お仕事探し
月明かりも届かないように窓一つ取り付けられていない部屋だというのに、ランプもつけていない。
「聞いてねぇぞ、あんなもん」
フリードが半ばほどから折れてしまったナイフを思いきり壁に向かって投げつける。八つ当たりでしかないとは思ったが、そんなことでもしなければどうにかなりそうなほどにイライラしている。
ナイフの柄があたった壁は鈍い音を立てる。暗すぎる中では距離感が全く掴めないが、音の反響で大体の部屋の広さがわかった。
「そうねぇ。あれは私たちにも予想外だったから」
女の声。
そいつがいることには、全く気がつくことができなかった。いるのだろうとは思っていたが、意外なほどに近くにいたのには恐怖よりも不気味さを感じずにはいられない。
(気持ち悪い奴らだ)
胸中で毒づく。
会うときは必ず深夜。指定された一室。やつらという言い方をしたのは、相手の規模が全く分からないからだ。そして、何よりも気持ちが悪いのが、こちらの方が先に入っているのに、いったいいつ入ってきたのかもわからないうちにそこに表れているということ。
フリードも一端のプロとして殺しを請け負ってきた自負がある。殺気や気配といった類のものには鼻がきくつもりでいたし、事実そのおかげで仕事がこなせていると言ってもいい。
なのに、
「でもおかげでいいことがわかったし、今回はある意味で成功って言ってもいいかもね」
こいつらは殺気どころか、気配すら全く感じさせない。
意識の空白を乗っ取られているような気がして、まだ三度ほどしか会っていないというのにもう次はごめんだと思ってしまう。
「いいこと?」
「そう。あれはリバー・D。私たちがずっと探していたもう一つのピースよ。まさか二つがそろって目の前に来てくれるなんて。しかもこのタイミングで」
不意に部屋に明かりがともる。
背後から照りつけるランプの明かりは決して強くはなかったが、闇に慣れ過ぎた目には刺激が強すぎる。
「つくづく、ラッキーとしか言いようがないわ。そう思うでしょ?」
おどけた口調なのに、暗闇から声が聞こえてきていたさっきまでとは比べ物にならないプレッシャーが背中を圧迫する。気配すら感じさせなかった先ほどまでとは逆に、押し隠せない存在感が、いかに自分の背後にいるものが人の常識を超えた何かであるかを伝えてきていた。
「さあな、俺には理解できん。俺が考えるのはあの男を殺すことだけだ」
「あれだけ圧倒的な負け方をしておいて?」
まるで見てきたような口調だが、おそらくはどこかから見ていたのだろう。無意識に舌打ちが漏れる。
「ま、そうでなくてもあれは死なないから、殺すことはできないんだけどね」
まるで旧知であるかのように楽しそうに話す態度が、ますますイライラを募らせる。
ことん、とランプを床に置く音がする。続いて足音がして、目の前の壁に人の形をした影が浮かび上がる。
「そんな緊張することないじゃない。別にあなたを取って食おうってわけじゃないんだからさ」
影の髪がさらりと肩から滑り落ち、フリードの肩口につややかなロングヘアーがかかる。息を感じるほどの距離に唇があり、それだけで端正とわかる顔立ちが視界の隅に見えた。
絶世の美女、とはまさにこのことだろうと思わせる。
隣を通り抜け、それまで影が映し出されていたあたりでくるりと振り返る。ワンテンポ遅れて腰まであるロングヘアーがその動きに滑らかに従う。プラチナブロンドという言葉がふさわしい髪がランプのくすんだ明かりにも輝いている。
切れ長な目元にすらりと通った鼻筋、潤んだ唇は絶妙なバランスで配置され、神が気まぐれが作り出した美術品であるかのようだ。
ただし、隣を通り過ぎる時に感じた背筋の凍るような悪寒がなければ、という条件付きだが。
「顔はまずまずだけど、あなたみたいなのじゃ食べる価値もないもの」
どこまでも他者を蔑んだ瞳は、そこにあるものが命を持っているとさえ考えていないような冷たさだ。
「ああ、そう願いたいもんだ」
口元を微かに釣り上げるだけだと言うのに、その笑顔は恐ろしいほどに美しく、きっと通りを歩けば通りにいる全員が振り返ってたたえるに違いないほどだ。
