ティファニーで朝食を食べないで(5)ホリーは娼婦じゃない
映画でオードリー・ヘプバーンが演じたホリー・ゴライトリーは、世界中で愛される魅力的なヒロインになった。しかし、その姿は原作者トルーマン・カポーティーが小説の中で描いたホリーとは、かなり違っていたと言われている。
カポーティーが描いたホリーは、もっと野性的で、気まぐれで、どこか危うい魅力を持った女性だった。社会の枠に収まることを嫌い、自由に生きることを何よりも大切にしている。人を惹きつける不思議な魅力がありながらも、どこか寂しさや孤独を抱えた存在でもあった。
しかし映画では、その危うさや影の部分はかなり和らげられ、洗練されたロマンティックなヒロインとして描かれている。黒いドレスに真珠のネックレス、シャンパンを片手にニューヨークの夜を歩く優雅な女性──そのイメージはあまりにも魅力的で、映画史に残るアイコンとなった。
だが、原作者カポーティーにとっては、その変更は決して小さなものではなかった。彼は「原作のイメージが壊された」と感じ、かなり怒っていたと言われている。インタビューでは、いつか自分自身の手で原作に忠実な形でリメイクしたい、と語ったこともあった。
実は、この役には最初、マリリン・モンローが候補として挙がっていた。カポーティー自身も、ホリーのイメージとしてモンローを思い描いていたと言われている。しかしモンローは、この役を断った。理由は、当時の彼女が抱えていた「セクシーすぎる女性」「娼婦的な女性」という世間のイメージを払拭したかったからだと言われている。ホリー役は、そのイメージをさらに強めてしまうと考えたのかもしれない。
そもそも、なぜホリーは娼婦のような女性だと誤解されることが多いのだろうか。
小説の中のホリーは、確かに裕福な男性と付き合い、プレゼントをもらい、華やかな生活をしている。しかし彼女は自分を「商売女」だとは思っていない。むしろ恋愛に対して自由で、束縛されることを嫌う女性として描かれている。
小説には、彼女のこんな言葉がある。
「このあいだの晩に勘定してみたんだけど、
恋人にした男は全部で十一人しかいなかったわ。
なのにどうして、商売女みたいな言い方をされなくちゃならないわけ?」
この台詞には、ホリーの率直さと、世間の偏見に対する苛立ちが表れている。恋に自由であることと、職業として体を売ることはまったく違うのに、周囲の人々はすぐに彼女を「そういう女」と決めつけてしまう。
カポーティーが描きたかったのは、まさにそうした誤解を受けながらも、自由に生きようとする若い女性の姿だったのだろう。
興味深いことに、晩年のカポーティーはある女優に出会ったとき、「彼女こそホリーだ」と感じたという。その女優とは、ジョディ・フォスターだった。知的で、強さと繊細さを併せ持ち、どこか孤独な雰囲気も漂わせている──カポーティーは、彼女の中に自分が描いたホリーの姿を見たのかもしれない。
もしカポーティーの思い通りの映画が作られていたら、私たちが知っているホリー・ゴライトリーとは、まったく違うヒロインがスクリーンに登場していたのかもしれない。だが、その「違い」こそが、小説と映画それぞれの魅力を生み出したとも言えるだろう。




