男の首筋にごついサバイバルナイフを当てている。刃渡りがラシルの肘から先ほどもあるような長大なナイフだというのに、いつどんな動作で取り出してどうやって喉元に突きつけたのかが全く知覚できなかった。
猫背の男の喉仏がごくりとうごめく。
「わ、わかったよ俺がわるかった」
萎縮しきった猫背の男をしり目に、腰にぶら下げた鞘にナイフを直したのは物腰とは裏腹にかなり若い男だ。おそらくは三人の中では一番若いのではないだろうか。月明かりにうっすらと照らされる金髪を揺らしながらほっそりととがった顎をしゃくると、それを合図にしたかのようにラシルを抱えた男が二階から飛び降りる。
目の前で起こった一瞬のやり取りだったが、三人の力関係が実に顕著にわかった。
その間にもラシルは叫び続けていた。どれだけ叫んでもむーむーという呻き声にしかならないが、それでもラシルは叫ぶ。おそらくはタオルでもかまされているのだろう、叫べば叫ぶほど口の中の水分は失われるがそんなものに構わずに叫び続ける。
リバーの名を、何度も何度も声にならない声で呼ぶ。
そのうちに酸欠にでもなったのか、徐々に意識が薄れてゆく。
「はぁい、呼んだか?」
そんな中で聞こえた声は、やはり現実味がなかった。