「そこでお仕事」
意思の確認がないのは、こちらの意思などは一切関係ないということなのだろう。つくづく傲慢を絵にかいたような態度だが、自分が拒否できる立場にないことなど最初からわかり切っていたことだ。
フリードは黙って女をじっと見つめる。
「どんな手段を使ってもかまわないからあの男には邪魔をさせないで」
「あんたらが直接やった方が確実なんじゃないか?」
皮肉と言うよりも、何故このタイミングにもう一度自分にやらせるのか、その方が気がかりだ。
「理由は簡単。私たちが直接やると面倒なことになるの。大き過ぎる力の衝突は、巻き込むものもそれなりに大きいから。それに、人間相手だとあの男は偽善を振りかざしてくれるから」
この女が言うと奇妙な説得力があった。
「種のほうはどうする?」
「あれさえいなければ簡単でしょう?」
言いながら、ポケットから取り出した小ビンをテーブルの上に置く。
中には少量の液体が波打ちながらかすかに赤く輝いている。ランプの照り返しかとも思ったがどうやらそうではないらしい。
「何だよこれ?」
見たことのない液体を手に取るが、近くで見てもわかるはずもなかった。かといってこんなやつが持ち込んだものの蓋をあけるほどの無茶は、今はしたくなかった。
「目薬よ」
続けて女が口を開く。
「これを使ってもかまわない、って言うんだから、相変わらずのVIP待遇よね、あの男も」
誰にともなくそう言ってあきれたように小さくため息をひとつこぼし、それを合図にしたかのようにランプが消える。
ランプの明かりに目が慣れてしまったせいで先ほどよりも闇が深く感じたが、フリードはただじっと目の前の闇に向かって目を凝らし続けた。無はどれだけ覗き込んでも無でしかないが、さっきまでいた女はそのさらに奥にある、もっとどうしようもないもののような気がした。
闇すらも包括する黒さ。
「化け物だな」
取り出した煙草に火をつける。
ほんのりとたばこの先にオレンジ色の火がともり、白い煙が目の前を昇ってゆく。
「おまえは本当にタイミングが悪いな」
薄暗い部屋には、埃と何かの油のにおいが密集している。
明かりとりの窓はごく小さく、それも限られた時間に限られた場所だけが明るくなるように設計されているかのようだ。
「うそだろ、ウェーランド?」
カウンターに乗り出して非難がましい目を向けるリバーを全く無視するように、薄暗い中で作業をしているのはもうとうに初老も過ぎた白髪の男だった。
「おまえに嘘をついても金にならん」
「じゃぁ、近々ものを送る予定は」
儚い希望はもろくも崩れ去るのが、どうやら世の中の定番のようだ。
「コンボイが行った直後だ。どこもしばらくはないんじゃないのか? それこそ一軒ずつ地道に御用聞きしていけば別だがな」
もちろんその物言いはリバーがそんな地道な労働とは縁遠い存在であることを熟知しているが故の、突き放したような口調だ。
ぐったりとカウンターに突っ伏したリバーなど視界に入らないかのようにウェーランドと呼ばれた男は作業台の上の細かな部品と向き合っている。どうやら時計をはじめとする精密機械を作ったり修理したりする職人のようだ。
「ったく…ついてねぇよ、ほんと」
「他にようがないなら帰りな。辛気臭いのにいられちゃ来る客もこねぇ」
というが、置かれている時計や何に使うのかわからない細々とした機械類の数の割にはあまり繁盛しているようには見えない。
「じゃ、こいつを頼むよ」
懐から引っ張り出した拳銃をカウンターに置くと、木と金属の当たる独特の音がする。
ぴたりと作業をしている手を止め、ウェーランドが大きさの割には細長い指を伸ばしてシリンダーを握る。職人の手と言うのは独特で、このしわだらけの小柄な男は精密機械を触り続けた者だけが持つ、繊細そうな指をしている。
「もっと大事にしてやれ」
何を見るでもなく一言だけそういうと、手のひらの感触を確認するようにじっと銃を眺める。
「ああ。最近思ったところにあたらないことが多くてな。自分の調整じゃ限界だ」
