少女と種と
大通りを抜け、世界樹の公園をはさんでちょうど宿とは反対側にたどり着いたところで、ようやく一息つくようにバイクを道端に止めてエンジンを切る。さすがにここまでは朝の騒ぎが伝わってきてはいないようで、通りを歩く人間は誰一人としてリバーに興味を示すものはいなかった。
「全く、なんで俺には平穏と安息が訪れないのかね?」
宿に泊まれば暴力沙汰が降りかかり、街を歩けば変な女を拾ったかと思えば挙句の果てに自分たちを親の敵と勘違いしているセフィ姉弟らまでが現れた。
「ま、最後のはあながち勘違いじゃないのかもしれんけど、それにしてもひどいな」
さすがにここまでのドタバタが一気に降りかかることなどそうそうない。
気分を落ち着けるためにゆっくりと深呼吸をし、手だけを伸ばして側車に積んであるはずの水筒を引き寄せようとする。が、いつもとは違って適当に放り込んだ荷物の中からはなかなか水筒が見つからず、仕方なしに体をそちらに向けようとしたところでようやく馴染んだ紐の感触が手の平に触れる。
補給したのが昨日の夜だったのでさほどの期待はしていなかったが、ラッパ飲みで喉に流し込んだ水は思いのほか冷たく、食道を流れ落ちる感触に少しだけほっとする。
「ふぅ」
やれやれだ、そう言おうとして言葉が詰まる。
水筒をサイドカーに放り投げようと手を出したと同時に、その水筒がするりと手首から消える。それは、投げ出した時とも落とした時とも違う。たとえるなら、誰かに手渡した時のような感触。
「おい!」
水筒を握りしめる小さな手が二つ、そしてその手首からすらりとした腕が伸び、もちろんその付け根には当たり前のように華奢な肩があった。ただ問題なのは、どんな形をしているのかではなく、もちろん、どうしてそこにいるのか、だ
自分を配達してくれと言ったあの少女、ラシルが何事もなかったかのよういちょこんとサイドカーに座っていた。しかもご丁寧に、先ほど自分が放り投げた荷物を膝に抱えている。
「はい?」
呼ばれたから返事した、当然のように見上げる視線にはわずかばかりの気まずさが見てとれたが、ばれてしまったことに対する焦りやなんかはないようだ。
「あのな、いつの間に乗り込んだ?」
わかりきっている、自分が荷物をまとめに二階へ上がったあの瞬間に、おそらくはだれかが手引きをしたのだろう。あの時に気付くべきだった、あまりにも都合よくバイクが窓の下にあったことに。
「おかみさんが、乗ってしまえばこっちのもんだ、と」
いくつか考えた可能性の一つでしかなかったが、なぜか「やっぱりな」と思ってしまうのはあのおかみの個性ゆえだろう。
「こっちのもんだ、じゃねぇよ。あ~くそ、なんで気付かなかったかな」
確かにあのときは逃げることばかりに気を取られ過ぎていたとはいえ、迂闊すぎた。
「あの」
今更ながら、おずおずと少女が肩をすくめる。うつむき加減に向けられた視線は、叱られた子供が許しをこう時のようなものになってしまっている。おそらく、元来はこんな行動的なことはできない質なのだろう。それを、何があったかは知らないが一念発起して気を張っていたのだろう。そうでなければおかみのこんなむちゃな作戦にものらなったのかもしれない。
「話ぐらいは聞いてやるよ」
情にほだされる、というのはこういうことなのかもしれないなと自嘲気味な笑みを浮かべながらスタンドを立てる。このサイドカー、もともとはただのバイクを改造しただけなのでサイドブレーキの類がついていない。それゆえに、停車させる時はバイクのようにスタンドを立てなければならないという代物だった。最も苦労したのは、スタンドがきくようにバイクの部分だけを少し傾けられるように側車と接続しなければならなかったのだが、こんな奇特な改造がよくオーダーできたものだと今更ながらに思わなくもない。
「はい」
ラシルの眼がとたんに輝きだし、年相応の少女らしい笑みがこぼれたのだが、迂闊にもリバーはその表情に一瞬とはいえ度肝を抜かれてしまう。
わかりやすく言うなら、かわいらしかった。
見惚れてしまうというのはまさにこのことだと言わんばかりに、ちらりと向けたリバーの視線がラシルから外せなくなってしまう。それほどに、ラシルの笑顔はかわいらしく、何よりも生き生きとしていた。
「ただ、ここではちょっと」
よくそれだけ器用に表情が変るものだと感心するほどのスピードでわかりやすく表情を引き締め、真顔になったラシルはこれまたわかりやすいしぐさでひそひそとリバーに口元を近づけていった。