驚いた。あれだけ完璧な命中精度で速撃ちをする場面を何度も見ていたラシルには、あれ以上の正確さを想像することなどできはしない。百発百中とはああいうもののことを言うのだと信じてやまなかったのに、それがリバーにとっては我慢ならないほどの命中精度の低さだったとは。驚きを通り越して嫌味にすら聞こえてしまいそうだ。
「あたりまえだ。こんな使われかたすりゃ、言うことを聞きたくなくなる。人も同じだ」
「大事にしてるんつもりなんだけどなぁ、これでも」
宿のテーブルの上で分解と掃除をしていた姿を思い出す。緻密きわまる作業なのに一つ一つを実に丁寧にこなしていたように思ったが、それほどにプロの目と言うのは厳しいものなのだろうか。それともこれが男同士ならではのやり取りなのか、ラシルには判断がつきかねた。
ただ、リバーのなんとなく照れくさそうなしぐさから、後者ではないかと思いはした。
「じゃ、明日取りに来るわ」
「こんばんだ。てめぇのツラなんか二日も見たくねぇ」
そう言ってウェーランドは怒ったように背中を向け、黙ってそれまでの作業に戻った。
もうこれ以上は何も言うことはない、という暗黙がラシルにもわかった。
「じゃ、たのんだよ」
そう言ってひらひらと手を振るリバーの後に続いて、ラシルも小さく会釈をして工房をあとにした。
善は急げということで朝一番に訪れたのに荷物にはありつけなかったのは残念だったが、実際はそれほど期待していたわけではない。コンボイの通った後のおこぼれがあれば上場程度の気持ちだったし、主たる目的は銃の整備だ。
「じゃ、行くか。今日こそは仕事見つけないとな」
もちろん、そんなのんきな頭でばきばきと肩を鳴らしているリバーには、自分の隣でそっと胸をなでおろしているラシルの存在など見えるはずもなかった。それが安堵ゆえのものなのか、それとも別の何かなのかは神と本人のみぞ知る、というところだ。
「とはいうものの…どうしたもんかな」
「当ては、もうないの?」
腕を組んで考えているようなしぐさをしているリバーだが、こんなポーズをするときは実は何も考えていないことのほうが多い。
「ないこともないんだがなぁ」
どこか上の空の声は、本当に働く気があるのかどうか疑わしくなるような間抜けな声だ。
「だが、何?」
「ん~…配達じゃねぇんだよな」
「そういえば」
ラシルが思い出したのは、リバーが自己紹介をした時の言葉。配達屋となんでも屋を足して二で割ったようなもの、という言葉。
「なんでも屋さんのほう?」
リバーの眉間にしわが寄る。悩みの種は働くべきかどうか、ではない。言うべきかどうか、だ。しばらく死んだようにじっと眼を閉じて空を仰いでいたが、意を決したようにパッと目を開き、一人で納得したようにうなずくと、リバーが唐突にラシルを見る。
「ま、ついてくりゃわかるさ」
とだけ言うと、見るからに気が進まないという足取りで職人たちの工房が軒を連ねる路地をすり抜けてゆく。
道のわきに工房を建てたというよりは、やたらめったに建てまくった工房の隙間がたまたま道として機能している、といったほうが正解のような路地を抜けると、最初にここに入った時とは全然違う場所に出た。
リバーは迷う様子もなくどんどんと歩いていたが、ラシルはきっともう一度同じ道に入り込んだら永久に出てこられないだろうとおもう。運よく出られたとしても、きっと自分がどこにいるか全く分からないだろうことは請け合いだ。
「ここはかなり古い町らしくてな、土地区画もへったくれもないころの名残がこの場所なんだとさ。迷子になってミイラで発見されたやつまでいるらしいけどほんとかよって感じだな」
不思議そうにきょろきょろとしているラシルの様子から思考を読んだリバーがそんな説明をしている。
「わかる気がする」
もう一度まじまじと自分の出てきた路地を見つめて、ラシルが実にまじめにそんなんことを言う。
相変わらず気が乗らないのが丸見えの足取りで、つま先を引きずるようにずるずると音をさせて歩くリバーが、ふと一軒の食堂の前で足を止める。
昼時にはまだずいぶんと時間があるせいで準備中の札がぶら下がっているが、リバーが見ているのはその入口のすぐ隣に建てられた一枚の掲示板のほうだった。
「あんまり気がのらねぇんだけどな」
愚痴のようにぼそりと呟きながら見つめる掲示板には何枚かの紙きれが乱雑にピン止めされており、砂交じりの風にバサバサと揺れている。種類は雑多で古いものはふちがぼろぼろになって黄ばんでいるかと思えば、新しいものは縁で指が切れてしまいそうなほどだ。
共通していることといえばバストアップの人相書があることとその下に数字が書かれていること。
手配書。
「あなたがそれ見るの?」
淡々とした口調はときとして感情的なそれよりもはるかに破壊力がある。実に鋭い、そして遠慮会釈のない一言がぐさりと突き刺さったが、もちろんそれが嫌で乗り気ではなかったのだ。
「やっぱ言われるよな」
「当たり前よ」
見れば、懸賞金をかけているのは警察や街の自治体といった公権力からどこそこの商業組合といたような寄り合い所帯、果ては個人で手配書を出しているものまである。ただ、公権力のものとそれとで大きな違いがあり、公権力のものがDead or Alive(生死問わず)であることに対して、個人の懸賞は必ずいけどりが条件となっている。
これは当たり前と言えば当たり前で、個人で生死を問わない報奨金などを出せるとなれば、金さえあれば恨みのある相手を殺してしまえるという無秩序極まりない社会になってしまう。いくら荒野に一歩出ればまだまだ無法地帯とはいえ、人が生きるコミュニティである限りは保たれるべき秩序というものがある、というわけだ。
そして、自分も首を狙われるリバーが手を出すのは、
「当然、そうなるわね」
公権力のもとに自分から出向いて行くほどの馬鹿ではないつもりだ。というわけで、個人が懸賞金をかけているものばかりを何枚か引っぺがして持ってゆく。もちろん、手配書を剥がしていくのはルール違反だ。警官が見ていれば罰金の上に厭味ったらしい説教が待っている。
「おまえさ、日に日に毒舌になってないか?」
「そう?」
「初対面の時はもっとしおらしかった気がするが?」
「気のせい」
そんなはずがない。
女というのは変わればここまで変わるものかとまじまじと見つめていると、逃げるように体をよじり、「なによ」という不機嫌そうな声をあげてラシルはもじもじし始める。
「ま、そんなことより」
ぷっ、とラシルの頬が膨らんだのに目もくれずにリバーが手配書の束をめくりながら歩き始める。さすがにあんなところで手配書の束を持って立っていれば、捕まえてくださいというようなものだ。
「手頃なのがあればいいんだけどな」
「聞いていい?」
「だめだ」
「なんでも屋みたいなものって、もしかして、ほんとに賞金稼ぎなの?」
だめだと言われたことなど関係なくラシルは聞く。さすがに「だめだって言っただろ」という返しは野暮だと思ったリバーは、黙って首を縦に振る。声にしないのは、まだ某かのためらいがある証拠だ。
「じゃぁ、配達屋と賞金稼ぎを足して二で割った、でいいと思うんだけど」
「そりゃお前」
ぺらりと一枚だけ手配書をめくる。身長が頭一つ分違うリバーの手元はラシルからでは見えないらしく、必死になって覗き込もうとしている。
「こんなもん、賞金稼ぎだなんて言えるか?」
いちまいの紙きれを放り投げてラシルに渡すと危うくとりこぼしそうになりながら何とか捕まえる。
『探してください』とでかでかと書かれた下にあるのは白黒ぶち模様の犬の首から上の、人相書ならぬ犬相書。
「まだあるぞ。これは家出した息子を探してくれ、こっちは猫を探してくれ、これは…何だこりゃ?」
言って放り投げた手配書にあるのはフライングフィッシュという動物の絵と指折り数えなければわからないような桁の数字。空を飛ぶ魚という、架空の動物の手配書はもちろん『想像図』という注釈つきだ。
手配書などと言えば重く聞こえるが、結局は迷子探しの延長線のようなものだ。
「探すの?」
ひらひらと、トンボのような羽の生えた細長い魚の絵を揺らしているラシルにリバーは思わず声に出して苦笑する。
「くっ、それもいいかもな。その手配書あんたにやるよ。クックッ」
「馬鹿にした」