「ま、そっちがそういうならどっか場所を変えてもいいけど、こんだけにぎやかな街だと人が聞き耳立ててない場所なんてないんじゃないのか? いや」
そう言って
リバーは再びバイクのスタンドを跳ね上げ、抜いたばかりのキー突っ込んでエンジンを起動する。大型の獣が唸るような低い音を上げてマフラーが呼吸し、力強い心臓のようにエンジンが鉄色の鼓動をシートに伝える。
「ちょっと移動するわ。これ」
リバーが少女の座っている足元をごそごそとまさぐると、色気も減ったくれもないカーキグリーンのフリッツヘルメットが引っ張り出される。このサイドカー、見た目の割にはどうやらかなりのキャパシティがあるらしい。
「かぶってろ、すぐだ」
そう言って、ラシルがヘルメットをかぶるのも確認せずにリバーはアクセルスロットルをひねり、バイクはあっという間に加速する。
先ほどまでの光景とは打って変わった場所。
本当に同じ世界なのかと疑っても無理はないほどに、そこには緑と水と光があふれていた。
見上げれば首が痛くなるほどの巨木に、茂る葉はまるで町すべてを覆いつくしてしまうのではないかと錯覚するほどに大きく広がっていた。さらに、土と砂と石ころばかりの街並みに比べ、ここは見渡す限りが緑に覆われている。
世界樹。
それを中心として広がる実り豊かな場所は、憩いの場である以上に町の生産の文字通り心臓であり、生命線そのものだ。ここが終われば街が終わる、というのは大げさでも何でもなく、まぎれもない事実だ。
ただ、そんな大仰な意味のある場所とはいえこの街に暮らす人々にとってはやはり絶好お憩いの場であり、走り回る子供や赤ん坊を連れて散歩をする母親などがちらほらと見受けられた。
「こんなところで、大丈夫なんですか?」
残念ながら、さすがにバイクの乗り入れは禁止されていたため、荷物を抱えて歩いてくることになったのだが、世界樹の根元は緑も茂っているし何よりも太陽の光が遮られるおかげで、涼しかった。
「こんなとこだからいいのさ」
ドカリと草の上に腰をおろし、背中を世界樹の幹に預けたリバーが眠そうに一発大あくびをする。結局、昨日の夜の騒ぎやら今朝のドタバタのおかげで体をゆっくりと休められてはいなかった。
「どうして? 周りから丸見えですよ?」
「だから。周りから丸見えってことはこっちからも全部が丸見えだ。盗み聞きするやつらがいればすぐに気が付くし、丸見えイコール丸聞こえじゃないからな」
そう言われればなんとなくそんな気がしなくもないが、それでも腑に落ちないのか、ラシルがキョロキョロと周囲を見回していると、
「な、そうやって周りを気にするようなやつは目立ってしょうがない。かといってこんな場所で何もせずに聞き耳を立てているようなやつも怪しい。内緒話には絶好の場所なのさ」
自分のことを言われたのが恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤にしながらラシルはリバーの隣に腰をおろした。座って俯いたおかげで気がついたのだが、どうやら耳だけではなく、うなじから首筋まで真っ赤にしてしまったらしい。
そこまで恥ずかしがらなくてもいいのにと思いながら苦笑いを浮かべたリバーが、呼び水のように言葉を投げる。
「で、なに?」
その一言にハッと我に返ったようにラシルの眼がリバーの眉間のあたりを見つめ、真っ赤だったうなじのあたりも徐々に薄いピンクから透き通るような白へと戻ってゆく。
「あの、これなんです」
後生大事そうに抱えていたカバンは決しておしゃれとは言い難く、年頃の少女が持つには少し不似合いな感じを受ける白い布のカバンだ。そしてその中から引き抜かれた手に握られているのは、真っ赤な、小さい丸い物体。しかもそれは、うっすらと光を放っているような気がする。
「世界樹の、実? いや、違うな…」
日陰であるこの場所でもはっきりと光を感じるのはおそらく反射ではないだろうと思いながらも、見上げた世界樹の葉の間に輝くその実の大きさをじっと確認する。
もちろん、手が届くような高さには実どころか枝もなく、あそこが空だと言われても信じられるほどはるか上方にうっすらと輝く赤い点が見えるのみだ。とはいえ、距離から考えればあの実が野球ボール大であることは考えられなかった。
「種です」
芝生に寝転がっていたリバーが、背中にばねでも入っているのかというような動きで跳ね起きる。
見つめるそれは、まぎれもなく世界樹の実が放つ赤い光を持っている。