スカイフィッシュの手配書を突き返しながら、ラシルはなんでも屋を自称したリバーの言いたかったことを何となく理解した。これを賞金稼ぎと自称するのは、自分を追う賞金稼ぎを見れば気後れするのは当然というものだろう。
「そんじゃま、小遣い稼ぎしなきゃな」
そう言ってリバーは一枚の手配書を手にすると、残りを外套のポケットにねじ込むようにして突っ込んだ。
「何探すの?」
「面白いもん見つけた」
そう言ってリバーが手渡したのは、どうやら手配書の類ではなく働き手を募る仕事紹介の紙だったらしい。内容は実に簡単で、大豆を運ぶ人間を探している、というものだった。
「なんだ、細かい配達の仕事だ」
てっきり賞金稼ぎまがいのことをするものだと思っていたラシルは、少し拍子抜けしたがそれ以上にホッとしていた。行動の読めないリバーのことだから、また危ないことにでも首を突っ込みやしないかという危惧が、心の隅っこには残っていた。
「まあな、本業は配達屋だからな」
「でも、それがどうして面白いの?」
文面を見る限りでは大豆の卸を仕切っている商会から小売りの店に豆を配達するだけの仕事。それこそ小間使いがやるような単純労働と言って差し支えない。報酬も、はっきりと書かれてはいないが誰が見ても多くは望めないはずだ。
「ま、見てればわかるって」
リバーの中にあるのはある種の予感のようなもの。表通りを堂々と歩けないような人間と多くかかわってきたからこそかぎ分けられる臭いが、この配達員募集の紙からはぷんぷんしてきている。
「面白いって」
リバーの肩が小刻みに揺れているのは笑っているせいだ。
「ねぇ」
ラシルの胸をよぎったのは、なんとも言えない嫌な予感。リバーはもちろん返事をしない。そのことがラシルに自分の予感が核心であることを教えた。
「悪いこと考えてるでしょ?」
そのラシルの言葉には答えずに、リバーは散歩でもしているかのような呑気な歩調で大通りをしばらく歩き、再び何やら雑多な露店が軒を連ねる怪しい路地へと折れていく。
街並みこそ先ほどの工房街と似ているが、そこにある雰囲気は全く違ったものだ。先ほどの場所が職人が技術を切磋琢磨する場所だとすれば、こちらは商売人たちの権謀術数が渦巻く商人街といったところか。
そして、その色合いの違いからくる活気の違いには雲泥の差があった。
常に誰かが何かを怒鳴っているし、目まぐるしいほどに物も人間も行き来している。同じ町の側面というとすれば、見事に静と動が描き分けられている。
「っと…ここのはずなんだがな」
手元の紙と目の前看板とを見比べながらリバーが覗きこんだのは、紛れもなく豆を販売している常設の店舗だった。
「ちょっと、外で待っててくれるか」
そう言って返事も待たずに店に足を踏み入れる。
薄暗い店内には独特のにおいが充満しており、所狭しと札の掛けられた麻袋が置かれている。札には、どうやらその袋に何の豆が入っているのかを書いてあるらしい。手近な一番大きな袋には大豆の表記があったが、何よりも驚いたのはその豆の種類の多さだった。
「いらっしゃい」
気だるそうな声が奥の闇の中から聞こえる。とても客商売をしているとは思えない声を辛気臭いと思ったのはどうやらラシルも同じだったようで、明らかにいぶかしがって眉をひそめている。それでも、リバーが注意して見ていてやっと気付く程度だったので、おそらく他人から見れば全く気がつけなかっただろう。
「うちは卸だけだから小売りはやってないよ」
まだ若い。パッと見ただけではただの使用人に見えなくもないが、妙に落ち着いたというか、肝の据わった雰囲気が不気味だった。
「いや、張り紙を見てね」
手元の紙を指さしながらリバーが愛想笑いの一つも作らずにじっと男の眉間を見つめる。自分の笑顔がいったいどういった効果をもたらすかは、とうに自覚済みだ。
「そうか、すまないな。生憎人手が足りてしまってね。それももう剥がしに行くところだったんだよ」
男の口が、あらかじめ決まっていたセリフを読み上げるような滑らかさで動く。
ビンゴ。
「ちょっと変わった豆の配達でも何でもやりますよ」
こちらも、定番のやり取りとでもいうように言葉を吐き出す。
店の男は一瞬だけ小さくこめかみをひくつかせた以外は表情には何の変化も見せずにリバーを見つめる。かと思うと、それまでの無表情が嘘のようにぎろりと眼を見開き、品定めでもするようにリバーを眺め始める。頭のてっぺんからつま先まで一通り舐めるように視線を巡らせ、ほんの数旬黙考する。
「来な」
明らかに先ほどまでの無気力な男とは違う、どすの利いた声が店内に響く。
子どもほどの大きさのある麻袋の間を縫うようにして男の背中を追って店の奥に行くと、かなり頑丈そうな作りの扉を開けてさらに奥の部屋へと招待された。こちらも表と同じ石造りの店舗で薄暗いというのは同じだったが、表と全く違う空気が充満していることは、入ってすぐに感じられた。
「名前は?」
「リバー・D。個人の配達屋をやってる」
ああそれでか、というように男が目だけで返事をする。
「俺はシードラ。見ての通り豆屋だ」
「見ての通り?」
皮肉っぽく言うリバーの言葉もさらりと受け流すのは、おそらくこういうやり取りのほうがシードラのお眼鏡にかなった、ということなのだろう。
「見ての通りの、豆屋だ」
見ての通りをあえて強調するあたりが、リバーの予想を確信へと変えてゆく。
「で、本当にうちで働きたいのか?」
「ああ。本来なら街から街への長距離便のほうがいいんだが、あいにくコンボイが出た直後らしくて仕事がなくってな」
蛇のような目つきでじっとこちらを見るシードラは、ふんと一つだけ鼻息を漏らすと手近な袋を一つ取り上げた。表にあったような大きなものではなく、腰にぶら下げて運べる程度の小さな皮の袋。
「最近はルールも守れない配達屋が多くてな。配達物の封を開けない程度のことができないやつらが仕事欲しさに寄ってきやがる」
「そりゃ、不幸だな。うっかり品物を任せられない」
「そうだ。まあまあ働いてくれるやつだったんだがな」
あとは推して知るべし、ということなのだろう。シードラの右手が人差し指と親指だけを伸ばして、鉄砲の形を作る。
「で、俺は仕事をもらえそうかい?」
「夕方、またここで。奥まで入ってきてくれりゃいい」
そういうと小袋を無造作に放り投げ、扉を開ける。視線だけで部屋を出るように促すと、あっというまに先ほどの眠そうな気だるい表情に戻る。ただ、その間も一挙手一投足を見逃すまいとじっとリバーに向けられた視線だけは、蛇のようにからみついていた。
「そうだ」
足を止めて振り返る。
返事はしなかったが、露骨に鬱陶しそうな顔をしたシードラが、視線だけでさっさと帰るように促している。
「あんた、赤目の連中と取引はあるのか?」
一瞬間をおいて、シードラが首を横に振る。
「何のことかわからんな」
「そうか、変なこと聞いて悪かったな」
今度こそ本当に店を後にする。
背中に本当に蛇でも這っているような不快な感触を感じながら店を後にしたリバーは、外のあまりの明るさに目がくらむ。
心配そうな顔でこちらを見つめるラシルには、とりあえず手を振って仕事があったことだけを伝えておく。ホッとしたよなラシルの笑顔になんとなく罪悪感を感じはしたが、とりあえずは急場をしのがなければならないと自分には言い聞かせておく。
「とりあえずいったん宿に帰るか」
のんびり歩いて宿に戻ればちょうどお昼頃に到着できるはずだ。
頭の中では昼に何を食べるかばかりを考えながらリバーはそこらの露天に目を向ける。食べ物を扱う店はどこも昼の書き入れ時に向けての準備に追われているようで、そこら中から食欲をそそる香りが漂ってきている。
すっと隣にすり寄ってきたラシルがリバーの袖をつかむ。
何か食べたいものでもあるのだろうと思って、小銭を確認するためにポケットに突っ込んだ手を動かすと、どうやらジャンクフードぐらいなら何とかなりそうな量の硬貨がジャラリと音をたてた。
「説明してくださいね」
甘かった。
小銭を鳴らしていた手が止まり、ついでに足まで止まり、恐る恐る振り向いたラシルの表情には目だけが笑っていない笑顔が張り付いていた。
「いろいろと」
どうやら、午後の予定は決まってしまったようだ。