「私は、この種をしかるべき場所に植えなければなりません。その場所を探しています」
ざっ、と風が通り抜ける。
すぐそばを大型犬に引きづられるようにして女の子が駆け抜け、ふわりとなびいた髪をかきあげるしぐさが妙に印象的だった。
「っと、ふぅ、あぶないあぶない」
相変わらずぴんと張ったリードに引っ張られながら走ってゆく少女の背中を見つめながらリバーはドサリと芝生の上に腰をおろした。
「危うく引っかかるとこだった。よく考えりゃわかる話なのに、うっかり信じるとこだった」
「そんな、これは」
「世界樹の種といえば伝説の中の伝説、そんなものが存在すればそれを巡って国の一つや二つは消えてなくなるってまで言われてる代物だ」
世界樹の種。それは古代においては神のように崇められ、最近まではその存在を巡っての議論や争いが絶えず、一生をかけてそれを探し出そうとするトレジャーハンター連中の夢であった。そして近年では、お化けや神様と同様に実在しないものの代名詞としての地位を確立した。強いて言うなら、古代からの長い年月を経て再び神の地位を獲得した稀有なる存在、と言えなくもない、とは哲学者や歴史学者が人類史を皮肉って言う言葉だ。
「まさか俺がこんな女に一杯食わされるとは思わなかった。いや、なかなかのカウンターだったよ。あんた、上手だな」
「違います、これは本物の…」
言いかけた言葉を片手で遮り、身ぶりだけで少女に手元のそれをしまうように指示する。
「とりあえず、それが本物であるなしは別にして、いいさ、乗ったよ」
「え?」
どこか皮肉っぽく笑うリバーの表情を読みあぐねたラシルが目をぱちくりさせながらリバーの次の言葉を待つ。どうやら頑固でまじめな性格らしいラシルには、こういった暗黙のやり取りというものの経験があまりないらしい。その空白を埋めるようにリバーが言葉を追加する。
「俺はあんたのその冗談とも本気ともつかない話に驚いた。それはそれなりに楽しかった。だから、事の真偽はさておいて、俺はあんたの配達依頼を受けることにした、ってことだよ。どうせこの街にはもういられないし、荷物もないわけだしな」
「それじゃ、連れて行ってもらえるんですね?」
「ま、配達先がわからないんじゃぁ送り主のあんたにそこまで来てもらうしかない、なんて言えば三流の配達屋だけどな。今回は面白いもんを見せてもらった代金分ぐらいは働いてやるよ。次の荷が決まるまで、って条件付きだけどな」
試すように顎をしゃくってラシルのカバンを指すと、どこまでも生真面目にラシルはこっくりと一度だけ頷いた。
「じゃ、仕方がない。あとでちゃんと送り状書いてもらうからな、あとあんたの旅費はあんたもちだ。俺が運ぶのはあくまでもそれだからな」
「はいっ!」
それまでどこかおどおどとして背中をびくつかせていたラシルとは打って変わって、溌剌とした声が世界樹の根元に澄んだ響きを残す。不思議とこのラシルの声というのは耳に心地よい。
ぎゅっと握った拳がいかにも世間知らずなお嬢様を連想させるが、まじめに引き結んだ口元を見ればそんなことも言えるはずもなかった。
「改めて、俺はリバー。リバー・D。配達屋となんでも屋を足して二で割ったようなもんだと思ってもらえればいい」
「はい。私はラシル・O・ラシル。孤児院で育ちました」
「へぇ、あんたも大変だったんだな」
もちろん質問がないわけではない。旅をするならするで保護者の了解やらなんやら、あとで面倒なことになりそうなことは払しょくしておきたかったし、何よりもこの街を離れることの意思確認は必要だ。だからと言ってここで生まれについて聞いてしまえば、それはどう言いつくろってもただの興味本位でしかあり得ない。
「聞かないんですね?」
「俺も、親いねぇからな」
それは何の答にもなりはしない。ただ、それを打ち明けることでつまらない気負いやそのことに対する遠慮がわずかばかりでも薄められるのも事実だ。
「それに、荷物のことを詮索するのは配達屋としてはルール違反だからな」
立ち上がり、尻をはたくとパラパラと枯れた芝生が落ちる。かすかにジーンズが湿っているのは土壌が潤っている証拠だ。
「じゃ、行こうか。俺はめんどくさいのにおっかけられててな。できれば一秒でも早くこの街を脱出したいんだよ」
もちろんこの時点で、何の事を言っているのかはラシルにも想像できたはずだ。
「そうですね」
だからと言うべきか、なのにと言うべきか、ラシルはそれだけ返事をすると黙ってリバーの後ろを早足気味に追いかけてくる。
「聞かないんだな」
「私も追われてますから」
迂闊にも、にやりとリバーの口元がつり揚げられてしまう。例によってへたくそ極まりない微笑みに、最初ラシルはそれが笑顔であることに気付くことができずに、いぶかしげな目を向けていた。
世界樹の公園をあとにした二人が向かったのはラシルが暮らしているという孤児院だった。
町のはずれもはずれ、あらゆるサービスが届くぎりぎりといった感じの場所にポツンと立てられているのはおそらく教会か何かだった建物だろう。
鋭角な屋根の上に取り付けられていたはずのモチーフはほとんどが失われて、今となっては屋根との接合部分だけが無残に残されているだけだ。ただ、それでも教会とわかったのはくすんだステンドグラスの色合いだった。
かつてこの街が、いや、この世界が貧困と過酷な環境にあえいだ時期に救いを求める人々の心の支えになったはずの宗教という存在の、なれの果てを見た気がした。
バイクを入り口に止めて待つこと十分。
扉を押しあけて出てきたのはそのコンパクトな体からすれば少し大きめの荷物を抱えたラシルと、修道服に身を包んだ初老の女性が一人。
「それじゃぁ、お世話になりました」
ラシルのそんな声に何を言うでもなく胸元で十字を切って祈るしぐさをラシルへと向ける。少しだけ困ったような、けれど少しだけほっとしたような表情を浮かべて女性は答えた。
その表情の理由が、リバーには予想ができる気がした。
孤児院といえば慈善事業の最たるものというイメージがあるだろうが、そんなものは一部の衣食に事欠かない富裕層と、それこそ一部本気の宗教屋だけのものだ。その実はといえば、人の善意だけで成り立つには過酷すぎる生存競争の場であり、愛や情を超えた何かがなけれ存続しえない、奇跡的なバランスで成り立つ一つのコミュニティでしかない
では、そのコミュニティを存続させるために必要なものは間違いなく、数の理論だ。
人の数があればそれだけ分けあわねばならず、かといって一人頭の必要最低限は確固として存在する。
つまりはそういうことだ。
「行きましょう」
いつの間にかサイドカーに乗り込んでいたラシルは、どこかさびしそうに少しだけ微笑む。
一度だけ視線を向けた扉のところで、先ほどの老女がゆっくりと頭を下げていた。
「大変だな」
「えぇ。教会の孤児院はいつでも経営難ですから」
「…この町の生まれじゃないのか?」
一拍間をおいたのは、聞くべきかどうかの判断がつかなかったからだ。
「生まれたのはもっとずっと東の小さな、世界樹の飛び地があるだけの寒村です」
世界樹の恵みは大地を伝って時折遠方に飛び地する。はるか東のほうの国ではそれを大地のエネルギーの流れとする教えがあるとされているが、その真偽についてはいまだ解明されていないというのが実際のところだ。ただ、わからないなりにも何もないところに突如としてオアシスが現れ、そこだけが世界樹の周囲と同じように潤いと実りに恵まれる。その周りには得てして小さな集落が作られることがあるのだが、ラシルの生まれもそうした小さな集落の一つだということだった。
「じゃぁ、なんで昨日の夜はあんなおっかないのに追われてたんだ?」
「あれは、次の町まで行く当てを探していたところで、その…」
言い淀みながら、おそらくは無意識だろうが肩からぶら下げたカバンを抱きよせている。
「うっかり世界樹の種の話を漏らして、おっかけられた、ってとこか?」
こっくりとラシルの首が縦に動く。黙ってしまったのは、昨日の男たちに対する恐怖というよりも自分自身の迂闊さに対する後悔からだろうことが引き結ばれた口元から想像できた。
つくづくまじめな子だと、リバーが小さくため息をこぼす。
「ま、そう思いつめなくても、結果オーライってことにしようや。それより、どこ行くのか言われないと俺は勝手に自分の都合でバイク転がすぞ」
いったん街に戻って準備をするか否かを迷ったが、教会が町のはずれにあったのでそのまま街を脱出して街道に出るルートをとることにした。走りながらこの質問はないな、と思いはしたが、
「とりあえずは、どこに行くんですか? この街では配達の仕事があったとは」
なかなか鋭い質問に苦笑いを浮かべるしかなかったリバーではあるが、さすがに無計画にバイクを転がすほどには馬鹿ではないつもりだった。
結局その日は、出発のときには真上にあった太陽が真っ赤になって地平線に引っかかるまでバイクを走らせた。




